03 〈狼爪のシュナード〉
どうやら「同行をお許しくださった」レイヴァスと共にシュナードが昼間の小屋に戻ったのは、夕刻を迎える頃だった。
少年は戦士を雇うとも断るとも言わなかったが、拒絶の言葉は出なくなった。とりあえず様子見というところかなとシュナードは判定した。
言うなれば試用期間。あまりに役立たずであるとか、邪魔であるとかいうことになれば即座にまた冷たい言葉が出るだろう。
「ほう、もう〈汚れ屋〉どもがきているようだな」
小屋の前には数名の人物が主の戻りを待っているようだった。
死体の「処理」を仕事とするのが通称〈汚れ屋〉たちだ。基本的には人間が相手だが、稀に門のすぐそばで死んだ――殺された獣や魔物を「処理」することもある。ことがことであるから対応は早く、仕事もきちんとしている。料金はそれなりにかかるが、内容を考えれば適切だろう。
ただ、シュナードら
「あいつらに任せておけば、俺やお前がやるよりずっときれいになる」
「どうでもいい」
レイヴァスは鼻を鳴らした。
「もうここには住まない」
「まじで?」
「もちろんだ。それとも何か、お前は獣人が突然襲撃してくるような家に引き続き住みたいのか」
「お前、そう何度も起こるはずがないと言ったじゃないか」
「言ったとも。だがご立派な戦士さんが油断するなと言ったんでね」
「あー……まあ、そうだな。そりゃそうだ、うん」
こくこくとシュナードはうなずけば、レイヴァスははっとしたような顔を見せた。
「言っておくが、怖いんじゃないぞ! あの臭いが嫌なだけで」
「ん? ああ、そうだな。うんうん」
(別にそんな斜に見た考えはなかったんだが)
(やっぱり実は、怖いのかね?)
(ああ、もしかしたら)
(自慢気に披露した魔術がとっさに使えなかったことにも、悔しい思いがあったりするのかもしれん)
怖くても当たり前だ。戦闘経験がなければ、素早く魔術を振るえなくてもまた当然。
なのに子供に見られたくなくて虚勢を張っていると思えば、可愛げのあるような。
(いや、ないか)
素直に言えば可愛いものを――と戦士はこっそり思った。
「あれは?」
レイヴァスが疑問の声を発した。
「ん?」
「ほら、正面にいる……まるで指揮を執っているかのようだが」
少年が指したのは出入り口の扉のところだった。
「〈汚れ屋〉の大将かね? 確か連中は、少人数の組を作って班長みたいな人物を中心にして行動してたはずだが」
あれがその班長だろうかとシュナードは中心の人物を見た。
「何だかひょろっちいな。上に立つのはたいてい、見るからに力自慢って奴……」
「戻ったか」
その人物がふたりを認めた。シュナードは目を見開いた。
「どちらがレイヴァスだ?」
「僕だ」
レイヴァスが進み出た。
「ほう。てっきり、逆だと思ったが」
「ふん、『まさかこんな子供が』という訳か」
皮肉っぽくレイヴァスは言った。相手は手を振った。
「確かに、いささか驚いたことは認めよう。しかし打ち砕くべきは私の固定観念だな。十代の少年が家を持つことはないだろうなどとは思い込みだ。私自身、そうした思い込みに嫌な思いをしてきたと言うのに」
「成程」
少年は知ったようにうなずいた。
「散々、『女のくせに』と言われてきた、と」
「はは、なかなか言いにくいことをはっきりと言う」
相手――二十歳過ぎほどだろうか、すらりとした体躯、長い金髪と明るい碧眼を持つ女は怒らずに笑った。
「私はカチエ。カチエ・ギルダスだ」
「僕がレイヴァスだ」
ふたりは名乗り合った。シュナードは、自分はいいだろうととりあえず黙っていた。
「では早速作業に入りたいが、鍵を開けてもらえるか?」
「無論だ」
レイヴァスは上着の隠しから小さな鍵を取り出すと女に向けて放った。女は上手にそれを受け止め、扉の鍵を開けるとほかの男たちに合図をする。男たちは慣れた様子で悪臭漂う部屋に入っていき、もちろんと言うのか、悲鳴を上げたりはしなかった。
「あんたは行かないのか?」
入り口で立ったままの女にシュナードは尋ねた。
「私の仕事じゃない」
「あ?」
「私は〈汚れ屋〉じゃないんだ。今日は代理でね」
「ふうん?」
あまり聞かないがそういうこともあるのだろう、とシュナードは曖昧にうなずいた。
「あんたは?」
改めて尋ねられ、戦士は名を名乗った。
「ふうん」
今度は女が言った。興味深そうな様子だった。
「何だ?」
「〈狼爪のシュナード〉……あんたのことだね?」
ぶっと戦士は吹き出した。
「や、やめてくれ。確かにそんなふうに呼ばれていたこともあったが、昔のことだ」
「爪をなくしておとなしくしているという噂は、本当だったのか」
「もうやめてくれ、まじで」
シュナードは頭をがしがしとかきむしった。
「その呼び名は、王呼ばわりされるのと同じかそれ以上にかゆくてかなわん」
「……何の話だ?」
レイヴァスが目をしばたたいた。
「この男は街道警備隊時代、勇猛で鳴らした戦士なんだ。狼のように鋭く
「ほう」
「あの頃はがむしゃらだっただけだ。あれだけの速さはもう出せない。それに半ば、からかわれてつけられたような呼び名だ。本気にすんな」
「だが剣は捨てていないようだね?」
「まあな。俺にはこれしかないからな」
苦虫を噛み潰したような顔でシュナードは答えた。
(古い話だと思うんだが)
(まさか知られてるとはねえ)
シュナードからしてみるとカチエは「お嬢ちゃん」という感じだ。と言ってもさすがにミラッサほどではなく、ごく普通の表現をするなら「若いご婦人」というところだろう。
(それとも)
(勇ましいご婦人、と言うべきかな)
カチエの左腰には、剣士さながらに細剣が下げられている。「さながら」ではなく、実際に剣士なのだろう。数少ない女剣士という訳だ。
(まあ、女剣士なんてのは、たいていもっとごっついもんだが)
生まれながら体格が大きいとか頑丈であるとか腕力が並外れているとか、何かしらの条件がなければ、女が剣士を志すなどということはまずない。だが少なくとも見た目には、カチエは体格も普通、いや、細いくらいだ。
「もしかしてあんたは、街道警備隊に?」
「いたことはある」
カチエは認めた。
「今日は、様子を見にきた」
「様子だと? 何の」
シュナードは片眉を上げて尋ね、はっとした。
「まさか、ほかにも事例があるのか? つまり、魔物が町んなかに入り込んで……」
「さあ? どうだろう。少なくとも私は聞いたことがないが」
あっさりと返された。
「確かに珍しいが驚くほどじゃないと思うね。――その子が本当に、アルディルムなら」
何気ない調子でその姓は発せられ、思わずシュナードは「その子」レイヴァス・アルディルムを見た。
「……アルディルム」
ゆっくり、少年は繰り返した。
(まずい)
(……か?)
ミラッサの話を全ては信じていないと言い、望むようにしてやる義理もないのだと、何度も思ってきたことは嘘ではない。だが結局、彼はミラッサの話を前提として選択をしてきたかのようだ。
このときもとっさに考えた。
少女の言った、穢れぬ魂――。
「アストール・アルディルムの話か」
両腕を組んでレイヴァスは言った。
「……ふえっ?」
年嵩の戦士の口から、奇妙に可愛らしい声が出た。
「おま……知って?」
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