02 何の義理もないのに
「あー……」
彼は額に手を当てた。
「お前、
「下世話なことを」
「あのな、重要なことだぞ。世の中、金があってなんぼだ」
「下世話だ」
少年は繰り返した。
「さてはお前」
シュナードはじとんとレイヴァスを見る。
「金持ちだな? 金持ちの息子だな? だから金のことに無頓着なんだ。お前な、貧乏人はだな、そりゃもう日々の飯のために苦労してだな」
説教のような愚痴のようなことを言いかけて、シュナードははっとした。
(こいつ、確か)
(両親を亡くしてるんだったな)
ミラッサから聞いた話だが、そんな嘘もないだろう。
「……お前、その、保護者みたいな人物は」
「僕は成人していると何度言えば」
「判ってるさ。だが去年、いや一昨年までは未成年だった訳だろう。親戚とかはいるのか」
「いない」
あっさりと答えが返ってきた。
「つき合いがない?」
「さあな」
「さあな、ってお前」
「知らない。僕はずっとひとりで生きてきた」
「そう、か」
(孤児……ってことか)
(英雄の末裔が……ミラッサの話が本当なら、だが……)
(まさか、英雄の末裔が孤児とはな)
(皮肉なもんだ。遙か昔には称えられ、崇めるようにさえされただろうに)
(その子孫はただひとりで暮らし、こんなふうに)
「すっかりひねくれ、頑固になっちまって」
「何だって?」
「い、いやいや、何でもない」
思わず声に出てしまった気持ちをシュナードはごまかそうとした。
「まあ、だいたい、本当かどうかは判らない。正直、作りごとみたいな気もするしな」
「作りごとだと? 何の」
「あーいやいや」
何でもない、と彼は繰り返した。
「だがまあ、越すためにしても、いま戻るのはやめた方がいいだろうな。もしまた何か現れたら」
「馬鹿らしい。あのようなことが何度も起こるものか」
レイヴァスは一蹴した。
「いや、その油断がだな? 危ういかもしれないだろう。仮に、仮にだぞ、お前が狙われているようなことがあれば」
「成程。今後、お前と一緒に行動しているとまた何者かに襲われる予定か」
「どうしてそうなるっ」
「簡単に推測できることだ」
「邪推と言うんだ、邪推と」
(まずいな。こいつ、俺とミラッサが手を組んでこいつをはめようとしてるって考えに満足しちまってる)
(何とか誤解を正さないと……ん?)
彼は不意の頭痛を覚えたようにきゅっと眉をひそめた。
(待て、俺は何か妙なことを考えてないか?)
(落ち着いて考えよう。俺は別にこいつの護衛じゃない。事情に少々の興味があるのは本当だが)
(こいつが「嫌だ。もう
(そんなことをする必要が?)
ない。
全くもって無い。
答えはすぐに出た。
「おい。レイヴァス」
両手を腰に当てて、シュナードは威圧的に少年を見下ろすようにした。
「何だ」
負けじとレイヴァスも戦士を睨みつける。
「お前の言うことなど、もう――」
「仕方ない。今日はできることもなさそうだ。次の住まいを探すのにつき合ってやる」
「……何?」
「ミラッサのことも今日はいい。あの様子なら、あれっきりってこともないだろうからな。近いうちにまた接触してくるさ」
「何を言っている?」
「だからだな」
「どうしてお前につき合ってもらわなくてはならない」
「そりゃ、家を借りる交渉なんてガキひとりじゃなめられるに決まってるからだ」
「僕は子供じゃ」
「はいはい、お前さんは立派な成人だよ。だが世間では年が若けりゃ子供扱いされるってことくらい判るだろう」
(あの家はどうやって借りたのか知らんが)
(おそらく、
親に捨てられた子供は、大まかに二種類の道を歩む。食べるために盗みに手を染め、後ろ暗い道を行くか。それとも運よく神殿に拾われて養い親を見つけてもらうか、或いは成人まで面倒を見てもらって、親元で育った子供と変わらぬ道を行くか。
レイヴァスは後者だったのではと思われた。そうでなければあんな優雅に本を読んで暮らしてなどいられないだろうと――。
(そう言や、こいつ、仕事をしている様子がないが)
(……孤児じゃなくて、本当に金持ちの息子か何かか? 遺産で暮らしてるとか)
次にはシュナードはそんな想像をした。だがいまは尋ねるには向かない。予想が当たれば当たったで、また面倒臭い反応が返ってくることは簡単に予測できたからだ。
個人的な話を聞くことはあと回し、或いは別に聞かなくたっていい。
興味がない訳ではないが、いま余計な詮索をすれば絶対についてくるなと言うだろう。
何故、断られても退かないのか。何の義理もないのに。
理由はいくつかあった。
ひとつは、先にも言ったように「いったい何が起きたのか、起きようとしているのか気になる」という一種の好奇心。
もうひとつは。
(腹の立つ生意気なガキだが、縁あって関わった)
(あとになって……あんとき、戻ってりゃよかったなんて悔やむのは)
(もうご免だ)
痛い記憶が心をかすめた。
十年以上が経ったいまでも、思い出せば苦い。誰もが彼のせいではないと、あれは事故だと言ったけれど、いや、彼自身も一種の事故、仕方のなかったことだと思うのだが、それでも彼の選択がひとつの命を失わせたことは事実だ。
シュナードが戻らなかったことで、命を落とした者がいる。一緒にいたなら、守ってやれたのに。
そのときのことをきっかけに、シュナードは街道へ出ることをやめた。
自分が誰かを守るのはやめて、誰かを守りたいと思う若者たちの力になることにした。
もう、自分が失敗するのは、嫌だったから。
だが――。
「お前の手など必要ない」
もっともレイヴァスはきっぱりと拒否した。
「まあ、そう言うな」
彼は気楽に、またはそれを装って、肩をすくめた。
「便利だぞ? 俺の手があったら」
「護衛の押し売りか」
少年は苛立たしげになった。
「判ったぞ。今度は僕に鞍替えしようと言うんだな。金を持っていそうだと思って」
「なあ、レイヴァス」
シュナードはにやりとして見せた。
「お前の『判ったぞ』は当てにならんなあ」
外してばかりだと笑ってやった。案の定と言うのか、レイヴァスは苛ついたような表情を浮かべる。
「僕を愚弄する気か」
「何でもかんでも噛みつくな。お前、知恵者を気取るならむしろ、懐深く受け入れる方がいいぞ。その間にじっくり考えるんだ。相手がお前を騙せたと思えば油断してぼろを出すかもしれん。本当に正直者だったなら、怪しまれても仕方ないのに信頼してくれた、賢い人だ、となる」
「訳の判らないことを」
もちろんレイヴァスは感心しなかった。
「それで言うなら、僕は一旦、お前の話を聞いたところだ。それでお前がぼろを出した。以上だ」
「だあっ、もう、いざとなったら得意の魔術でも何でも使って俺を追い払え! だがいまは利用すりゃいい、年齢と人脈だけはあるからな」
「人脈だと」
少し馬鹿にするような笑いがきた。
「訓練所だ警備隊だと地味な人脈だが、ないよりゃましだ。それに戦士連れとなりゃ箔もつく。ほーら、お得がいっぱいだぞ?」
「お前の得は」
少年は両腕を組んだ。
「〈損得の勘定〉という言葉があるな。利益を得られる目算もなく損を申し出る者はいない」
「じゃあ俺を雇え」
言葉は自分でも驚くほどさらりと出てきた。
「報酬は後払いでいい。あとになってお前が、俺が必要だったと納得したら、お前が見合うと思う分だけ払ってくれればいい。もちろん、要らなかったと考えたならただ働きで結構」
「意味が判らないな」
「そうか? 明瞭だと思うが」
「『言葉の意味』なら無論、判るとも。だがお前の得には思えない。仮に、仮にだぞ、お前が僕の命を救ったと、僕自身疑いようもなく納得できる事象があったとする。しかし口先では『お前は不要だった』と言えば?」
「へえ?」
シュナードは目を見開いた。
「お前さんはそんな、ケチ臭い
「断じてしない。たとえ話だ」
「『断じてしない』なら、たとえる必要もなかろ」
彼は手を振った。
「お前は、金なんて下世話な事情で自分の思いを偽ったりしない男だ。俺はそう信じてる。何か違うか?」
いささか気恥ずかしいような台詞を言ってやれば、レイヴァスは思いがけない反応を見せた。
わずかだが、頬を赤らめたのだ。
「ぼ……僕は、そうだな、詐欺師なんかじゃない。下らないごまかしなどするものか」
(おお)
(思ったより、よいしょが効いたな?)
(うんうん、なかなか可愛いもんじゃないか)
散々「可愛くない」と考えてきたことを脇に置き、シュナードはこっそり満足した。
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