05 本当に、それで
「とにかくあなたには、彼に剣術を教えてもらいたいだけ」
「もう一度だけ、言うが」
シュナードは嘆息し、それから思い切り息を吸った。
「やる気のない奴に教えるのは、無理だ!」
腹から思い切り、声を出す。
「説得して」
大人の男でも身をすくませそうな怒声を浴びて、しかし少女はさらりと言った。
「はあっ!?」
「彼を説得して」
「あのなあ」
頭痛がしそうだった。
「何で! 俺がそこまで!」
「私の言うことはもう聞いてくれないのよ!」
少女は怒鳴り返した。
「突然現れて、身が危険だから剣術を習うようにと言い出す女のことなんて信用できなくても当然でしょうけれど」
「待て」
シュナードは片手を上げた。
「突然?」
「何よ」
「お前さん、あいつの知り合いじゃないのか? つまり、関係はどうあれ、前から面識が」
「レイヴァスと初めて会ったのは、三日ほど前よ。居場所を知って訪れたの」
「三日!?」
彼は口を開けた。
「そりゃ、俺があいつでも拒絶するさ。いきなり現れた見ず知らずのお嬢ちゃんに訳の判らんことを言われたら」
「話はさっきの通りよ。彼は」
「はいはい、英雄の末裔ね。だが当人はその話を知らないんだろう?」
「伝えることはできないの」
「はいはい、何だっけ? 純真な魂?」
「穢れぬ魂!」
憤然とミラッサは訂正した。だいたい合ってるじゃないか、と思ったシュナードだがそうは言わないことにした。
「しかし意味が判らん。自分が英雄の血を引くと知ったら穢れるのか?」
「血筋に頼って試しにくる者など、岩が認めないわ」
「はいはい、岩が……岩?」
またしてもシュナードはぽかんとした。
「今度は何だ。何のお話だ」
「物語ではないわ! でもこれ以上、お前に話すことはない!」
「おいおい」
勘弁してくれ、と彼は肩を落とした。
「あんたは俺に仕事をさせたいのか、させたくないのか、どっちだ」
「しなさいと言っているでしょう」
どうにも「依頼」でなく「命令」としか思えない調子だ。苦笑すればいいのか怒った方がいいのかシュナードは迷う。
「なら覚えるんだな」
だがシュナードは声を荒らげず、ただ顔をしかめて説教するように言った。
「あんたは依頼人だが、同時に仲介者でもある。俺が必要だと言いながら俺の機嫌を損ねるのは、巧くないな」
「お前の機嫌を取れと言うの?」
「有り体に言えばそういうことだ。何も揉み手をしてひざまずけたぁ言わないが」
「ひざまずけですって! 無礼な!」
「だからそうは言わんと言ってるだろうが」
噛みつくような勢いのミラッサをシュナードはなだめるように両手を挙げた。
「とにかく。自分の希望を通したけりゃ、時には譲歩も必要だと覚えとけって話だ」
(疲れるお嬢ちゃんだ)
泣いたり怒ったり、忙しい。
(さっきの涙が演技だとしても、本心から望んでる。真偽はどうあれお嬢ちゃんは危機感を抱いてるってことには、なりそうだな)
(しかしまじで、ずいぶん、育ちがよさそうな)
「無礼者」などという叱責はそうそう出てくるものでもない。ごっこ遊びでも「お嬢様を気取っている」のでもなく、自然と発せられているようにも思える。
(もしかしたら貴族のお姫様なのかね?)
最初の印象で「それほどではない」と判定したが、誤りだったかもしれない。
(だが本物の箱入り姫様なら、そうそう気軽に出歩けんだろう)
(とすると、下級貴族の二番目とか三番目とか)
(まあ、どうでもいいか)
彼は頭をかいた。自分には関係ない。
「正直に言って、お嬢ちゃんの暇つぶしにつき合うほど暇じゃない」
「暇つぶしですって!」
「怒鳴るな」
顔をしかめ、彼は片耳をふさいだ。
「つき合わされるレイヴァス少年には気の毒だが、まあ、あいつはいつまで
「次ですって。遊びだとでも思っているの。いい加減に」
「俺はもう本当に、この辺で勘弁させてもらう。面白い『お話』だった。じゃあな」
今度こそ、と決意してシュナードは踵を返した。
「シュナード!」
ミラッサの大声が響くが、心のなかで耳をふさぐ。ここで足をとめたら繰り返しだ。
(少々気の毒な気もするが……いや)
(気の毒なのはやっぱり、レイヴァスの方だな)
レイヴァスの生意気な様子には腹を立てたが、状況を知れば同情心も湧く。ミラッサと、「彼女の連れ」に見えたであろうシュナードに対してつっけんどんな態度を取るのも当然だ。
(もう忘れよう)
彼は首を振った。
(所長に怒鳴られるか、嫌味のひとつふたつを言われるか、本当に違約金を取られるか、それくらいは我慢して)
(明日からまた元通り)
(いつもの生活を)
朝に目を覚まし、着替えをして少し身体を動かし、訓練所に行って自分の札をひっくり返し、時間に合わせてやってくる教え子たちの相手をして、昼の休憩では通いすぎて飽きた食事処で飯を食い、また訓練所に戻って剣を振り、時間がきたら札をもとに戻して外に出て、公衆浴場で汗を流して、寝るだけの自宅に戻る。
平穏で何もない日々。
身の危険もなければ、ろくな刺激もない日々。
それでかまわないと――それを選んだつもりで。
「シュナード!」
何度目になるのか、少女の叫び声がする。
「本当に、それでいいの!?」
(……本当に)
つきん、と何かが胸に引っかかった。
(本当に俺は、この日々を望んでいたのか?)
(俺は)
シュナードは首を振った。
(――いや。いいんだ)
(多少は、日常と違うことがあってもいい。そうさ、郊外に訓練に出向くくらいはな)
(だが気まぐれなお嬢ちゃんの遊びにつき合うのは範疇じゃない)
彼は今度こそ振り向かなかった。
夕日が彼らの足元に長い影を伸ばしていた。
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