04 ますますお断りしたい
しばらく、彼はぽかんと口を開けていた。
「そりゃ……その、何だ」
それから目をぱちぱちとさせ、どうにか言う。
「すごい話だ。伝説の英雄の子孫か。うん、すごい。見事。感動した」
そして次は手の方をぱちぱちとさせた。しかし、そのいかにも気がない様子はミラッサによく伝わった。
「冗談を言っているんじゃないのよ!」
少女は癇癪を起こしたように叫んだ。
「レイヴァスは、とても重要な存在なの!」
「本気なら本気で、ますますお断りしたい話だ」
げんなりとシュナードは言った。
「だいたい、どうして英雄の末裔が命を狙われる? おかしいじゃないか」
「何もおかしくないわ」
ミラッサは首を振った。
「――魔術王とその配下たちは、アストールの血筋に復讐を誓っている」
「あー……成程ね」
そうとでも言うしかない。
(このお嬢ちゃんが妄想狂には見えんが、もし仮に、万一、本当の話なら)
(それはそれで遠慮したい)
たいそうな冒険に憧れたのは昔のことだ。いまは自分の領分を守って細々と暮らしていければそれでいい。訓練所を離れて子供に指導する程度の「日常からの逸脱」はかまわないが、伝説級の物語に関わる気はない。
「ほかのを探せ。な?」
少し膝を曲げ、目線を合わせてそう言ってやる。子供扱いに少女がむっとしたのはすぐ判った。
「馬鹿にして――」
細い右手が上げられた。
「おっと」
彼も素早く左手を上げ、少女の手首をぱっと――力を込めすぎないように――掴んだ。
「依頼放棄は謝罪する。違約金を払えと言うなら、まあ、常識程度には払うさ。だが」
シュナードは首を振った。
「殴られてはやれないね。女に平手打ちされるのは、品のないことを言ったときや、見込み違いのキスのあとだけで充分」
「放しなさい、無礼者!」
「無礼者ときたか」
苦笑してシュナードは少女の手を解放した。
「あんた、どこのお嬢さんなんだ? いや、もうどうでもいいか」
それじゃな、と言って彼は再度踵を返した。
「ま、待って!」
ミラッサも再度彼を呼んだ。だが今度の声は先ほどのものと異なり、焦りの色を帯びていた。
「本当に、放棄するつもりでいるの?」
「ああ」
「ど、どうして! 報酬は充分のはずよ」
「どうしてもこうしても、言っただろ? 学ぶ気のない相手にどうやって教えられる? あのガキがご本を読んでる前で俺が模範演技でもしてりゃいいのか?」
彼は振り返りもせずに言った。
「それでも報酬をくれるってんなら、まあ、俺の自尊心にさえ目をつぶれば悪い話じゃないかもしれん。だがそれじゃ意味がないんだろ? それに」
苦い顔をしてシュナードは続けた。
「伝説の英雄だの、刺客に命を狙われるだの……冗談みたいな話だ。いや、待て。怒るなよ。仮に本当ならそれはそれで面倒臭い。ほかを当たってくれと言ってるんだ」
「どうして!」
ミラッサは繰り返した。
「だから、だなあ」
無視して行ってしまってもいいのだが、ついついシュナードはまたしても振り返ってしまった。
「え……」
そこで彼は絶句する。
「どうして、そんなことを言うの? わた、私は、これをと、とってもいい話だと思っ……」
「ま、待てっ。何で泣くっ!?」
少女の瞳からは大粒の涙がこぼれていた。驚いたシュナードは声を裏返らせた。
「だ、だって。あな、あなたは、立派な戦士なのでしょう? 訓練所で、一番と言われるような人だもの。そん、そんなところでくすぶっているのは、き、気の毒だと」
しゃくり上げながらミラッサは話す。シュナードの方こそ焦りはじめた。
「変な誤解すんな! 所長の言葉、覚えてないのか? 俺より強い戦士なんてほかにもいる。ただそういう連中は、人を教えるのには向かなかったりするんだ。できる奴ってのは、できない奴が何でできないのか判らないもんで」
彼はあたふたと続けた。
「その点、俺はもともと、せいぜい二流ってとこだ。あちこちで引っかかってつまずいて、そのたびに何かしら工夫をしてやってきた。そういうところが指導に向くらしい。初心者どもがどこで壁に当たってるのか判るからな」
そうなのだ。彼は決して「凄腕の戦士」などではない。街道を歩いていた時代も、そんなふうに自惚れたことはなかった。剣を振り回し、魔物や獣を退治することでしか日銭を稼げないからそうしていただけで、志も特になかった。
だから、ちょっとしたことをきっかけに、簡単に引っ込んだのだ。
(そうさ。人間、命あっての物種だ。死んじまったら何にもならない)
(俺は生き延びるために街道暮らしをやめて、訓練所で働いてきた)
(運がよかった。身と心をすり減らしながら危険な日々を送る生活から抜けられたんだ)
(俺は運がよかった)
「シュナード」
少女が彼を呼ぶ。
「本当に?」
「何?」
「本当に、そう思っているの?」
「な、何を」
本当に運がよかったと思っているのか。本当に、訓練所で働く日々に満足しているのか。
そう問われた気がして彼は一
「あなたは二流なんかじゃないわ。素晴らしい才能を持つ人よ」
「な、何だよ」
彼はむせそうになった。
「おだてようってのか? さっきまで散々言ってくれてたようだが」
「剣技に長けただけの戦士が一流? そうは思わないわ。たとえどれだけ見事な技術を持っていたって、挫折して崩れるような『天才』では困るの。つまずいても壁に行き当たっても、自分の力で立ち上がり、それを越える人でなければ」
「『俺が』越えたからって別にあんたに関係ないだろう」
口の端を上げて彼は指摘した。
「そうよ」
あっさりと少女は認める。
「彼に越えてもらわなくちゃならない。そのためにはあなたが必要だわ」
「俺じゃなくたっていいだろうと言ってるんだよ」
「時間がないの! もうほかの戦士なんて探していられないわ!」
ミラッサは苛立たしげに叫び、シュナードは片眉を上げた。
「いささか、本音が出たようだな。さっきのは嘘泣きか、なかなか見事だったぞ」
思わず足を止めてしまったのは事実だ。
「そんなこと」
少女は鼻を鳴らした。「そんなことはない」なのか「そんなことはどうでもいい」なのか、シュナードには判別しづらかった。
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