英雄の末裔を探して

一枝 唯

第1章

01 訓練所でいちばんの戦士

 こんな場所を訪れる運命ではなかった。そのはずだった。

 冒険心なんて失って久しい。

 ならば、どうして彼はここにいるのか。

 それは、たまたま。

 ちょっとした成り行きで。

 過去の痛みを引きずり続けていたせいで。

 何にせよ、彼ひとりならば、進んでやってきたはずはなかった。

 黒曜石のように黒く輝く魔の宮殿に足を踏み入れた戦士は、彼自身の宿命をまだ何も知らずにいた。


 かつては、彼にも夢があった。

 剣一本を手に大陸中を巡って大きな冒険を果たし、人々に感謝されて英雄と称えられる。そんな子供じみた夢が。

 とは言え、本気で夢見ていたとは言いづらい。「そんなふうになったらいいな」という、ぼんやりした妄想のようなものだ。十代の頃ですら、口に出すのは気恥ずかしかった。三十を越したいまとなっては、推して知るべし。

 いや、いまではそうした気持ちもだいぶ色あせた。もう判ってしまったのだ。「そんなふうになるはずはない」、「自分は英雄なんて器じゃない」と。

 その現実には時折切なさのようなものも感じるが、仕方がないとも思うようになっていた。全てが眩しく全てが新鮮で刺激的だった日々は終わったのだ。終わってしまうとの予告もないまま、気づけばいつの間にか終わっていた。

 いまや世界は、長年着用し続けた上着のようにいつしか古ぼけ、くすんでしまって、何の刺激も面白みもない。

 だがそれでも彼は生きていたし、生活のためには地味であろうと仕事をして、日々を過ごしていかなければならなかった。たまには少し変わったことでもあるといいなと、その程度の気持ちで。

「よう、ここにいたか、『王陛下』」

 そのからかうような呼びかけに彼はうんざりしていたのだが、そこは隠すのが大人と言うもの。余計なことは言わず、ただ振り向いた。

「何か用か」

「所長があんたを呼んでたぜ」

「ああ? 何でまた」

「知るか」

 声をかけた男は肩をすくめた。

「お前を見つけて、至急呼んでこいとさ。早く行ってやれよ」

「一体何なんだ。まさか」

 焦げ茶色の髪をかき上げて、彼は鳶色の目を細めた。

「解雇通告じゃなかろうな」

「さあね。内容は知らんと言ったろ。だがお前さんはこの訓練所じゃ評判のいい指導教官だ。クビってことはないんじゃないか」

「だといいが」

 しかめ面で彼は返した。

「今更、街道で魔物退治なんてしたくない。あんな危険はこりごりだ」

「若いのを鍛えては送り出してるくせに、よく言うよ」

「そりゃ、あいつらがそうしたいと言うから鍛えて送り出してやるんだ。そのあとで奴らが負傷しようと死んじまおうと、俺の責任じゃない」

 若者が夢を見るのは仕事みたいなものだが、それを叶えようと行動すれば痛い思いも味わうものだ。しかし、痛みも苦しみも耐えて乗り越えた者がみな夢を叶えられる訳でもない。現実は非情である。

 もっともそれは体験して知ることだ。若者は痛みを覚えてきたらいい。彼はそうしたことを言い放った。

「ま、とにかく行ってこいよ、シュナード」

「判った」

 うなずくと彼は踵を返した。

(やれやれ)

(本当に俺が王陛下だったら、こっちが呼びつけてやるんだがなあ)

 彼の名はシュナード・イーズ。

 「シュナード」というのは昔の偉大な王の名だ。そんな名を息子につけた両親に災いあれと、シュナードはよくそんなことを思った。それだけ立派になってほしいという願いが込められていたのだろうが、思春期には重いばかりだったし、ろくな――英雄のような――業績もないままであれば、からかわれるばかりだ。

 もっとも、その両親もとっくの昔に土の下だった。シュナードの妹は故郷から離れた小さな町で夫や子供と幸せに暮らしているはずだが、手紙のやり取りひとつないまま十年以上が経っている。シュナード自身には妻も子もない。妻にと望んだ女はいたが、彼女を失ってからはときめきひとつ覚えないまま、やはり十年は経ったろうか。数えると気が滅入るので、考えないようにしていた。

 いまの彼の暮らしに、大事なものは何もない

 だがそれでいい。喜びがない代わり、苦しみもない。独りでただ日々を過ごしていく生活は、とても気楽だ。

 寂しさを覚えないと言えば嘘になるが、そんなときは春女を買って、酒を飲んで、寝てしまう。それがいちばん。

 それでいい。

 彼はそう思っていた。

「シュナードだ。入るぞ」

 目当ての扉を乱暴に叩くと、シュナードは無造作にそれを開けた。

「俺に用事だとか」

「おお、シュナード。きたか」

 訓練所の所長は顔を輝かせた。彼もかつては剣を持って戦う者だったが、このカシェスの町で剣を学ぼうとする若者たちに場を提供するようになってから長い。

「実はお前に頼みたい仕事がある」

「そりゃよかった」

 解雇ではないようだ、とシュナードは胸を撫で下ろした。今更新しい職場を探すのは面倒で仕方ない。

「よかった?」

「いや、こっちの話だ」

 彼は手を振った。

「シュナード・イーズ。……この男が?」

 細く高い声がした。そこでシュナードは、部屋に所長以外の人物がいたことにようやく気づいた。

 右脇に設置されている長椅子は右側に向かって座るようになっているのだが、そこに立て膝でいるのだろう、背もたれの部分に肘を突き、頬杖を突いてこちらを見ている者がいる。

 ぱちぱちとしばたたかれる大きな緑眼。茶色く長い髪はくるくると巻いている。シュナードも同じように目をしばたたいた。この訓練所ではとんと見ない人種だったからだ。

「何だ? このお嬢ちゃんは」

 十代の後半と見える少女。実に似つかわしくない。女剣士や、剣の道を志す娘も皆無ではないが、この少女はとても剣士志願には見えなかった。

「人探しか何かか? 戦士キエスになると言って家を飛び出した兄ちゃんを探してるとか」

 彼は適当なことを言った。

「いいや」

 所長が答える。

「依頼人だ」

「はあっ?」

 再び所長の方を向いてシュナードは素っ頓狂な声を出した。

?」

「そうだ」

 所長はうなずいた。

「そうよ」

 少女も同様にする。

「私は、この訓練所でいちばんの戦士を探しにきたの。シュナードという人物だと聞いたわ」

「おいおい」

 彼は苦笑いを浮かべた。

「何の冗談だ。俺ぁそんなおだてには乗らんぞ」

「顔が笑ってるようだが」

 にやりと所長は指摘し、シュナードはこほんと咳払いをした。

「それで、いちばんの戦士にどんな用なんだ?」

 彼は少女の方を視線を戻した。

「子守りは専門じゃないんだが」

「失礼ね。私のどこが子供だって言うのかしら?」

 少女は憤然と――椅子の上に――立ち上がった。

「いい大人はそんなところに立ったりしないもんだ」

 シュナードが言ってやれば少女は顔を赤くしたが、恥じらいのためと言うよりは指摘された事実に理不尽にも腹を立てたというところだろう。

「その辺にしておけ」

 所長がたしなめた。

「きちんとした紹介状もある。依頼金もな」

「依頼金、ね」

 ゆっくりと彼は繰り返した。

 少女の身なりは、なかなか立派だった。見るからに上質の衣服、年齢にいささか不似合いな耳飾り、それに労働を知らなさそうな白い指。

 貴族の娘と言うほどではないが、ただの平民という感じはしない。

「裕福なお父ちゃんから小遣いをせびったか? ん?」

 じろじろと見つめて彼は口の端を上げた。

「シュナード」

 再び所長がたしなめる。

「滅多な口を利くなよ。魔術師協会長リート・ディラスからの紹介だぞ」

「何だって?」

 彼はぽかんと口を開けた。

 生まれながらに不思議な力を持つ魔術師リートたちは、人々から胡乱に思われることが多い。黒いローブを身にまとった「あいつら」は「不吉」で「忌まわしい」と後ろ指を指されるのだ。シュナードにはあまり偏見がないが、魔術師連中というのは何を考えているか判らないという印象は持っている。

 協会と言われる魔術師たちの組織は、ますますもって胡乱だ。

 基本的にそれは所属する魔術師のために存在するが、ちょっとした魔術の品を販売したり、「不思議な出来事」の相談に乗ることもある。しかし利用料金は高いし、やはり何よりも不吉に思われ、人々は滅多に訪れない。シュナードも一度ばかり足を踏み入れたことがあるくらいだ。

魔術師協会長リート・ディラスってのは、魔術師協会リート・ディルの、ディラスか?」

「ほかに何があるって言うのよ」

 少女は呆れたように問うた。

「いや、何もないと思うが、一応な」

「所長。本当にこの男で大丈夫なんでしょうね?」

 詰問するような声音で、彼女は所長を見た。

「もちろんだ。『ただ強い戦士』ならシュナード以上の人物もいる。だが指導という面を加えると、こいつがいちばん適任だろう」

「ってことは、依頼は剣の指導か」

 彼は少しほっとした。面倒なこと――たとえば、このお嬢ちゃんに付き添ってどこか遠くまで行く護衛であるとか――でなくてよかった、と思ったのである。

「誰を指導するんだ? まさかお嬢ちゃんじゃないだろ?」

 こんな小娘の細腕では剣を振り上げることだってできまい。

「もちろん、私じゃないわ」

 幸い、そうした返答がきた。

「ただし、これ以上話をするからには、引き受けてもらいますからね」

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