マーガリンガール

伴美砂都

マーガリンガール

 「ストレス発散って何してる?」

 「いっぱい食べちゃう」

 「やっぱ、食べるよね!」

 「何食べる?」

 「チョコレートとかかな」

 「私はご飯!」

 「太るのわかっててもね」

 「ね〜!」


 社食での昼休みの、いつもの会話だった。


 「加藤さんは?」


 ふたつ離れた席で魚フライ定食を食べていた加藤さんに話を振ったのはユッコだった。

 一瞬の沈黙が起きた。ユッコ、勇気ある、と小さな声で誰かが言った。


 加藤さんはわたしたちと同じ総務課だけど、誰とも仲良くない。

誰とも仲良くない加藤さんは、合コンに誘っても来ない。そもそもあまり喋らない。お昼も誘っても来ない。そのくせ、気がつくとわたしたちの食べている席から微妙に離れたところに座っている。かまってほしいんじゃないの、と言っていたのはミワだった。


 「マーガリン」

 

 「え?」

 「だから、マーガリン」


 話し声が響いているはずの社食全体が一瞬しんとした気さえした。

加藤さんは縁のないメガネを箸を持った右手の中指でくいっと押し上げて抑揚のない声で言った。


 「マーガリンに、砂糖入れて食べるの」


 まじで、と誰かが呟いた。



 帰り道、スーパーに寄った。年末調整の関係で総務課は忙しくて、この時期はいつも残業になる。

テナントのお惣菜屋さんで、サラダとお弁当を買った。

乳製品売り場で足が止まる。

加藤さんが食べているマーガリンは、どれだろうか。

一番小さいものを、かごに入れた。


 家に帰って、テレビを見ながら夕食を摂った。

一人用の小さいテーブルの上をすっかり片付けてから、マーガリンを取り出した。

パッケージの裏を見る。低脂肪のものを選んだとはいえ、カロリーは相当高い。ましてや、砂糖なんて入れたら、もっとだろう。


 加藤さんは痩せている。給湯室で薬缶をもつ手は骨ばっているし、制服のベストの下に着るシャツを皆が半袖にする夏もずっと長袖なのだけれど、それでもその下の二の腕に脂肪は殆どなく見えた。

 

 マーガリンと砂糖は、加藤さんの中で一体どこへ行くのだろうか。


 マーガリンのパックを開けて、銀紙を剥がす。砂糖をスプーンで掬ってその隅に載せ、そっと混ぜる。さっき拭いたテーブルに少し砂糖が溢れた。


 スプーンを口に入れるとじゃりりと想像通りの感触がした。直接的な甘さと、少し塩っぱい油っぽさが舌に広がった。

口の中で少し溶けるのを待ってから飲み下した。喉もとを通る瞬間、少し不快な感触。


 加藤さんの肩で切りそろえられた黒髪と目の上ぎりぎりの前髪を思った。

 縁なしの眼鏡に、化粧気がなく口紅だけ色が濃くて、ちょっとどうかと思うと皆に陰口を叩かれている顔を思った。

 

 さっき砂糖をかけたところの周りにまだ半透明の粒が点々とくっついている、そこだけこそげ取るようにしてもう一回口に運んだ。軽い吐き気を堪えて飲み込む。

加藤さんは、これを一回にどれだけ食べるんだろう。

加藤さんは、今この時もこれを食べているんだろうか。


 加藤さんの、早口で少し偉そうな喋り方を思った。ふたつ離れた席から、ちらとこちらを見る視線を思った。


 加藤さんはどんな顔でこれを食べているかな。


 マーガリンの蓋を閉じた。テーブルに落ちた砂糖の粒を、拭くこともせず、わたしはしばらく眺めていた。

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