第二回『昼の飲食店が舞台の話。台詞は「良かった」』

からん、と乾いたベルの音が響く。「いらっしゃいましー」とやる気があるんだか無いんだかわからない店員の声を流しながら、目当ての人物を探す。先にこのレストランで待っている、とメールにあったのだが……。

「……、ぁ」

少し首を左右するだけで、黒髪の美人と目が合った。この件の依頼主だ。

「一名さまですかー?」

「いえ、あの席の人と待ち合わせてまして。あ、コーヒーひとつ」

かしこまりでーす、と敬語とため口を足して割ったような言葉使いの店員が少し気になりながら、依頼人の彼女の対面に座る。これまで調査の結果報告をするために。

「今日までありがとうございました、探偵さん」

「いえ、私は依頼を受けて仕事しただけですので」

「でも、こんなこと、お願いできる人って、限られてるから……」

「まぁ、だから私達のような商売が成り立つんでしょうな」

この仕事を始めてそれなりだが、今回のような人妻から依頼がくる場合は九割方「夫に関しての調査」と相場が決まっている。なかでも、

「それで、夫はやはり……」

「はい。残念ながら……こういうお写真が、撮れてしまいました」

封筒から出した写真には、ファッションホテルに入っていく男女の姿が写っていた。依頼主の夫と、依頼主ではない女性だ。

「あぁ、これは……うぅ……」

依頼主が写真を受け取ると、ちょうど店員がコーヒーを持ってきた。言葉使いだけでなくタイミングも微妙とは……そういうサービスなのだろうか。そんなこと気にする余裕もないのか、依頼主は写真を見つめてはらはらと涙を溢している。

夫に関しての調査の九割方は、いわゆる浮気調査である。

仕事上こういった場面には、言い方は悪いが慣れてしまっているので情が動くことはない。熱血漢な探偵は漫画の世界にしか存在できないのだ。

探偵として次に取るべきアクションは「今後の依頼の話を振る」だ。要するに、裁判したいならお手伝いしますよー法に触れない範疇でねーとお誘いをして、新しい依頼契約をして報酬を取る。冷たいかもしれないが、それがこちらの商売なのだ。

……だが、自分達なんてまだまだぬるま湯だと思う程に、現実はゾッとする程に冷たくもある。

「良かった」

ひとしきり静かに泣いた後の第一声が、それだった。さすがに探偵業やってそれなりな自分でも、初めての展開である。

「えっと……あの?」

「あ、いや、そのっ……いやだ私ったら。ごめんなさい、変なこと言ってしまって」

「いえ、それはおかまいなく……ただ、意外だったもので」

「まぁ……そうですよね。でも、本心ですよ? だって、これであの人と『別れてあげられる』んですもの」

「……ふむ」

やはりコーヒーを頼んでおいて正解だった。こういう「なんて返したらいいのかわからん時」に、それっぽく頷きながら一杯啜れば適当に流せる。ちなみにコーヒーの味は微妙だった。なんなんだこの店。

「あの人、私じゃ何もかも満たしてあげられないみたいで、別れたがってる雰囲気は感じてたんです。でも、優しい人だから、言い出せないみたいで……これで、私から切り出すことができます」

ありがとうございました、そう言って報酬の入った封筒を差し出し、依頼人はレストランを後にした。ご丁寧に伝票まで持って行ってくれた。

「はぁ……あぁ、君。ランチメニューのAセットひとつ」

近くを通った店員の女性に追加の注文をする。少し遅めの昼飯になったが、想定より早かったくらいだ。

「はい、Aセットですよー」

そう言いながらさっき注文した女性店員が、頼んでたランチセットと頼んでいないパフェを持ってやって来て、挙げ句の果てにさっきまで依頼人がいた席に座った。いや仕事中だろ、君。

「いいんですよ、さっきお昼の休憩入りましたし。店長にも『先輩のこと』は言ってありますから」

そう言いながら自分で持ってきたパフェをパクつき始める。まったく……こんなゆるい感じでよく成り立ってるよな、このレストランは。

「これくらいゆるいところがあってもいいんですよ、今の世の中は。それより、今回の件ですよさっきの女!腹立つわーあの猫被りビッチ……」

「いくらなんでも口悪過ぎんだろ、微妙な味の飯が不味くなるからもう少しだけ改めろ。……それで、そっちはどうだった? まぁその様子じゃ聞くまでもないが」

彼女はとある依頼で知り合ってからうちの事務所に転がり込んできた、探偵助手みたいなものだ。今回の依頼について別の角度から調査させていたのだが、概ね予想通りの結果だったらしい。

「なぁにが『これであの人と別れてあげられる』ですか! てめぇこそ旦那以外の、それも旦那の会社のライバル企業のエリートに股開いてるくせに! かーっ、パフェが止まんねぇです!」

「この何もかもが微妙な店のパフェをよくそんなに掻き込めるな、おまえ……」

「『糖分を流し込む』という行為に集中できるからいいんですよ、ここのパフェは! それに私のお金じゃないですし」

「は!? おまえ諮ったなこのクソアマ!」

「きゃー、お客さまおよしになってー」

「テメッ……はぁ、わーったよ、ったく……」

「それで、今回の件はどうするんですか? あの女、強請ればもっと取れるんじゃ?」

「いいや、やめとけ。この先は見れば見るほど割に合わねぇよ。忘れたか?」

「まさか。『薄氷を踏み抜くな』ですよね?」

ちょうどパフェを食べ終わり、また店員としての仕事に戻った彼女を一瞥した後、ランチとパフェ分の会計を済ませて店を出た。

「薄氷を踏み抜くな。その下にある地獄に落ちる様を見て、ただ注意して歩け。……あいつもやっと一人前に探偵として『冷めて』きたんじゃねーの」

一歩踏み外したら闇かもしれない、そんな微妙な綱渡りを生業とするんなら、地獄より生ぬるい場所に浸かってるくらいがちょうどいいからな。


《完》

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