♯11 再度。

 朝、目を覚ますと佳香さんがいた。


 「おはよう寝坊助」

 「...え?」


 いきなりのモーニングコールに驚き、思わず僕はベッドからずれ落ちた。ズシンと体がフローリングに当たると、何が何だか分からずに、僕は見慣れた六畳一間を見渡した。どうやらここは僕の部屋で合っているらしい。


 佳香さんはベッドから転落した僕を、バラエティー番組のドッキリでも見ているかの様に、ゲラゲラ笑っている。佳香さんの姿を探すも、どこにもいない。

 と、いうことは。


 「どうして僕の中にいるんですか?」


 笑われた事に対して腹を立てた僕は、再度起きた同一化を軽く一蹴して、憮然?(今は言葉が合ってるかなんてどうでもいい)とした態度でつっけんどんに質問した。


 「私もさっき気が付いたからよく分からんのだよ」


 声がまだ引きつっている。実際に佳香さんの姿が見えるわけではないが、ニヤニヤしている姿は容易に想像できた。どうやら同一化はまだ終わっいないらしかった。しかも今度は僕だ。


 「もう訳がわかりませんが、とりあえず、おはようございます」


 「おは〜」


 一週間ぶりに会えて?正確には会っていないが、とにかく、今はじわじわと嬉しい気持ちが押し寄せて来てしょうがなかった。それを悟られない様にしようしたけれど、感情はダダ漏れの様だ。


 「なんだか嬉しそうだね」


 含みのある言い方だ。悔しいけどその通りだった。この一週間、なんで給水塔に来なかったのか。なんであの時逃げたのか。そんな疑問も吹き飛んだ。


 僕は寝起きで回りの悪い頭を無理に回転させる。 


 「今回も寝たら終わるんですかね?」


 僕は上半身を起こし、安直な考えを投げかけた。


 「じゃあ寝る?それとも雑談と洒落込むかい?」


 雑談はともかく、寝るのは確かにいい提案ではあると思う。けれど、僕にはそれが出来ない理由があった。


 「寝るのはダメです、僕はこれから学校があるんで」


 「渉くんそういうところ、バカに真面目だよねぇ」


 確かにそうだと思う。仮病で休むことは出来るかもしれない。でもそうすると、両親を心配させてしまうかもしれない。それは嫌だ。それに、1日くらいなら佳香さんが僕の中にいても、問題ない様に思えてしまう。素直に言葉にすると、今は嬉しい。


 「佳香さんこそ学校はいいんですか?」


 『But I'm a creep, I'm a weirdo. What the hell am I doing here?』


 レデュオヘッドのクレープだ。歌って誤魔化すつもりなんだろうけど、少し無理がある。前も確か、こんな風にはぐらかされたのを思い出した。僕は学校の事を問い詰めようとしたけれど、何故だか歌っている佳香さんの声は物悲しそうで、この透き通った歌声に野次を入れたく無くなってしまった。


 「ご静聴ありがとうございました」


 佳香さんはワンコーラスだけ歌うと、なんだか落ち着いてしまった。それと同時に、僕の中にまた、灰色の感情が流れ込んできた。暗い曲を歌ったからだろうか?でも、それだけじゃない気がする。それが気になって、僕は佳香さんに話しかける。


 「あの ...」


 『ピピピピピッ』


 目覚まし時計のアラームの音で、僕の声は遮られた。目の前にはいないけれど、佳香さんのキョトンとした表情が目に浮かぶ。僕が生唾を音を出して吞み込むと、下の階からお母さんの声が響き渡る。どうやら朝食の支度が出来た様だ。


 「あの...なに?」


 「朝食出来たみたいなんで下に降りてもいいですか?」


 我ながら素っ頓狂な質問をしてしまった。


 「許可する」

 

  許可された。

 

 僕は起き上がると、ずれ落ちた布団を畳み、ランドセルを持ち廊下に出る。ひんやりとしたフローリングが足元から伝わり、初秋の暑さを和らげた。階段を降りると、そのまま洗面所に向かい、先に着替えをしようとするが、佳香さんに見られるのが恥ずかしかった。


 「見ないでくださいよ」


 「お前は女子か!目?とか心?とかとにかく見ない様にするから早く着替えなよ」


 僕は素早く着替え終わると、冷たい水で顔を洗う。気分をスッキリさせると、歯を磨きダイニングに向かった。


 「着替えの件ですけど、見ないことって出来たんですか?」

 「そんなに裸体が見られたくないの?思春期の女の子?刺青でも入ってるん?」

 「いえ...って!そうじゃなくて!出来るのかなって。」


 ただの質問なのに、僕はただただ恥ずかしかった。


 「心を閉じるって言うのかな?そうすると何にも見えないし、聞こえなかったよ」


 そんなもんなのか、と僕は思った。同一化には一定のルールでもあるんだろうか。謎が謎を呼ぶとはこの事だろう。


 ダイニングに着くと、お父さんはすでに朝食を済ませた様で、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。僕は朝のコーヒーの匂いが好きだ。僕自身、コーヒーは飲めないけれど、家族が一緒にいるこの時間と空間が、コーヒーに入れたミルクの様に溶けて、僕の鼻孔を満たしてくれる。


 両親におはようというと、いつもの様に笑顔が帰ってくる。


 「...幸せそうだね」


 佳香さんがポツリと言った。


 「佳香さんは幸せじゃないんですか?」


 口にしてからしまったと思った。朝の家族団欒の幸せな時間に宛てられてしまったらしい。


 「ん?佳香ちゃんがどうしたの?」


 お母さんが反応した。どうやら口に出してしまっていたらしい。同一化すると心の中で会話ができるのだけれど、11年間の癖でどうも言葉に出していてしまった。


 「佳香ちゃん元気?あの時本当にお世話になったんだから。ただ渉を一人で帰らせたのはちょっとねぇ...電話では自分も来るって言ってたのに」


 「それは前も言った通り用事が出来たからだよ。いきなりの事だったみたいだし、仕方がないよ」


 僕はまくし立てる様に言うと、目の前に出されたトーストとベーコンエッグにを手をつけた。


 「庇ってくれてありがとね」


 「...いただきます」

 

 佳香さんの一言に恥ずかしくなってしまった僕は、朝食に集中する事にした。


 「朝食おいしそー!わーたーしーもー食ーべーた...って!うわーっ!」

 「えっ?どうしました?」

 「犬!犬!」

 

 僕の視界には、だいきちさんがソファーで寛いでいる姿が見えた。

 

 「あぁ、犬が好きなんですね。紹介します、僕の家族のだいきちさ」

 「好きじゃないよ!苦手だよ!この世で3番目に苦手だよ!1位はホルモン!もきゅもきゅしてて噛みきれない!2位は鶏肉の皮!もきゅもきゅしてて噛みきれないから嫌い!3位はグミ!もきゅもきゅしてて大っ嫌い!4位は...」

 「佳香さん、落ち着いてください。それに3番目が犬からグミに変わってますよ」

 

 僕の言葉は届いただろうか。佳香さんは既に心を閉ざしてしまっていた。

 

 そんな心騒がしい朝食を採っている僕の傍ら。コーヒーを飲み終えたお父さんは新聞を畳み、背伸びをしてからカバンを取り玄関に向かう。僕が朝食の手を止めて、いってらっしゃいと言うと、笑顔で「行ってきます」と言い玄関を出た。


 リビングに目を移すと、既にお母さんが仕事に出かける準備をしている。


 「食べたらお皿流しに入れといてね」


 「うん、わかったよ」


 お母さんに促され、僕はお皿を流しに入れてから、ランドセルを背負い玄関に向かう。


 「行ってきます」


 仕事の支度で慌しい中、お母さんは笑顔でいってらっしゃいと言った。


 玄関を抜けると、もうコーヒーの匂いはしなかった。

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