第3話 惹かれあう光と闇 (4)
■
その日は、朝から心地よく過ごせた。
いつもなら登校中に目を伏せて歩くはずが、今日はその必要がなかった。
周りの視線が全く気にならないからだ。
……私の隣を、美桜ちゃんが歩いてくれていたからだ。
起床から放課後まで、
その日はずっと美桜ちゃんと一緒だった。
授業は二人で肩を寄せ合いながら受けた。
学校鞄を家に置いてきたため、手ぶらで登校してきた私は、
教科書や筆記用具の全てを美桜ちゃんから借りるしかなく、
机を寄せ合って、一つの教科書を二人で分け合って読んだ。
休み時間も大体二人一緒だった。
授業の合間の休憩時間やお昼休みの間中、沢山お喋りをした。
無言の時間が全くなかったわけじゃないけど、
静寂の時間すら、彼女が相手なら苦痛にならなかった。
美桜ちゃんはあまり、自分のことを語ろうとしない。
例えば、"小中学校はどこに通ってたの?"なんて聞かれようものなら、
「お化けの学校よ。決まってるじゃない」
なんて適当なことを言ってはぐらかしたりする。
そういうときにそんな返答をする人のことを、
世間ではきっと"変わり者"だと表現するんだろう。
だけど、そんな彼女の適当さ加減が私には心地よかった。
美桜ちゃんがそんなだからこそ、私も自分のことを大して語らずに済んでいる。
人とコミュニケーションをとる上で、
しばしば『自分は何者なのか』を開示しなければいけない瞬間がある。
目の前の人間が何者なのか分からないのは、誰だって不安だから。
―――だけど私は、それがちょっと苦手だったりする。
私の人生にはいつも、薄暗い"何か"が纏わり付いている。
だから自分のことを語れば、いつも暗い話しか出来ない。
暗い話をして、その場の空気まで暗くなってしまうのは嫌いだ。
だから私は、友達の多かった小中学生時代から、
自分のこと―――家や親のことを聞かれるといつも返答に困っていた。
だけど美桜ちゃんは、私が『何者か』を無理に聞き出すようなことをしない。
昨日だって家出してきた私に何も聞かず、屋敷に泊めてくれた。
それに……。
「お化けの学校なんてあるわけないよ。
ゲゲゲの鬼太○の歌でも言ってるじゃない。"お化けにゃ学校も試験もない”って」
「甘いわももか。もう一度よく考えてみなさい。
あれは1967年……つまり昭和43年に作詞された曲よ?
そして文部科学省がお化けの学校を発足したのは平成以降……。
お化けの社会的地位が見直されて、お化け専用の教育機関を設けようという流れがあったごく最近の世情までを、あの曲は汲めていないのよね。
ゲゲゲの鬼太○は平成も終わろうかと言う現代においても新規の映像が作られるほど永く愛されている作品だけど、毎回主題歌で"お化けにゃ学校も試験もない"と歌われていることについてはそろそろ口うるさい人権団体……いいえ、
ある日突然、”お化けは学校と試験に追われてツラァイ! "という歌詞になったとしても不思議ではないわね。
数年前の妖怪○ォッチブームの時期に、
人々が何もかもを『妖怪のせいなのね』と言って責任転嫁していたことを、お化権団体は"妖怪ハラスメント"と形容して今でも根に持っている……。
ツイッターなどの一部SNSでお化けたちによる#MeToo運動が行われているほどにね」
……こんな適当なことばかり言う美桜ちゃんの前では、
自分のことを分かってもらおうとしなくていいんだと思えて肩の力を抜ける。
そういうフワフワした距離感が、私には心地よかった。
だから、彼女と接するのは楽しい。
「そっかぁ……お化けの学校、あるんだねぇ。いいなぁ。私も行ってみたい」
「でもこの学校みたいに交通の便が良くないのよ。お墓の中だから」
「お墓の中!?」
「制服がこれまた絶妙に可愛くないのよね……。
白い着物みたいなデザインをしてるのだけど」
「それ死に装束だよね!?」
「学校指定の帽子も白い三角形の布で……」
「それ漫画とかで幽霊の頭についてる奴じゃない!?」
「よく隣の墓石の中に間違えて入ったりしたわね……。
あのときの恥ずかしさと来たら」
「教室間違えたみたいなノリで他人の墓石の中に入っちゃダメだよ!」
そんな冗談ばかり言い合って、私たちの会話は成り立っていた。
息の合った会話をしていると、それだけで心が通じ合えたように錯覚できる。
"愛情表現"がなくとも、私達は意外に"お友達"らしく居られるらしい。
私と美桜ちゃんは……相性がいいんだと思う。吸血だとか、人間とバケモノだとか、そういうのを抜きにしても。
隣に居る美桜ちゃんの顔を見ると、
彼女は私のツッコミに気を良くして、目を細めて笑っている。
―――この人が、普通の人間だったらよかったのにな。
バケモノとかじゃなくて、人間を食べたりしなくて……。
そしたらきっと今以上にこの人のこと……、
好きになれたかも、しれないのにな。
■
「放課後はデートをしましょう」
今朝、ご飯を食べているときから美桜ちゃんはそう言っていた。
デート。その言葉を辞書で引くと、
―――恋い慕う相手と日時を定めて会うこと。とある。
だけど、私達が行うものはそんな大げさなものじゃないはずだ。
仲の良い同性の友達同士で一緒に出かけることを"デート"と表現するのは、
極めて一般的なことだ。別にヘンな意味じゃない。……ヘンな意味、じゃない。
美桜ちゃんに手を引かれてやってきたのは、水族館だった。
陰泣市にある水族館は私が小学4年生くらいの頃に立てられた施設で、
当時は「親に連れて行ってもらったんだ~」なんていう同級生の話を聞いて、羨ましく思ったりしたものだ。
当時の母は"恋愛活動"に夢中で、
私をどこかに連れて行ってくれたりはしなかったから……。
だから、この辺で有名な施設ながら、私は今まで一度もここへ来たことはない。
だからかな?……少し憧れていた。
陰泣市の学校に通うと決まったとき、
放課後や休日に友達やこ、恋人……と。この水族館に訪れるのを。
入場料は、高校生だと大人扱いになるので、一人2000円だった。
学生証を提示すると1000円になるらしいけど、私の学生証は財布の中―――。
つまり、家に置いてきてある。
アルバイトをしていない私の感覚で言うと、2000円はそれなりの大金だ。
一文無しの私は、美桜ちゃんの財力に甘えさせてもらうことを申し訳なく思った。
「お金なら心配ないわよ。私がフリーパスを持っているから」
「フリーパス?」
そう言った美桜ちゃんが目を赤く発光させて、受付のお姉さんに話しかける。
「学生二人なのだけど……無料でよろしいかしら?」
「あっ、貴女は……はいどうぞ!いつもお世話になっております!」
受付のお姉さんとの会話を終わらせた美桜ちゃんが私と向き合う。
「ね?私の力を持ってすれば顔パスだと認識させることだって容易……」
「ダメ!お願いだからそれは絶対にやめて!
私の分は絶対に返すから……お願いだからちゃんと払って……」
「どうしてそんなに怒るの? ももか。
……あぁ分かった。私が受付のお姉さんと親しげに見えたから嫉妬しているのね?」
「違う違う! そうじゃない!」
叱られた美桜ちゃんはお姉さんにかかった『幻惑』を解き、財布を取り出した。
その姿がどこか楽しげに見えて、私は首を傾げる。
……これじゃまるで、私に叱られるのを期待していたみたいだ。
美桜ちゃんは、叱られるという"ツッコミ"が入るのも含めて、私とのコミュニケーションだと捉えているのかもしれない。
「もぅ……ロクでもないことにばっかりチカラを使うんだから」
「うふふ……ごめんなさいね。
でも、私だってたまにはロクなことにチカラを使うときだってあるのよ?」
「一体どんなときなの……」
そんな軽口を叩きあいながら二人で館内に入っていく。
強化ガラスの向こう側には、色取り取りの魚達が泳いでいた。
大型ディスプレイのような水槽の中。
ご飯に群がるイワシの群れが何千匹も集まって、
大きな竜巻のような形を作っていた。俗に言う、イワシトルネード。
その竜巻の中に大きなサメが突っ込んでいって、イワシたちを散らしていく。
反対側にある水槽の中。
ウミガメやマンタが大きな足とヒレを使って優雅に泳いでいた。マイペースな彼らの泳ぎを眺めていると、何だかこちらまでおっとりとした気分になってくる。
トンネルみたいな水槽の中。
ペンギンが空を飛ぶように泳いでいた。同じ水槽にはイルカも居た。
彼らは体格こそ大きく違うものの、泳ぐスピードはほとんど一緒だ。ペンギンといえば地上でヨチヨチと歩くイメージしかなかったけど、
イルカと変わらないくらいのスピードで泳げるだなんて知らなかった。
水槽が変わるごとに、世界が変わった。
まるでいくつもの異世界を旅しているような錯覚すら覚えて、
私の胸はこの上なく昂ぶっていく。
楽しい。水族館がこんなに楽しいなんて、もっと早く知りたかった。
「見て、ももか。あっちの水槽、熱帯魚が居るらしいわよ」
美桜ちゃんに促されて視線を向けた先には、
地中からひょっこりと顔を出すチンアナゴの顔が遠目からでもはっきり見えた。
熱帯魚―――その言葉を聞いた私の胸に、ノスタルジーが押し寄せる。
私の家でも昔、熱帯魚を飼っていたことがある。
父がアクアリウム好きだったからだ。
幼い頃、父と一緒に見たフルCGの子供向け映画。
その主役だったカクレクマノミのことが、幼い私は好きだった。
クマノミが好きだと言った私に、
父は水槽を増設してカクレクマノミ専用の世界を作って見せてくれた。
机の上に飾られた水槽を、背の低い私は満足に見られなかったけど、
父はたびたび私を"たかいたかい"をしてくれて……。
水槽と同じ目線まで持ち上げてくれた。
そうして見せてもらったカクレクマノミは、
宝石が生きて泳いでいるみたいに綺麗だった。
「……ねえ美桜ちゃん。カクレクマノミ、居ないかな?」
幼い頃の感動を思い出しながら、
私は美桜ちゃんと一緒になってカクレクマノミの姿を探した。
クマノミの水槽を見つけた私たちだけど、
水槽内のクマノミは全部イソギンチャクの中に隠れてしまって、
決してその姿を見せてはくれなかった。
「カクレクマノミ、好きなの?」
「うん……でも、隠れちゃってるなら仕方ないね」
「……ねえももか、水槽の中、よく見てて」
肩を落とした私を見た美桜ちゃんが、水槽の前で両手を構える。
まるで指揮棒を構えるオーケストラの指揮者のようなポーズをした美桜ちゃん。
―――その両目は赤く発光していた。
まさか、またロクでもないことするつもりなんじゃ……。
危機感を抱いた私の横で、
美桜ちゃんは見えない指揮棒を振り下ろし、リズムを奏でた。
ゆったりとした4分の4拍子だった。その動きに呼応するように、
カクレクマノミが一斉にイソギンチャクの中から姿を現す。
クマノミたちは美桜ちゃんの指揮に合わせて編隊を組んだ。
丸い大きな輪を作り上げたり、
三角形や星の形になったりして縦横無尽に水槽を泳ぎ回る。
美桜ちゃんがリズムを変えて激しく指揮棒を振るう。
クマノミたちもそれに合わせて激しく動き回り、
小さなクマノミトルネードや噴水を作った。
逆にゆったりとしたリズムで指揮棒を振るえば、
クマノミたちの動きも緩慢になり、一匹のマンタを形作って、優雅に泳ぎ回った。
周囲の他のお客さん達も足を止めて美桜ちゃんの"演奏"を見ていた。
館内の職員さんらしき人たちも今まで見たことのないクマノミたちの異常な行動に目を見張り、口をポカンと開けている。
「えっ、何あれ?凄くない?」
「クマノミたちが……踊ってる!?」
「あの女の人が操ってるの?」
「スッゲェ!インスタにあげなきゃ!」
やがて、美桜ちゃんが"演奏"の終わりを告げるように、
両手をゆっくりと停止させていく。
クマノミたちは最後に大きなハートを形作ると、
再びイソギンチャクの中へと帰っていった。
お客さんたちが一斉に、美桜ちゃんに向かって拍手をする。職員さんたちも拍手の音を聞くなり、ポカンと開けた口を閉じて拍手に混じった。
「ね?私もたまには、ロクなことに力を使うでしょう?」
"観客"たちに丁寧なお辞儀をしながら、
美桜ちゃんは黒に戻った瞳を片方だけ閉じて、私にウインクをくれた。
■
水族館の外に出てきた私達は、すぐ近くにあったカフェで一休みをしていた。
屋外に設置されたパラソル付きのテーブル。
その椅子に座りながら、私は水族館のパンフレットを眺めている。
―――楽しかった。
今日一日、美桜ちゃんが隣に居てくれるお陰で、ずっと楽しい気持ちのままだ。
一日中こんなに心穏やかに過ごせるなんて、いつ以来だろう?
……昨日あんな酷い目にあったのがまるで嘘みたいな気分。
美桜ちゃんは店内まで二人分のアイスを取りに行ってくれていた。
ガラス張りのそのお店では、
店員さんと何か話している美桜ちゃんの後姿が、外からも見える。
―――ただのオーダーにしては話が長すぎるような気がしないでもない。
なにか世間話か何かしているんだろうか?なんかやけに楽しそう。
……早く、帰ってこないかな。
美桜ちゃんが席に戻ってきたら。
いっぱい感謝の気持ちを伝えよう。
美桜ちゃんのお陰で、嫌な事も全部忘れるくらい楽しかったって言おう。
ずっと来たかった場所に連れて来てくれて、
あんなに綺麗な光景を見せてくれて、とっても嬉しかった。
私の心の中は今、美桜ちゃんへの……美桜ちゃんへの……。
なにかよく分からない暖かい感情で一杯になっている。
何だか気恥ずかしくなって美桜ちゃんの後姿を目で追うのを私はやめた。
そっぽを向いた私の視界に、見覚えのある逞しい肉体が映る。
私の夢心地が、一瞬で冷めた。
なんで……?なんで、貴方が、ここに……?
「よお……探したぞ。ももかちゃん」
テーブルを激しく叩きつけた宍色さんが、怯える私の腕を無理やり掴んだ。
助けを呼びたいのに、怖すぎて声が出ない。喉がかすれて声にならない。
ガラスの向こうの美桜ちゃんの後姿に、私の右手が伸びる。
―――美桜ちゃん、助けて!
気づいて……!お願いだから気づいて……!
私の叫びは、掠れる喉に遮られて、まったく声になってくれない。
宍色さんは、道端に止めていた車の中へと私を連れ込んだ。
■
美桜が二本のアイスを手にして席に戻ってくると、そこには誰も居なかった。
先ほどまでももかが座っていたはずのテーブルは無人で、無造作に置かれた水族館のパンフレットだけがパラパラと風にめくられている。
「あら、お手洗いにでも行ったのかしら?」
しばらく席に座って待っていた美桜だったが、
アイスが溶け出す頃になっても、ももかが戻ってこない。
もったないので美桜はアイスを二つとも食し、82点の評価をつけた。
全くの余談になるが、美桜はスイーツには甘めに評価をつける傾向にある。
美桜が両手に持っていたアイスにはハート型のクッキーがトッピングされている。カップルに人気のトッピングメニューだと看板に書かれているのを見た美桜は、大喜びでそれを頼んだ。
ガラスの向こうで自分を待つももかを親指で示しながら、
「彼女連れなので」と店員に話す。
店員の女は少し驚いた様子だったが、快くカップル割りを適応してくれた。
「私も学生時代女の子と付き合ってたんですよ~」笑顔でそう語る店員の女は、どうにもその辺りの事情に理解のあるタイプだったらしい。
糖分を摂取し終えた美桜が、感覚を集中させて『鬼の嗅覚』を発動させた。
ももかには自分の『妖力』を込めたスクールリングを渡してある。
ももかがリングを身に着けている限り、集中すれば位置を特定する事だって可能だ。
「居たわね……これは、何か乗り物に乗っているのかしら?」
明らかに人力ではないスピードで遠ざかっていくももかの―――厳密には自分の気配を―――感じて、美桜はそう結論付けた。
まさか美桜に血を吸われるのを危惧してタクシーに乗り込んだわけでもあるまい。
そうなると必然、誰かに連れ去られたという結論に至る。
何者か知らないが、美桜は大切な"彼女"とのデートをその誰かに邪魔されたのだ。
当然、美桜は殺意を
―――イライラ、するわ。
こうなったら今すぐにでも追いかけて、
その者にキツイお仕置きをしてあげなくては……。
昔からよく言うでしょう?
"人の恋路を邪魔するものは、鬼に食われて地獄に堕ちろ"ってね。
美桜の瞳が赤く発光する。
その途端、辺りに突風が吹き、テーブルに刺さったパラソルを大きく揺らした。
ももかが忘れていったパンフレットが風にめくられ、ページを変える。
4ページ目が9ページ目に切り変わる頃、
美桜は炎に包まれ、その炎と同時に辺りから消え去った。
シュボッ、という着火音が鳴ってから、ほんの1秒に満たなかった。
カウンター越しに美桜の姿を見ていた理解ある店員は、
(彼女にすっぽかされて一人寂しく二人分のアイスを食べているなんて可愛そう……なんなら私が声をかけてみようかな)
などと思い、秘かに目をつけていた美女の姿が、
炎に包まれて一瞬で消え去ったことに困惑していた。
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