第3話 惹かれあう光と闇 (2)



 ハンバーグは遠慮したけど、パンとサラダとスープだけ食べさせてもらった。

その3皿が並ぶと、赤みの多いメニューになることに気づいて、私は微笑する。

トマト好きすぎでしょ、美桜ちゃん……。


パンは流石に既製品だろうけど、サラダとスープは美桜ちゃんのお手製だ。

つまり……つまりだ……!


ちゃんとこまめに自炊してるんだ……!

呪いの屋敷のバケモノなのに、意外にマメだな……!


私は落雷に打たれたかのような衝撃を受けた。




美桜ちゃんのお家は心霊スポットだ。

だから当然電気も来てないし、水道も通っていない……と思ってた。


「お風呂湧いてるわよ。良かったらどうぞ」


さも当然という顔で放たれたその一言に、私は目を白黒させる。


「えっ……?このお家、水道通ってるの?」

「……失礼ね。通ってるわよ」


豪華なタイル張りの浴室へと導かれた私は、浴槽に手を突っ込む。

中に入っていたお湯の絶妙な湯加減に、再び目を白黒させた。


「えっ……?このお湯、湧いてるの……?給湯器動いてるの?」

「……失礼ね。電気料金払ってるからちゃんと動くわよ」

「電気来てるのに真っ暗な部屋でキャンドルを灯してたの……?」

「そう。夜中にキャンドルを灯すのが好きなの。雰囲気が出るから」


そう言って美桜ちゃんがスイッチを押すと、

天井のLEDが光って浴室を照らした。

一般住居のそれよりも広めに作られた浴室の光景が、私の目の前に広がる。

大理石のタイルに覆われた壁や床やピカピカしていて、

その上こまめに清掃されているような、清潔な印象を与える。


ちゃんとこまめに家の掃除してるんだ……!

呪いの屋敷のバケモノなのに、意外にマメだな……!


私はまた、落雷に打たれたかのような衝撃を受けた。


「えっ……?美桜ちゃんのお家って思ったよりお化け屋敷じゃなくない?」

「そうよ。『幻惑』の力で廃墟やお化け屋敷みたいに思わせてるだけだもの」


最初にこの家を訪れたときに感じたイメージとはまるで違う……。

あのときに感じた、おどろおどろしい空気は一体なんだったんだろう?

私には、『鬼の幻惑』が通じないはずなのに……。


たぶんだけど、

あの時は恐怖や緊張のお陰で細かいところまでは見ては居なかったのだろう。

もしくは、お化け屋敷だと騒ぎ立てる新田くん達が傍に居たせいで必要以上にそんな風に見えていただけなのかもしれない。

思い込みって怖い。私は素直にそう思った。


「ちなみに私の『幻惑』が通じている人間には

壁や天井に赤い手形や足跡が付いているように見えるはずよ」

「怖いよ!」


あの日、新田くんたちにはそんな風に見えていたのか……。




美桜ちゃんと一緒にお風呂に入った後、

二階の美桜ちゃんの部屋に入らせてもらった。

王冠みたいなヘッドボードのついたベッドの上で、

私は美桜ちゃんの長い黒髪にドライヤーを当ててあげる。

当然だけど、この部屋にも電気が点く。


肝試しに来たあの日も、スイッチさえ押せば電気を点けられたんだろう……。


灯りに照らされた美桜ちゃんの部屋は、

壁と天井が赤い塗装で染められていて、よくよく見てみると、

なんだか大人っぽい雰囲気だ。


ベッドのシーツやソファ、カーテン、カーペット等も赤で統一されている中、クローゼットや本棚、勉強机などのインテリア類は真っ白で統一されていて良いアクセントになってる。


『赤い血が滴っているみたい』

だなんて思ったりしたのがウソみたいにおしゃれな部屋だ。



「そろそろ乾いたかしら?

いつもはね。乾かすのに20分くらいかかって大変なのよ」


そう言って美桜ちゃんは自分の髪を一束掴み、一本一本を手から零れさせる。

重力に従ってベッドに沈んでいくさらさらの黒髪を見て、

私はドキリとしてしまう。

―――綺麗。綺麗な髪、だなぁ。

正直、見惚れてしまっている。


「交代、しましょうか?ももかの髪もちゃんと乾かしてあげる」


振り返った美桜ちゃんの顔をなぜか直視出来なかった私は、

俯いたまま「……うん」とだけ呟いた。


体育座りになった私の背中の向こう側で、

美桜ちゃんが、濡れた髪を優しくつまんで丁寧にドライヤーを当てていく。

美桜ちゃんの手が頭皮に触れるとき、痺れたような甘い感覚が広がっていく。

頭を触られているだけなのに……。なんでこんなに気持ちいいんだろう。


「ももかの髪、私と同じ匂いがする」


美桜ちゃんが、私の髪束を掬い上げて言った。

さっき自分の髪を弄んだように、今度は私の髪を一本ずつ手から零していく。


「だって、おんなじシャンプー使ったから……」


美桜ちゃんに遊ばれている私の髪がさらさらと揺れるたび、

確かに、同じシャンプーの匂いが漂ってくる。

気恥ずかしさに悶える私の後ろ髪を、美桜ちゃんがめくりあげた。


「しばらくの間、貴女の血を吸ってなかったような気がする」


美桜ちゃんの吐息が、私のうなじに触れる。

こそばゆいような、心地良いようなフワフワした感触が、私を襲う。

いつ以来だろうか?彼女に、血を求められるのは。

深紅ちゃんとの決戦前後から、そんなヒマなんて一切なかったことを思い出す。


「……ねえ、良いでしょう?」


優しく囁いた美桜ちゃんが、私のうなじに口付けをした。

それは、今からここに牙を立てるぞという合図だ。

今まで何度も身を委ねてきたせいか、

こういう時・・・・・の彼女のクセが分かってしまう。


交わるのだ。彼女の粘膜と、私の血液が。

美桜ちゃんの吐息が、私の首筋に再び触れたとき、


―――私は思い出してしまった。


『ももかちゃん……制服姿にそのエプロン、とても似合ってるよ』


―――私を見て欲情している、宍色さんの姿を。


「……っ!いやぁぁぁぁぁぁっ!!!」

「もも、か……?」


フラッシュバックに苛まれた私は、

咄嗟に美桜ちゃんのことを突き飛ばしてしまった。


非力な私の腕力では美桜ちゃんの身体を動かすことすら出来なかったけど、

その仕草は拒絶の意思を彼女に伝えるには充分なものだった。


美桜ちゃんは目を白黒させ、悲しい顔をして私を見ている。

傷ついていることがイヤでも分かる。

―――しまった。そんなつもり、なかったのに。


せっかく美桜ちゃんが、久々に私を求めてくれたのに。

求めてもらえた後の雰囲気でなら、

今朝冷たく当たってしまったことだって、素直に謝れるかもしれなかったのに。


―――これじゃあ、逆だ。

怒らせてしまったかも、しれない。


「あ、あの……美桜ちゃん、その、ご、ごめ……」

「……いいわよ。別に。今日はお肉を食べたばかりだもの。

貴女を血を吸う必要なんて、ない」


そう言って美桜ちゃんは私の身体から身を離した。

体育座りになった美桜ちゃんは髪を指に巻きつけたりしてつまらなそうにしている。

頬を膨らませていじけた美桜ちゃんは、私と目を合わせないようにしていた。

意外な反応だ。……ちょっと、可愛らしい。


こういうときの美桜ちゃんは、

怒ったあげくに強引に押し倒してくるものだと思ってた。

優しげに見えていても、

途端にそういう"スイッチ"が入っちゃう人なんだと思っていた。


どうしたんだろう?

本人も言っているとおり、本当に食欲がない……のかな?


「それに、今日は貴女にも色々あったんでしょうし……」


そう言ってベッドから降り、

本棚の前で文庫本を物色しだす美桜ちゃん。


そうか。違うんだ。

食欲がないのも確かだけど、それだけじゃなくて、


私を、気遣ってくれているんだ……。


いつも怖くて意地悪な美桜ちゃんだけど、彼女は時々、とても優しい。

そういうギャップに弱い女の子って、少なくはないんじゃなかろうか。

……少なくとも私はそういう女の子だ。


文庫本を開いてソファに座った美桜ちゃんに、私は後ろから抱きついた。

驚いた美桜ちゃんが、少しだけ身体をビクリとさせた後、私の方へ顔を向ける。


胸のうちで、愛しさが溢れてきて止まらなかった。

彼女が私を想ってくれていることが伝わって、嬉しくて仕方なかった。


「今朝はその……冷たくしちゃってごめんね。

それから、いつも守ってくれてありがとう」

「どうしたのよ、急に」

「どうしたんだろう?どうしたんだろうね?……えへへ」

「……ヘンなももか」


「……さっきはごめんね。美桜ちゃんのこと、嫌いになったわけじゃないからね。また今度でいいなら……私の血、吸わせてあげる」

「本当?なら、指切りをしましょう」


美桜ちゃんから差し出された小指に私の指を絡める。

指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます。

そう言いながら、私たちは幼子のように絡めた手同士を縦に振った。


あはは。指切りしたのなんて、小学生以来だ。


「ちなみに私はゲゲゲの鬼○郎のように髪の毛針を飛ばすことだって出来るわ。

その気になれば髪の毛を変質させて千本の針を用意することだって出来る……この意味が分かるわね?」

「怖いよ!」


そうして、美桜ちゃんと過ごす夜が更けていくのだった。




「美桜ちゃんの本棚って小説ばっかりだね。小説、好きなの?」


「ええ。特に心理描写が巧みな作品が好きよ。純文学みたいな。そういうものは人間の描き方が誠実な気がして、読んでて落ち着く」


「へえ……なんだか大人っぽいなぁ。……あっ!この漫画、美桜ちゃんも読むんだ!私もこれ好きだよ。『にんにくマン』!」


「……あら?そうなの?結構男の子っぽい趣味してるのね。

しかもそれ、昭和の漫画でしょう?」


「パパ……じゃなくて!

お父さんが好きだったんだ、この漫画。中学のとき漫画喫茶で見かけて、懐かしいなぁって思いながら一気見してたらハマっちゃって」


「あらまぁ」


「美桜ちゃんもこの漫画好きだったなんてすごい偶然だね!

私とおんなじだぁ!」


「……残念だけど、私はその漫画のこと、あまり好きじゃないのよ」


「ええっ!?どうして!?

本棚に置いてあるくらいだから、てっきり好きなのかと……」


「それは……昔の知人が置いていったモノよ。

……その漫画、登場人物が皆いい人ばかりでしょう?だから、苦手。

人間が綺麗に描かれているものは基本的に苦手よ」


「……美桜ちゃんって、人間嫌いなの?」


「穢れた人間ばかり見てきたから、ね。

だから人間を美化するような創作物を見ると抵抗を感じる。


人間はそんな高尚な生き物なんかじゃないでしょう?

もっと汚い生き物でしょう? って思っちゃう」


「……苦労してきたんだね。美桜ちゃん」


「どうかしら?……ももかは、こういうの、好き?」


「うん。好きだよ。読んでると元気がもらえる気がする。

また明日も頑張ろうって思える。

……人間のこと、まだ信じてみようって気分になれるから」


「……そう。ならこれは、罪深い漫画ね。

優しい嘘で読者を騙してるんですもの」


「それで良いんだと思う。……私は、優しい嘘が好き」





 朝日の差し込む真っ赤な部屋で、私は目を覚ました。

隣には美桜ちゃんの寝顔が―――人食いのバケモノとはとても思えないほど愛らしい寝顔がある。

目は完全に覚めていたけど、私はしばらく寝転がったまま、

その綺麗な寝顔を眺めていた。


美人は3日で飽きるなんて言うけれど、あれはきっとウソなんだと思う。

美しいものは何度見たって飽きない。何度か見ただけで美しいものに飽きるというのならば、名画が永年に渡って愛される説明がつかない。


私はベッドから起きると美桜ちゃんの勉強机から鉛筆とノートを取り出した。

勉強机の椅子に座り、美桜ちゃんの寝姿をスケッチする。


"スケッチの極意は描くものの良い所をいかに感じ取れるかだ”。

中学のとき、美術の先生がそう言っていた記憶がある。

今の私ならきっと、美桜ちゃんの良い所を沢山感じ取れるはずだ。


そんなことを考えながら私は、

寝ている美桜ちゃんに鉛筆をかざして比率を測るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る