第二章  ウシナワレシ ヒカリ

第1話 真聖(ましょう)のルーツ (1)


 拝啓、親愛なるお母様へ。


貴女と離れて暮らすこと早2日。……元気でお過ごしでしょうか?

家の雑事をこなしていた私が居なくなったことで、

仕事を抱える身の貴女は大変不便を感じられていることと思います。

家中にお酒の瓶やコンビニ弁当の容器などが散乱する状態になっていないかどうか、娘の私としてはかなり心配です。


私たちの住まう地域では月曜と木曜が燃えるゴミを出す日だということは、

もちろんご存知ですよね?何度も口すっぱく申してきたことですが、

燃えるゴミをゴミ袋に入れて玄関脇にまとめておいたらそれでお終い、

というのだけは辞めていただきたいのです。

昨日の木曜日……貴女がきちんと燃えるゴミを出してくださったことを、私は真摯しんしに祈っております。


その昔、私がまだ小学6年生の頃だったでしょうか?

夏休みの期間を利用して、沖縄にある友人の別荘(元々は彼女の祖母の家だった)に3日ほど厄介になっていたときのこと。

帰って遊び疲れを癒そうと家の門戸を叩いた私の目に、凄惨な光景が飛び込んできたときの衝撃を私は未だに覚えています。


あの時に見た黒いゴミ袋の山と鼻をつく生ごみの異臭を、

私はこの先、お墓に入るまで忘れないことでしょう。

貴女の交際相手にその光景を見られてしまったら……と考えておぞましくなった私は、疲れを耐えて即座にゴミの山を解体しました。

もしも私が平穏無事に貴女の元に帰れたとして、同じような光景を目にしてしまわないことを、私は真摯に祈っております。



留置場の中で過ごす、という人生の中でも大変数奇な経験をさせて頂いている私ですが、2日ほどここに入ってみて辛さを感じたことといえば、自由にお風呂に入れないことくらいでしょうか?


取調べの時間(一日8時間までと定められているらしいです)以外は比較的ゆったりと過ごすことが出来るため、意外にもヒマだと感じる瞬間が多いです。

入る前に抱いていたイメージよりも静かな場所だな、というのが大まかな印象でございます。


留置場に居る他の被疑者の方々も、さほど暴力的な人などは居らず、

親切にしていただいてます。

昨晩は相部屋になった他の被疑者の方に、アジフライを頂きました。

(本来なら留置場の中で食べ物のやりとりをするのは禁止されているらしいです)


『内緒ですよ?』と言って人差し指を唇に添えるその方の仕草が、

とってもチャーミングで……。そんな優しいお姉さんにすっかり心惹かれてしまった私は、その人と沢山の言葉を交わしました。

その中でも衝撃的だったのは、

彼女が3日前に陰泣おんなき市で捕まった夕日茜ゆうひあかねという連続殺人鬼シリアルキラーなのだということでした。

人間とは、見かけによらないものなんですね。


『貴女の顔、すっごくタイプなんですよ。本当だったら今すぐにでも殺したいくらい……』


などと熱っぽい声色で言われたときの恐怖を思い出しながら、

私は今こうして貴女への手紙をつづっています。

私はどうもそういう怖い人ばかりに好かれる星の元に生まれてしまったようです。




貴女の一人娘、東雲ももかより。






 取調室に差し掛かる廊下の途中で、青年刑事―――朱道橙介しゅどうだいすけは立ち止まった。

ドアが開け放たれた部屋の中では、一人の少女が取調べを受けているはずだ。


朱道刑事は別の捜査班から上がってきた情報を取調べ室に居る捜査一課の刑事――

戸津野とつのに報告せねばならない。そのためにこの部屋の前までやってきたというのに……。


部屋から聞こえてきた戸津野の怒号が、朱道の足を止めていた。


「あのねぇ!?そんな嘘っぱち言って私達が信じるとでも思ってるの!?いい加減本当のこと言ってくれないかなぁ!?」


―――怒ってらっしゃる。大変気まずい。

女性刑事である戸津野は、

普段男に囲まれているからか少々言動のキツイところがある。

相手が未成年の少女だからと言って、

他の男刑事のように甘い態度を取ったりはしないだろう。

朱道はそのことがたくましくもあり、同時に心配でもあった。


朱道が意を決して部屋に体を滑り込ませる。

取調べを受けていた少女は、案の定涙目になっていた。


「あー!戸津野さん!ダメじゃないですか女の子泣かせちゃあ!!」

「ちょっと朱道君!今取調べの最中なんだから邪魔しないでくれる!?」

「こんな年端も行かないような子に強く当たったらまーた強引な取調べだとかなんとかマスコミにバッシングされますよ?」


「しょうがないでしょう!?

この子がいつまで経っても本当のこと言わないんだから!

大体何よ!?

"クラスメイトが蜘蛛のバケモノに変身して美女達を攫っていった"とか、

"そのバケモノはもう一人のバケモノに倒された"とか!

漫画の話してんじゃないのよ!?こっちは本気で事件追ってんの!」


「あーあー。見てくださいよ。この子の怯えた表情を。戸津野さんが大声出すから~。……ごめんねぇ。ウチのオバさん、怖かったでしょう?」


「オ バ サ ン って何よ!?朱道君こそちょっと若くて可愛い子相手だからってデレデレしちゃって!まぁ~いやらしい!

貴女も気をつけなさい?男は皆狼なんだから!

こんな優しい態度取ってても内心じゃ『この子意外とおっぱい大きいなぁグヘヘへ』とかそんなことしか考えていないのよ!」


「そんなセクハラオヤジみたいなこと考えてませんよ僕は!!!」


突然漫才のような会話を繰り広げだした目の前の刑事二人に、

少女は呆気に取られた。

先ほどまで浮かべていた涙も、すでに引っ込んでしまっている。

肩まで伸ばした茶色の髪をサイド三つ編みに束ねた少女―――東雲ももかはその端正な顔に控えめな笑みを浮かべた。


「ふふ……くすくす……」

「ほら、笑われてるわよ?朱道君」

「何で僕なんですか!笑われてるのは戸津野さんのほうでしょ!?」

「お二人とも仲がいいんですね。もしかして付き合ってたり……」

「付き合ってない!」「付き合ってません!」


取調室の中で、二人の声が重なった。


―――いや違う!こんな漫才のようなことをしている場合じゃない!

朱道は思った。

―――僕はこの"情報"を戸津野さんに伝える為にこの部屋までやってきたんだ!


自らの使命を思い出した朱道は、戸津野に向かい合う。



「戸津野さん!実は貴女に伝えたいことがあってですね……」

「……もしかして、今から告白するんですか?そうか、

じゃあさっきのは"まだ"付き合ってないって意味だったんだ……」

「君はちょっと黙っててくれないかな……」

「そう……そうだったのね朱道君……」

「ほらほら戸津野さんも悪ノリしないでください!」


天然ボケともなんとも言いがたいももかの言葉に乗って満更でもなさそうな顔をした戸津野に、朱道は頭を抱えた。




 昨夜、美桜が姿を眩ました後―――。

廃ホテルに取り残されたももかは、警察と救急に即座に連絡を入れた。

床に伏した石原あずさと吉田景子にはまだ息があった。

早めに処置を受ければ助かる見込みがあると判断したのだ。

そして二人は救急病院に搬送されることとなり、

ももかは第一発見者として警察の取調べを受けることになった。

第一発見者―――そう言い表せば聞こえはいいが、

実質ももかは重要参考人であり、容疑者扱いだ。


血まみれのブレザーと赤い糸の切れ端は、

―――流石にこんなものを身に着けておいたら怪しまれるよね……?

という考えの末、警察が駆けつけてくる前にホテルの一室へ隠しておいた。

上半身に白いブラウスのみを身にまとって、

肌寒い夜の廃墟の中で一人、ももかは警官達が駆けつけるのを待った。


駆けつけた救急隊員によって運ばれていく石原と吉田を

ほっとした表情で見送った後、ももかは警察署に同行し、取調べを受けた。


「その……私、最近廃墟にはまってるんですよね。

よくユーチューバーの方とかが廃墟を探索してたりするじゃないですか?

……それの、影響かな?

いかにもフォトジェニック~ってカンジの寂れた建物を見かけると、

どうしても中に入りたくなっちゃうんですよね……。

不法侵入、なのは分かってたんですけど……ごめんなさい」


本当のことなど話したところで信じてもらえるわけがない。

警察を待つまでの間必死に考えていた言い訳を、

ももかは陰泣署の取調室内で話した。

"趣味の廃墟探索中、中で倒れている失踪者の二人を偶然見かけた"

風を装おうとしたのだ。

現場に駆けつけ、ももかの聴取を取っていた戸津野刑事も一旦はその話を信じ、


「人の建物に勝手に侵入しちゃ駄目!

……女の子が一人でそういう場所に近づくのも危険よ!」


と注意までしてくれた。

―――怒られたけど、なんとか無事には開放されそうだ……。

そう考えていたももかだったが、

鑑識から上がってきた情報が彼女を追い詰めていく。


隠しておいた血まみれのブレザーとべったりと血液のついた赤い糸が、

現場を調査していた鑑識犯に見つかってしまったのである。


「東雲さん。この画像のブレザーに見覚えはないかしら?

胸の裏地部分に貴女の名前が刺繍されているんだけど……」


戸津野が見せてくれたタブレットの画像を見て、ももかは冷や汗を噴出した。


―――し、しまったあああああああああああああ!!!!

見つかったァぁぁぁぁあああああああああああああ!!!


もはや、これ以上の言い訳は不可能だ。

そう考えたももかは、本当のことを話すことにした。

『鬼』などという幻想的な存在を語ったところで、信じてもらえるかは怪しい。

だがヒトの性善説を信じているももかは、

誠心誠意語りかければ、相手に伝わるものがあるはずだ、と考えた。

……最初にウソをついてる時点で誠意もクソもないだろうということは一旦棚にあげて。


ももかは必死になって、身振り手振りでそれまでのいきさつを語った。


「巳隠学園失踪事件の犯人は私のクラスメイトの蘇芳村深紅すおむらみくちゃんでその深紅ちゃんは実は蜘蛛の怪人に変身出来る力を持っていてだから失踪者の皆を糸で包んであのホテルに誘拐出来たんです彼女に食べられてしまった人は存在が消えてしまうからたぶん今失踪者は計2人ということになっているんでしょうけど実際の彼女の被害者は4人いや佐藤こずえちゃんを含めると5人なんですそしてその蘇芳村深紅ちゃんは今『鬼』に食べられてしまったからきっと私のクラス名簿にもそんなヒトの名前は残っていなくてそれで―――」


目をグルグルさせながら早口で語るももかの肩に、ポン、と戸津野の手が置かれた。

涙の滲んだももかの瞳に、暖かい目で微笑む戸津野の顔が映る。

―――あぁ、刑事さん、信じてくれるんですね?


「4月30日20時49分。東雲ももかさん。

略取誘拐罪及び傷害の容疑で貴女の身柄を拘束します」


妄言ばかりを口にする怪しすぎる少女など、警察が見逃すはずはない。

そしてももかはあえなく御用―――緊急逮捕に至るのだった。

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