記憶の糸
夜表 計
8/10~7/12
8/10
「ごめんなさい、やっぱり私は何も変わらない、変われなかった。私は君にはなれなかったよ。
だから、だから私は君を私にする事にしたの。次目が覚めた時、君が変わってることを願ってる。愛してるわ」
そう静かに先輩は、意識の無い俺に記憶の糸を入れる。神様に願いながら、自らの望みが叶う事を祈って。
8/9
記憶は積み重なってできていると、先輩は言った。
上にある記憶ほど新しく、下にある記憶ほど古いもので種類ごとに分けられている。そして記憶それぞれの関係性とが繋がって構築されていると言う。これはイメージ的な事だと思うが、さながら立体的な網目構造、といったところだろうか。
けれど、これは先輩が持つイメージで先輩のお父さんは記憶を1個の毛糸玉と、捉えているそうだ。
俺としてはそっちの方がイメージしやすい。記憶を糸のようにして取り出す先輩を見ていると、尚更そう思う。
「だからね、同じ記憶でもその関係性を抜くことでその事柄を保ちながら、記憶を抜くこともできるんだ。
君に施してるのはこれ。その歳でまた歩くことから学ぶのは嫌でしょ」
楽しげに先輩は川の浅瀬でサンダルを両手に、くるくると踊る。
8/8
夢は脳が記憶の整理をしている時にその一部を見ていることを言うそうだ。だから、俺の悪夢もまた俺の記憶のどこかにあるのだと、先輩は言う。
「私は輪廻転生って、信じてる方なの。もしかしたら君のその悪夢の記憶は前世の記憶なのかもしれないね」
先輩はイタズラ気にそんな事を言うが、俺としては最悪だ。
それが真実だった場合、俺の本性は前世と同じだと言うことだ。それだけは絶対に信じたくはない。
8/7
「力を抜いて楽にしてね。気を張ってたりするとうまく抜けないから」
先輩に言われるがまま、ベッドに横になり目をつむる。
先輩の指先がこめかみに触れ、スーっと入り込み、俺の悪夢の記憶を探す。同時に俺の意識は沈んでいった。
8/6
悪夢を取り除くという治療の為、俺は先輩と共に川辺のコテージに来た。
何でもこのコテージは先輩の父親が所有している物だそうだ。一体どういうお仕事なのか気になるが、ここでなら静かに治療ができるという。
「君の悪夢となっている部分を探すのも時間がかかるし、抜いた後に脳を休ませてあげないといけないから。1日じゃ終わらないの」
だから誰にも迷惑のかからないここでやるのだという。
7/20
「私は君に恋してるんだよ」
そう先輩は臆面もなく、いつもの笑顔で告げた。
たった二人だけの文芸部の部室で唐突な告白に俺は固まってしまった。そんな俺の様子を先輩は可笑しそうに笑う。
「えっと、俺は――」
返事をしようとする俺の唇を先輩の指が閉ざす。
「返事はしなくていいよ。だってこれは、愛じゃないんだもの」
これは愛ではなく、恋なのだと先輩は言う。一体何が違うのだろう。
「全然違うわ。愛は相手に求めるものだけど、恋は自己完結できるものよ。だから、私の好意には君の意志は必要ないの」
だから、返事はいらない。
けれど、それはなんだか淋しい行為じゃないのだろうか。
愛も恋も“好き”ということに違いはないだろう。でも先輩は言った、自己完結していると。それはつまり相手に何も求めず“好き”を終えているということ。
それじゃあ、一体俺の何を“好き”になったのだろうか。
「だから、俺の悩みを解決すると言ったんですか」
「そうだよ。私にとって君は“特別”だから助けたいと思ったんだよ」
先輩の表情はいつもと変わらない、何かを隠す笑みを浮かべていた。
7/14
「君は何か悩んでるね」
中庭の木を眺めていると、背後から声がし振り返る。
「ひどい顔ね、眠れてないの」
2年のバッチを付けた長髪の女性が立っていた。
「先輩には関係ないです」
最近ひどい顔になってるのは知ってる。自分が一体何なのか分からなくなっているせいだ。
今は誰かの近くに居たくはない。すぐにこの場を離れようとすると。
「私なら君が抱える問題を解決できるよ」
まるで俺の心を見透かしたかのようなセリフ。俺の歩みを止めるには最適な言葉だった。
「悪夢を見るんだよね」
誰にも言ってない、言えるはずがない俺の悩み。それをこの先輩は言い当てた。
「どうしてそれを…」
分かるはずがない、できるはずがない。けれど、心のどこかで俺は救いを求めていた。
「安心して、私が治してあげる」
7/12
これが夢だと分かっている。けれど、それでもこれはあまりにもリアルだった。
例えば、戦争の写真や映像を見る。悲惨、残酷そういう感想が出てくるだろう。でも、もしその場に居たら。自分の目で耳で鼻で肌で感じたら、言葉で表せる事などできない。
レンズを通してフィルターのかかった物を見るのとではそのリアル差が違う。この夢にはそういうリアルがあった。
両手を縛った男の顔を水の中に沈めた感触が、
眠った女の首をナイフで切った硬い感触が、
実感としてその夢が俺に見せる。俺が殺したのだと、俺の手で命を奪ったのだと。
俺は自分が恐ろしくなった。いつかこんな事をしてしまうのかと、もうすでにやってしまったのかと。
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