電車の中で
黒岩トリコ
電車の中で
東京の騒がしさが遠のいてゆく。
バーチャルタレント『雨ヶ崎笑虹』の肉体を争うオーディションは終わり、ささやかな打ち上げから帰路についていた。
私が『雨ヶ崎笑虹No.12』でなくなる時が、刻一刻と近づいてくる。
オーディションに受かれば『雨ヶ崎笑虹』に、落ちればただの人になる。
もし受かったとしても『雨ヶ崎笑虹No.12』として振る舞うことは、きっと許されない。
それは『雨ヶ崎笑虹』のロールから外れるし、そもそも『雨ヶ崎笑虹』の好物はしけったせんべいであって、二郎系ラーメンではないのだから。
全てが終わった今になって、不安が脳味噌を駆けまわる。
オーディションをしている内はそれに取り組んでいただけだから、不安を感じる暇も余裕も無かったのだ。
もっとやれる事は無かったか?スマホを壊してなければ、ちゃんとスタートダッシュを決められたのでは?
今さら思い出しても仕方ないことが、次々と湧いてくる不安という感情を、私は否定しない。
……大丈夫、私は私らしくやれたはず。
ちゃんと配信時間も確保した。色んな企画にも挑戦した。料理もしたし、お菓子だって作った。歌も歌った、洗面器に水を満たしてチャプチャプ音を立てたりもした。
なぜ『雨ヶ崎笑虹No.12』が『富次郎』と呼ばれるようになったか、ちゃんと最終面接で説明できたはず。
……私の中で、やれるだけの事はやったはず。
後のことは後にならないと分からない、私は私らしく活動するだけだ。
いつしか不安は消え、代わりに最近2週間の疲れがドッと押し寄せてきた。
雲一つない星空の下をガタンゴトンと揺れる電車に身を委ね、私はしばしの眠りについた。
明日も良い日にしたいなぁ。
電車の中で 黒岩トリコ @Rico2655
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