第32話前祝いと別れの葡萄酒

       ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 新たな魔法を手にしたユベールは、昼間は指輪を自室の机の引き出しにしまい、夜の日課になっているチェスの時にだけはめて女性になっていた。


 男性の時よりも体は一回り縮み、胸板や肩幅は華奢になったものの、凛々しい顔つきと品のある鋭い目は変わっていなかった。女性にしては身長は高く、立ち振る舞いは以前と変わらず、服も男性の時のものをそのまま着用しているせいで、あまり女性に戻ったという感じがしない。

 それでもカエルと談笑する時は表情が柔らかくなり、セレネーが傍から見ていると二人がすごく馴染み切っているように見えた。


 宿屋のベッドに腰かけながら水晶球を眺めていたセレネーは様子を見守りつつ、部屋に持ち込んだ小瓶入りの葡萄酒とグラスを手にした。


(良い流れ……これなら解呪も時間の問題ね。すごくお似合いだわ)


 水晶球の向こう側では、穏やかにカエルは笑いながら元に戻った後のことを話している。


『この体になって苦労は多いですが、その分たくさんのことを学ぶことができました。国に帰ることができたら、まずは王立の研究院を視察して、もっと研究を充実させたいです。東の国の在り方を手本にできれば――』


『知の収集を強化したいということですが。それは素晴らしいですね! その人材を育てるための教育にも力を入れるために、学舎も充実できれば――』


 ともに国の中枢にいる者同士、自然と話に国のことも上がり、談笑が談義へと変わることもよくあった。共通の話題も、力を合わせるべきこともあれば、より深い繋がりが生まれてくる。良い傾向だと感心しながらセレネーはグラスに葡萄酒を注ぐ。


(もう解呪のお願いをしても良さそうだけど、確実にいきたいからもう少し関係作りをしなくちゃ……あーあ、この旅もそろそろ終わりね。色々あったけど楽しかったわ)


 濃厚な赤が詰まった葡萄酒をグラスの中で揺らし、じっと見つめる。心なしか今までの思い出が葡萄酒の中で浮かび、溶けて消えていくのが見える気がした。


(元に戻ったらすぐに帰らなくちゃね。王子のことだもの、絶対に引き止めてお礼の宴やら開きそうだし、お礼にあれこれ押し付けてきそうだし……そういうのはいらないし、引き止められたら……泣きそうな気がするし……)


 解呪の旅を始めて結構な時間が経っている。長く一緒に居過ぎて情が沸いていることを自覚せずにはいられなかった。


 解呪のお願いを引き延ばすのは、あくまで王子のため――離れ難いからじゃない。

 そう自分に言い聞かせると、セレネーはグラスを少し傾けながら水晶球へ近づける。


「ちょっと気が早いけれど……元の王子に戻れるその日に乾杯」


 チンッと軽くグラスの縁を水晶球にぶつけると、一口だけ葡萄酒を含む。

 甘さの欠片もない、苦くて深みのある葡萄酒。喉に通して口から息を吸えば、芳醇な風味が頭全体に行き届く。


 そんなにお酒を飲む人間ではないし、正直美味しいとも思えない。でも飲み干せば自分の心に区切りがつく気がして、セレネーは水晶球を眺めながらゆっくりと葡萄酒を飲み進めていった。


 水晶球は仲睦まじい二人を映し続ける。

 ――会話の内容が、剣さばきや詳しい鍛錬の方法という色気のないものであることを覗けば、十分に恋人同士の優しいひと時が流れているように思えた。




 数日後、夜のチェスの時間にユベールはいつもと違う姿でカエルの前に現れた。


 品のいい空色のイブニングドレス。日々剣を握って鍛錬しているしなやかで引き締まった体によく似合っていた。すごく照れくさそうに頬を染めながら対面の席へ座るユベールを、カエルは温かい笑みを浮かべながら見上げていた。


『とても美しいです……もっと褒め称えたいのに、言葉が出てきません』


『そ、そう言って頂けて恐縮です。ずっと男の服装ばかりでしたから……やはりドレスは落ち着きませんね』


 そう言って見つめ合う二人を見て、セレネーは小さく頷いた。


「……王子、もう頃合いよ。解呪のお願いをして、さっさと呪いを解いちゃいましょ」


 カエルにだけ伝わるよう声をかけると、


(分かっております。セレネーさん……どうか上手くいくように見守っていて下さい)


 少し不安そうなカエルの心の声が届く。今まで散々上手くいかなかったせいで、自信がまったく持てていなさそうな気配に、セレネーは思わず噴き出す。


「フフ……もちろんよ。頑張って」


 か弱いようで意外としっかりしているカエルの背をセレネーは押す。

 溜め込んだ勇気を飲み干すようにカエルは息を呑み込むと、ユベールに願い出た。


『ユベール、今まで隠していましたが……実は私は、貴方がこのカエルの呪いを解いてくれると信じて、こちらへ滞在を続けていました』


『え……? どういうことですか?』


『呪いを解くためには、私に心からの愛を捧げてくれる乙女のキスが必要なのです。どうかこのカエルの身にキスして頂けませんか? そして私の妃になって頂けませんか?』

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