第21話魔女の強制お迎え




『お、お、お、王子様! 起きて下さいまし、王子様!』


 朝になり、起床してきたジスレが慌てふためきながらカエルを指で揺さぶり起こす。その際にお腹を押されてしまい、ゲコップゥゥという音がカエルの口から鳴り響いた。


『あ……お、おはようございます……ゲプゥ……ジスレさん』


 目をこすりながらカエルは体を起こし、ジスレを見上げる。

 朝から黒づくめの彼女の手には、昨夜カエルが作った卵黄ボンボンの入ったスープ皿があった。


『つかぬことをお聞きしますが、これは王子様がお作りに?』


『はい……勝手なことをして申し訳ありません。どうしてもジスレさんの誕生日に何かを贈りたくて、今の私にできることをさせて頂きました。お口に合うと良いのです、が……』


 カエルが話をする最中、ジスレは全身を震えさせてその場へしゃがみ込む。

 突然の行動に驚いて机の下をオロオロしながら心配そうに覗き込むカエルを水晶球で見ながら、セレネーは朝食のサンドイッチを頬張った。


(すっごい感激してるわね。この勢いでカエルにキスしちゃって、元に戻っちゃうかしら? ……やっぱりジスレが王子のお嫁さんになっちゃうっていうのが想像つかないわねぇ――ん?)


 なかなか動こうとしないジスレに不穏な気配を感じ、セレネーは首を傾げる。

 するとジスレは持っていたスープ皿を床へ投げつけ、砂糖と卵黄ボンボンを床へ散らばらせた。


『ああっ! ジスレさん、どうして……』


『私はっ、ここにいてくれるだけでいいって言ったのに! わざわざ呪いをかけた私にこんなことをしてっ……分かってますわ、早く呪いを解いて欲しいのでしょう? そしてここを出て行きたいのでしょう?!』


 激昂したジスレがカエルを思念の声で怒鳴りつける。まさかこんな反応をされると思っていなかっただろうカエルは、その場で凍り付いたように固まった。


『ジスレさん……私はただ――』


『絶対にここから出すものですか! やっと王子様と会話できて、隣にいることができるようになったんですもの……私は貴方の容姿に惹かれたんじゃない。貴方が誰よりも優しいから――お願い。どうか私から離れるための嘘などつかないで!』


『ち、違います! 私は純粋にジスレさんの誕生日を祝いたかっただけで……』


『もうこれ以上言わないで! 王子様も他の人間たちと同じように嘘をつくなんて……聞きたくない』


 次第に激しい怒りは悲しみへと変わり、ジスレは背を向けて小さな嗚咽を漏らし始める。その後ろ姿をカエルは愕然としながら見つめるしかできなかった。


 カエルの円らな目に涙が滲む。ぐじっ、と手の甲で涙を拭うが、ポロポロと零れて止まらない。


 セレネーはしばらく膠着したこの状況を見ながら、黙々とサンドイッチを食べ進める。

 自分の手が空になった後、表情を一切消した顔でベッドから立ち上がり、深呼吸を繰り返した。


(駄目ね……ジスレがこの調子じゃあ、いつまで経っても王子の呪いは解けないわ)


 一体ジスレにどんな過去があったのかは知らない。

 けれど、このまま様子見をして時間を無駄にしたくはなかった。


 息を吸い込む度にセレネーの体内に魔力が溜まっていく。一見すれば何も起きてはいないが、体の奥はどこまでも熱くなる。まるで炎を抱き込んでいるかのような熱。魔力の塊だった。


(湖じゃあ不意を突かれちゃったけど、前準備ができるなら上回れちゃうのよね。ジスレが水晶球に溜め込んできた魔力ぐらい)


 セレネーはおもむろにまぶたを閉じ、自分と向き合う形にして水晶球をベッドへ置く。

 そして魔法の杖をかざし、光の粒を散らばらせた。


 瞬く間に光の粒はセレネーにまとわりつき、カッと閃光を放つ――。




 ――シュンッ! と空間を切る音がしてセレネーが目を開くと、驚いてこちらを振り返るジスレとカエルの姿があった。


『め、女狐?! なぜここへ! 小屋には結界を張ってあるというのに……』


「この程度じゃあアタシに効かないわよ。誰かが幸せになるために手を貸す人間が、弱いワケにはいかないもの……さあ王子、迎えに来たわ。こっちへ来て」


 セレネーが手を差し出すと、カエルはジスレとセレネーを何度も見交わして困惑する。急な登場に理解が追い付いていないようだった。


『私と王子様の仲を裂こうというのね! 許せな――』


 逆上したジスレが手をかざし、対抗するための魔法を繰り出しかける。しかし、


「許さなくていいから、そこから動かないで」


 セレネーが一瞥した瞬間。ジスレの体へ青白い光の輪がかかり、ぴたりと動きが止まる。

 どれだけ動こうとしてもジスレの体は震えるばかりで、何もしかけることはできなかった。


「よく聞いてジスレ。アタシの目的は王子の呪いを解くこと……だから貴女が解いてくれるならそれでも構わなかったし、貴女が人と対峙するのが苦手で不器用で解呪に時間がかかっても、見込みがあるなら様子を見守るつもりだったわ。でも――」


 戸惑い続けるカエルの体を、セレネーは両手でそっと持ち上げる。それから涙に塗れた小さな手の甲を指で拭った。


「ずっと一緒にいたいと願う人の真心を疑って、自分の想い通りにならないからって傷つけて……貴女、王子とどうなりたいの? ただ一緒にいて、王子の意見を一切受け付けずに自分の身勝手を押し続けたいの? だったら王子によく似た人形でも作って相手にしなさいよ」


『……っ! あ、アンタに何が分かるっていうの?! 私の力を頼る時だけ良い顔して近づいて、終われば声も聞きたくないと冷たくあしらわれて……私は自分が歓迎されていないことぐらい分かってる。王子様だって、呪いをかけた張本人と仲良くしたいなんて思うワケがない。でも他のヤツらから言われることも、やられることも、王子様からだけはされたくないのよ……』


 ジスレの本音と弱音が漏れて、セレネーは目を細める。

 この不器用な魔女はそうやって何度も人に拒まれ、自分も相手を拒み、心を守る壁を分厚くしていく他なかったのだろう。


 だからといってカエルにした仕打ちを見過ごせるはずがない。

 セレネーは息をついてからジスレに向ける眼差しを和らげた。


「他人の幸せを糧にする魔女からの忠告よ……人を疑う先に幸せなんてないわ。せめて、この世で一番好きだと思う相手を信じようって気持ちは大切よ。どんな相手かを注意深く見るのは必要だけど、最初から疑いありきじゃあ相手の本当の良さなんて分からないわ」


『でも……っ!』


「じゃあねジスレ。この先、王子の邪魔をするようなら容赦しないから。……王子への想いが本物なら、これ以上王子を悲しませないことを願うわ」


 そう言い残し、セレネーは瞬時に移動するための魔力を杖から放つ。

 光の粒が取りまく最中、カエルが申し訳なさそうな目でジスレを見る。


 きっと優しい王子のこと。せめて誕生日は一緒に祝いたいと考えているのだろう。でも、ここへ残るほどにジスレの未練が増し、離れる際の傷がより深まる気がした。


 セレネーはカエルの表情に気づかぬフリをして、その場からともに姿を消した。

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