破裂音

鹽夜亮

第1話 破裂音

 パアンパアン…パチン…

 絶えず破裂音が響いている。それはごく近くに在る。しかし、どこを見渡してもその音の主は影すら見せない。

 シャンシャン……パアンパアン…

 鉄格子を揺らすような、不快な音が頭蓋骨の中で跳ね回っている。僕は、否応無しにヴェロナアルに溺れた歯車の持ち主を連想する。彼に近づけることは、僕にとって幸福でないこともなかった。破裂音は止むことを知らない。

 僕は、或田舎の総社を背中に、その門前街を歩いていた。石畳の敷き詰められた、現代とバブル期の交錯する門前街は、ひっきりなしに車と人とを往来させていた。空は雲を携え、昼下がりに憂鬱に沈んでいる。

 薄汚い路地裏から、三毛猫がそそくさと通りすがる。人々は足元のそれに目をくれることもなく、あちらこちらへと、旅行者につきものな落ち着きのない視線を落としている。ある物珍しい肉屋には、買いもしない客が熱心にスマアトフォンのシャッタアを光らせている。横にある昔ながらのたい焼き屋に、彼らの視線が向くことは無い。まるで前時代の遺物は見る価値すらないと言いたげに、物珍しさを彼らは追い求め、それに病的な執念を見せる。僕には、それが奇怪な屍体に群がる蟻のようで、不快だった。

 小煩い肉屋を横目に、店頭には猫すらいないたい焼き屋に立ち寄る。

 「カスタアドクリイムを一つ。」

 「ありがとうございます…。」

 視線の交錯した女性の店員の瞳孔に、一瞬の安堵を見たのは僕の勘違いかもしれない。そうでなければ、それは僕の願望であろう。しかし、餡ではなくクリイムを注文した僕も、現代の、西洋にかぶれた東洋人に他ならなかった。新しいものは常に我々を刺激し…そして感覚の鋭敏さを知らぬ間に退化させ続ける。

 見るべきものは見つ、と心に呟きながら、たい焼きを片手に僕は歩いた道を引き返し始めた。その時にも、肉屋は絶えず人の群れで賑わっていた。それは肉屋にとって一種の不幸であるのかもしれなかった。そのことは肉屋の店主の無愛想な仏頂面にも、明らかであるように思えた。それが、僕の妄想ではないとするならば。

 門前街を引き返し、或総社の鳥居前を歩く。鳥居の先には、寒々しい空の下に思い思いの防寒を施した人々が列をなしている。傍目には肉屋のそれと代わり映えのしない光景は、僕にとっては荘厳でさえあった。これは、僕の自分勝手と言ってもあるいは間違いではないかもしれない。

 鳥居を左手に、交差点を曲がる。右手にはバブルを思わせるポップで色鮮やかな、亜米利加崩れのキャラクタアを背負ったカッフェがある。それを見つけると、僕は途端に僕の喉が渇いていることを発見した。しかし、僕にとって、そのカッフェが入りづらいことは明白であった。……

 結局、僕はそのカッフェを素通りすることに決めた。僕が横を通り過ぎる折、赤子を連れた母親がそのカッフェに入っていった。一瞬間視界に映った店内は、外観とは異なり質素なものだった。僕は、足早にその場を通り過ぎながら、いよいよそのカッフェに入らなかったことを後悔し始めた。それは、僕の仰々しさや華やかさを嫌う故に、しばしば起こる勇気のない子供染みた後悔であった。

 パアンパアン…パアンパアン…

 そんな中にも、破裂音は絶えず鳴り響いていた。のみならず、僕は浮遊感のある眩暈を感じ始めた。吐き気を伴うそれは、僕にとって不快な僕のパアソナリティの一部とさえ言えないこともなかった。

 不快な?…実は愉快であるのかもしれない。それは、僕にとって或阿呆に近づいているという何ら証拠もない一つの愉快でないこともなかった。

 僕はいつでも、いつかその或阿呆のように死ぬことを夢見ていた。

 いよいよ、門前街の空気は鳴りを潜め、周囲には何ら変哲も無い田舎が姿を表し始めた。僕は駐車場へ着くと、自動車に乗り込み息を吐いた。

 ここがまだ家からは遠く、帰路が長い旅路になることは僕の心を喜ばせた。僕は自動車のギアを操作すると、そろりそろりと駐車場を後にした。

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