第89話 災魔の狩人
誰が『トフンガー』の装者に相応しいか。現場は騒然としていた。
功を求めて自ら名乗り出る者。怯える者。状況を飲み込めずに冷やかしに入る者。怒声や不安の声と共に多くの思惑が交錯する中、誰かが言った。
「なあ、もしこれに乗って負けたら、どうやって責任を取るんだ?」
そして、もう一言。
「そもそも、こんな誰も動かしたことがないような吸血甲冑を扱えるやつなんて本当に居るのか?」
その言葉が熱された空気に水を差したのだろう。一同は黙り込んでしまった。
意気地なしとでも言ってやりたいところだが、無理もない。トルネードクラスの操縦経験のある装者など、世界に数えるほどしか居ないのだ。
しかし、誰かがやらなければならなかった。
「俺がやろう」
ガリアは堂々と名乗り出る。突き刺さる視線を振り払い、巨体を背にして言い放つ。
「俺には優れた "カン" がある。誰もやったことがないのなら、一番うまくやれるのは俺だ」
普段からドラクリアンなる得体の知れないVMを操っているガリアだ。事情を知らない人間から見ても、その言葉にはある程度の説得力が認められたらしい。反対する者は居なかった。
「決まりだな。俺が乗る」
メライアも満足気にガリアを見ている。どうやら期待されていたようだ。惚れた女の機体に応えられないようでは男がすたるというもの。
しかしここで問題発生。
なぜかガリアが乗っても起動しないのだ。
「なぜだっ!? なぜ動かん!?」
叫んでも無駄だったのでマジータちゃんに鑑定してもらうことになった。
メンテナンスハッチをあちこち開き、ああでもないこうでもないとうんうん唸る。次の装者候補の選定が始まろうかという段階で、ようやく原因が判明した。
「悪魔の呪いが噛んでるね」
なんでも神の力であるトフンガーは悪魔絡みと相性が悪いらしい。具体的にどこが邪魔をしているのかはわからないが、なにやらガリアにかかった悪魔の呪いが作用しているのだとか。
「ドラクリアンのからみか?」
ガリアの疑問を、マジータちゃんはそれどころではないと先延ばしにした。こんな状況なら仕方がない。キルビスを偵察に出したのも正解だった。彼女は絶対に騒ぎ立てる。まあ、ありがたいことではあるのだが。
「それはあとで調べるね」
しかし困った。ガリア自身に問題があるならどうしようもない。やはり他の装者を探すしか無いだろうか。
が、そこで不意にソフィアが首を突っ込んできた。
「エルフの血は神の筋。あたしには半分だけどエルフの血が流れてる。呪いぐらいなら緩和できるかも」
理屈はわからないが、メライアもマジータちゃんも「その手があったか」と言わんばかりに頷いている。早速、トフンガーの改修が始まった。併せてメンテナンスも行う。
なにやら計算式を書き記しながら、マジータちゃんは言った。
「ガリアくんとソフィアちゃんの心を一つにすることで、トフンガーのブロッキングを無効化する。ヴァンパイアトークン同士を
「任せろ。お互い頭空っぽにすれば良いんだろ」
「それもアリかな」
乗り込む機体はどんな具合か。ガリアは整備班の雄姿を見上げる。
「A二○八-B一九! 右ハッチ急げ!」
「シリンダーがすり減ってる! 油が漏れちまうよ!!」
「銀神経が錆びてる!!」
飛び交う怒号。長らく安置されていた機体は、その巨体を支えるためにどこもかしこもすり減っていた。定期的なメンテナンスの重要性を感じさせる。
そんな折だった。
「リヴァイアサンが動いた!」
凶報を抱えて飛び込んできたのはキルビスだ。彼女は青ざめた顔でドックを見渡し、トフンガーに鋭い視線を向けて言う。
「整備は八割……ギリギリ出られるか……」
時間がないのだ。致し方ないだろう。
「そうだな。メンテを切り上げよう。ソフィア、準備はいいか?」
「任せなよ」
「その意気だ」
乗り込むガリアの肩を軽く掴み、キルビスは言った。
「ごめんね。本当は止めたいんだけど……」
彼女が一番心配なのは、あくまでガリアの安否なのだろう。姉の想いを感じつつ、ガリアは胸を張って言ってやる。
「俺にかかればこの程度、なんてことないさ」
「うん……信じてる」
まるで今生の別れのような空気になってしまったが、負けるつもりなど微塵もなかった。ドックの正面ハッチが開く。夕日はすでにすっかり沈みきっていて、夜の静寂が辺りを包み込もうとしていた。聞こえるのは、地面を叩く雨の音。リヴァイアサンの力なのだろうか。昼間はあれだけ晴れていたというのに。
メライアとマジータちゃんが誘導用の松明を振っている。ハンドサインは……『ブチかましてこい』と来た。言われなくてもわかっている。ガリアは巨大な指でサムズアップしてみせた。
その歩幅はとんでもなく広い。たった一歩で二人を軽く追い越して、すぐにドックから出てしまう。雨粒を弾き、森の木々をなぎ倒す。大地を揺らして神の子供が地を駆ける。
「行くぜリヴァイアサン!」
馬車で半日かかる道のりを、あっという間に駆け抜けた。
水しぶきを上げ海面を割る。同じく大海原を突き進んでいたリヴァイアサンの長く伸びた首を鷲掴み、海中から引きずり出す。
「その姿を見せやがれってんだ!」
しかしその胴体が姿を見せることはない。弧を描くように高く投げ上げたその首は、どこまでも長く続いて海面を割り続けていた。しかし無限などありえない。高波が押し寄せる中、遂にその全貌と相まみえる。
「長い……伝承以上だ……」
そのあまりの異様に、ソフィアは感嘆の声を漏らす。
そう。リヴァイアサンはただの首長竜ではない。それは、言ってしまえば蛇のような姿であった。しかしただの蛇ではない。その体には二対の翼と八本の腕。鋭い牙が、トフンガーの巨体に襲いかかる!!
「行くぞソフィア、キックだ!!」
「おうよ!!」
ガリアとソフィアはなかなか相性が良いらしい。呼吸が乱れることもなく、神の御御足を生きる災害へと叩きつけた。メリメリと音を立ててリヴァイアサンの顔面が歪む。辺り一面に絶叫が走った。
悲鳴にもよく似た咆哮は、闇を切り裂き耳をつんざく。とんでもない大音量に、危うく怯みそうになる。しかしぐっとこらえて、もう一撃。
「パンチだ!!」
二人の声が重なり合う。確認するまでもない。今の二人は一心同体。体も心もシンクロして、目の前の敵に立ち向かう。
「ハリケーンパンチ!!」
前腕が渦を巻き、水しぶきを荒立てる。水面スレスレを突き抜けた拳は、浮足立ったリヴァイアサンの土手っ腹にめり込んだ。
大質量が、衝撃を受け止めきれずに水面から飛び上がる。長く長く伸びた胴体が雨粒を弾き、弧を描いて再び海の底へと落ち延びた。海中は奴のホームグラウンドだ。できるだけ引きずり出して戦いたい。
二足歩行を嘲るように、その巨体はぐるぐると円を描く。――来る。
受け止めそこねた。巨体の突進を一身に受け、トフンガーは海面に尻餅をついた。激しく飛び散る水しぶき。二人は負けじと第二撃に備える。
――まただ!
「そこ!!」
同じところから飛び出してきたリヴァイアサンを、今度は見事に受け止めた。その細長い胴体を締め上げ、酸素の供給路を断つ。
しかしやられるがままの災魔ではない。長い長い胴体は、いとも簡単にトフンガーの胴体を締め上げる。
根比べだ。
トルネードクラスの巨体は、そう簡単にひしゃげたりしない。幾重にも折り重なった特殊合金と、それを内側から支える巨大な魔物の骨と筋繊維。トフンガーの正体も、きっと災魔だったのだろう。その怖ろしさから神と崇め奉られていた、ある種の魔物。それがいつしか信仰心を受け、神格として生まれ変わった。こいつはそう言っている。
「お前も、まだまだやれるよな!」
繋がっているのはソフィアだけじゃない。トフンガーもまた、銀神経を通じてガリア達とはっきり繋がっていた。
海面を割る巨大な叫び。
それはただの駆動音だったのか、あるいは――
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