第73話 君が心を盗むのは

 VM――ヴァンパイアメイルとは、吸血甲冑の名の通りに甲冑を祖としている。今でこそ人を超えたサイズが主流のVMであるが、全ての始まりは等身大だったのだ。

 ヴァンパイアトークンが装者の血を吸い、意思を読み取る。甲冑に仕込まれた魔物の骨や筋がその動きを増幅し、人の限界を超えた力を見せつける――それが原初のVM。名前の通りの吸血甲冑だ。今でこそゴブリンなどという矮小な言霊に貶められているが、その存在は原点にして頂点。人が人を超えるというシンプルな命題が、そこには燦然と輝いていた。

「ガリアどいて!!」

 キルビスは純白の機体を駆り、ガリアと暴走VMの間に割って入った。

「姉ちゃん!?」

 ガリアを庇うように、自らの二倍はあるであろう暴走VMと対峙する。自分より小さな敵の登場に、装者は鼻を鳴らす。

「フン、その程度のVMでこのファントムカスタムに敵うと思うか!!」

 見慣れない機体だったので不思議に思っていたのだが、どうやら改造機らしい。それにしたって個人所有できるような代物ではないのだが、今はそんなことどうでもよかった。

 ガヴァーナはブラックアーマーを使用するためゴブリンクラスの限界ギリギリまで性能を引き上げてある。パワーであれば一般的なオーガクラスと同等かそれ以上。ただ小さいからと侮ってもらっては困る。

 ファントムカスタムが動く。長く伸びた四肢を張り出し、ガヴァーナは跳躍した。一瞬で背後に回り込み右足を払う。バランスを崩した巨体は、しかしすんでのところで立ち直った。ズブの素人というわけではないようだ。

 だが、甘い。

「カスタムするなら弱点は隠そう」

 刹那、ファントムカスタムの右足が自重に耐えられず崩壊した。巨体が倒れ、地面に衝撃が走る。

「なぜだ!? なぜ!?」

「知らないの?」

 ガヴァーナの五指が広がり、その手に握られていたモノが姿を現した。

「ファントムシリーズは左右非対称。実験的な設計には致命的な欠陥があって、右の膝裏にある筋を引っ張ると他の筋が全部引っ張られて抜けてしまう」

 赤黒いタイラントオークの筋をブラブラと揺らしながらキルビスは語って聞かせる。業界では有名な話だ。この欠陥はファントムツヴァイでようやく対策が施された。

「まだまだ勉強が足りないよ。じゃあね」

 それから程なくして現れた官憲に犯人を引き渡し、二人はそそくさと現場を離れる。

 二人きりの帰り道。沈黙を最初に破ったのはガリアだった。

「助かったよ姉ちゃん」

 あんな話をしていた直後だ。うまい返しが思いつかない。どうしたらいいのかわからないまま、キルビスは思考を垂れ流す。

「ガリアはさ、自分のことなんだと思ってる? メライアの部下? 私の弟? それとも……」

 最後に兵器と言おうとして、慌てて口をつぐむ。最後まで残っていた理性に感謝しつつ、ただただガリアの答えを待った。

「俺は俺だ」

 ガリアがきっぱりと言い放つ。キルビスは自分の表情が徐々に色彩を失っていくのを自覚した。表情を隠すように俯くと、悔恨と諦観の混ざりあったものが、白い息と共に感情のまま口からこぼれだす。

「だよね。ガリアはガリア。私が弟の役割を押し付けてただけで、別にガリアは姉ちゃんなんて欲しくなかったんだ。ごめんね。ごめん。ほんとごめん。覚えてたのは、私だけだったのに……」

 せきを切って溢れ出す感情の奔流。それは放っておけばとめどなく溢れ出て、元に戻らなくなってしまいそうだった。そうはさせないとばかりに、ガリアが力なく放り出されたキルビスの両手をとり、強く握りしめる。毛糸の手袋ごしに、彼の熱が伝わった。

「俺は姉ちゃんのこと忘れてたけど、会えて嬉しいと思ってるのはホントだ。よくわかんねえけど、姉ちゃんが俺の姉ちゃんなんだってことは、なんとなくわかったし」

 伝わった熱が、凍てついたキルビスの心を溶かしていく。思いつめて強張っていた全身が、優しい熱に溶かされていくのがわかる。

「いいのかなあ。私、自分のためにガリアの姉ちゃんやってるのに。そんな想ってもらえて、いいのかな……」

 この温もりを失いたくない。それは自我の喪失を防ぐための防衛本能か、それとも別の感情から来るものなのか。

 卑屈な笑みを崩さないキルビスを、ガリアはそっと抱きしめる。

「まどろっこしいなあ。俺がいいって言ってんだからいいんだよ」

 ああ、赦された。

 赦されてしまった。

 自分の中に蔓延っていたおぞましい感情を最愛のガリアに知られてしまった。あまつさえ、彼に認められてしまった。

 本当はそれを望んでいて、先に生まれた姉でありながらそんなよこしまな考えを抱いてしまう自分が心底気持ち悪くて、嫌で嫌で仕方がなかった。だからせめて、嫌われてしまう前に彼から離れてしまおうと、思っていたのに。

 こんな、真正面から受け止められてしまうなんて。

 自分でもわかるほどに頬の筋肉が緩んでいる。雪景色の只中に居ながら、ひたすらに顔が熱い。それがなぜだか気恥ずかしくて、咄嗟に両の手で隠してしまう。

「こんな姉ちゃんで、ごめんね」

 絞り出すような謝罪に、ガリアは応える。

「それが俺の大切な姉ちゃんだよ」

 ああ、これは駄目なやつだ。

 ガリアに認めてもらえたことが、嬉しくてたまらない。

 汚らしい感情を、身の毛もよだつ悍ましい本性を曝け出してしまったのに、彼は変わらず自分のことを "姉ちゃん" と呼んでくれている。それが本当に嬉しくて、嬉しいと思ってしまう自分が嫌で仕方がないのに、ガリアはそこまで認めてくれた。

「うぅ……ガリアぁ」

 それはほとんど本能で動いていたのだろう。甘えるような声を出して、キルビスはガリアにもたれかかる。彼の背中に手を回し、体温を共有するかのように抱きしめた。寒空の中でも変わらない彼の命の熱が、染み渡るほど心地良い。

「ごめん。ほんとごめんね。変な姉ちゃんで、ごめんね」

 自らのガリアへの執着が常軌を逸していることには、薄々気づいていた。きっとは、十余年もの間行方を探し続けたりはしないだろう。それに昔の約束をずっと覚えていたりもしない。

 キルビスの体重を抱きとめ、ガリアは言った。

「もう慣れたから、いつもと違うと調子狂うんだよ。早くいつもの姉ちゃんに戻ってくれ」

 いつもの自分。

 彼に異様に執着して、昔の約束を言い訳にして距離を詰め、彼の存在を身近に感じたいがためにいつもべったりくっついて。

 なんとも思っていなかったはずなのに。

 今はなんだか胸の高鳴りが止まらない。

 どうしてだろう。今、凄くドキドキしている。

 ああ、もしかして。

「……ちょっと無理かも」

 キルビスはポツリと漏らす。

「なんでだよ」

 不満気に言うガリア。その答えを、今教えてやるのはどうにも悔しい。

「冗談だって」

 ガリアの肩を掴み、ぐっと引き離す。面と向かい合った形になると、彼の瞳がよく見える。キルビスと同じ、綺麗な茶色。籠もった熱の意味は、きっと違うのだろうけど。

 離れてからの十余年、ずっと彼のことばかり考えていた。どんな事を考えて、どんなものを食べて、なにをして生きているのか。脇目も振らず、彼のことばかりを考えていた。自分を人間扱いしてくれた大切な弟。一緒に遊ぶと楽しい、よく懐いてくれた可愛い弟。

 再会したガリアは、キルビスが想像していたよりもずっと立派に育っていた。昔と変わらないところもあるけれど、それは全部彼のいいところ。キルビスの矮小な妄想を遥かに凌駕してしまった、優しくて格好いい年下の男の子。

 だからかな。

 彼のことを、好きになってしまったのは。

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