第72話 姉弟の事情
寄り道した服屋でそれぞれ上着を購入した一行は、荷物を置きに宿屋へと向かった。
住宅地を抜けて温泉街に足を踏み入れると、慣れない臭いが漂い始める。鉄を焼いたような臭いだとか、腐った卵のような臭いだとか、いろいろなものが混ざっているようだ。
「なんか臭うな」
ガリアが言うと、メライアは苦笑した。
「温泉の匂いは不慣れだと辛いかもしれない」
確かにガリアは産まれてからこれまで温泉というものに入ったことがない。そもそも城下町周辺には温泉がないからだ。
「私もこれは苦手かも……」
苦い顔をしたキルビスに、しかしメライアは食い下がる。
「大丈夫だ、すぐに慣れる。温泉とはそういうものだ」
どうやら彼女は温泉をそれなりに楽しみにしていたらしい。慣れない土地だと言うのに、少しも迷うことなく宿への道を進む。
辿り着いた先は、良く言えば年季の入った宿だった。悲しくなるので悪くは言わない。意図されていないであろうマーブル模様に彩られた内壁には、いかんとも形容し難い味わいがある。
経年を感じさせる趣はあるものの、手入れ自体は行き届いていた。染み付いた黒い斑点から不潔な印象を受けないのはそのためだろう。
……と、ここ最近の生活で肥えた感性を発揮してみたものの、元来のガリアからすれば屋根があって風が凌げれば万々歳。温かい布団や湯船に食事まであるのだから文句の付け所などない。都合のいいときだけ貧乏感性に戻る性分は人生を豊かにした。
三人でさっさと受付を済ませて部屋に向かう。なんと予算削減のために三人で同じ部屋に泊まることになっていた。低予算に乾杯だ。
「……ガリア、スケベが顔に出てるぞ」
長い廊下を歩いていると、メライアが呆れたように言う。どうやら邪気が漏れ出していたらしい。墓穴を掘らないよう、ガリアは佇まいを整えた。
「そんなことはない。俺はいつでも真面目だ」
「どうだか」
メライアがそっぽを向き、キルビスは苦笑する。今に見てろよ。
それから他愛ない会話をして、指定された部屋へ。ほどよく年季の入った四人部屋だ。部屋の外ではなにやら湯気が立っている。キルビスがいち早くその正体に気づいた。
「あ、家族風呂あるよ!」
言うなり彼女はガリアの手を引き風呂を指差す。
「ねえガリア、一緒に入ろ……」
が、言いかけて口をつぐむ。手放されて宙ぶらりんになった右腕が行き場もなく空気をかいた。やはり最近のキルビスはどこかおかしい。
「なんだよ姉ちゃん一緒に入ろうぜ」
冗談めかして肩を組むと、彼女は俯き頬を染める。おかしい。なにかがおかしい。同じく妙なものを察したメライアは、咳払いしてから低い声を出す。
「……ガリアは私が好きなんだろ?」
だったらなんなんだよ……。
「だったらなんなんだよ……」
とりあえずキルビスから離れ、荷物を部屋の端に運び込んだ。入ってそうそう変な空気になってしまったので、軌道修正を図ろう。
「ところで今日はどうするんだ?」
仕事は面倒くさいが、特定のコミュニティーに共通する無難な話題でもある。どれだけ感情的にこじれていても、事務的な話題に切り替える理由になるのだ。
「今日は建築の視察だ」
狙い通り、メライアはあくまで事務的に返した。後は流れで視察に出て、適当に時間を潰して戻ってくればいい。時間は万能薬だ。
しかし、ガリアの目論見は失敗に終わる。
建築の視察というのはあくまで建前。本命は研究所の実態把握と無力化。メライアは別働隊として先行してそちらの任に向かってしまった。
つまり、ガリアとキルビスは二人きりで工事現場の視察をしなければならないのだ。無論、こちらで不正が発覚した場合はそれも正さなければならない。
東部に位置する闘技場建築予定地では、今日も男たちが汗を流している。しかし怒号が飛び交う工事現場にあっても二人は終始無言。確認事項は申請された予算に見合った施工が成されているか。付近を通り過ぎながら、ざっくりと状況を確認する。
多分大丈夫だろ。
VMの機種と数は申請と同じものだ。ゴブリンクラスが五機に、オーガクラスが一機。懐かしのダイダラボッチだ。後は骨組みの素材やら施工のグレードやら……よくわからない。でも多分大丈夫だ。それに最終的にちゃんと完成するならなにも問題はないだろう。
問題はキルビスだ。
無言はどうにも気まずい。息苦しさをこみ上げてくる胃液と錯覚する。無為に過ぎていく時間。空気がただただ辛気臭い。
このまま黙り続けるのは勝手だ。けどそうなった場合、どれぐらい沈黙に耐え続ければいいと思う?
永遠だ。
キルビスはガリアと二人になる度にこうなるはずだ。だからガリアから仕掛けなけりゃ、一生このまま黙り続けるだろう。
それはよくない。非常によくない。
せっかく再会したまともな家族なのだ。ここで手放してなるものか。
「なあ、姉ちゃんここのところなんか変じゃねえか?」
ガリアが言うと、彼女は手を振って否定する。
「え? そ、そんなことないと思うなー。私はいつもどおりだし……」
「俺と二人だといつも自分のこと姉ちゃんって言ってるよな」
「そ、そうだっけ……」
あくまでシラを切るつもりらしい。こうなったらヤケだとばかりに発した次の言葉は、しかし轟音にかき消されてしまう。
「建設反対!! 平和な温泉街に闘技場なんて建てるな~!!」
場違いな叫び声と共に、一機のオーガクラスが公衆便所を破壊して路上にまろび出た。
※
路上に飛び出したオーガクラスは、一目散に工事現場へと駆け出した。ガリアが慌てて後を追う。
「待てやこの野郎!!」
彼は手頃な石を拾い上げると、柵を破壊しているオーガクラスに投げつけた。気の抜けるような軽い音と共に、暴走VMが振り返る。
「俺はこの街のためにやってんだ! 邪魔するならお前から!!」
「うっせーやってみやがれ糞虫野郎!!」
迫りくる巨大な質量をギリギリで回避。身振り手振りを交えて、ガリアは暴走VMを煽り続けた。
堂々とした立ち振舞だが、彼は無策だ。見ればわかる。あんな大きな工事現場にオーガクラスが飛び込んだら大惨事になってしまう。だからガリアは相手の気を引いたのだ。目立てばそのうち助けが来るだろうと、それぐらいの甘い考えで。相変わらず無茶をする。
そんな弟の姿を見て、キルビスは独りごちた。
「ズルいよ……これじゃあ弟離れできないじゃん……」
こんな姿を見せられたら放っておけない。
キルビスは彼の姉として振る舞い続けることで自己を確立してきた。両親からは自分たちの外付け頭脳としてしか見てもらえず、唯一人間として接してくれたのがガリアだからだ。
しかしそれは、同時に彼が "弟" であり続けてくれないと成立しない、儚い自我であった。それがわからないような頭脳ではない。いつしかキルビスは、彼に弟としての振る舞いを求めるようになる。
それと同時に、大切な自分の弟であるガリアを兵器として扱う両親へ憎しみを抱くようになった。自らの行いを棚に上げて、だ。
それを指摘された。
だから、彼なしでも自分であり続けられるように、彼を姉という名の枷から解き放とうとしたのだ。
なのに。
彼の一挙手一投足がキルビスの庇護欲をそそる。いつ見ても危なっかしい彼の姿が愛おしくて仕方がない。その無鉄砲な行動がどこまでも眩しい。
彼の傍から離れたくない。
「ああもう、なんてダメな姉ちゃん……」
キルビスは天を仰ぐ。
確かにこれだけ派手に暴れていれば官憲もすぐに来るだろう。VMに強いガリアは生身でも逃げおおせるぐらいはできる。キルビスが助けなくても、彼はきっとこの場を切り抜けるだろう。
しかしそれでも。
助けずにはいられないのだ。
「……着装!!」
キルビスは、ガリアの姉ちゃんだから。
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