第三部 ロード・ハウカーミラ

ギルエラとドレス

第69話 服屋のアリサ

 ある日の休日。

 ガリアが資料室で暇を潰していると、隣の席に見知った顔が腰掛けた。

「こんなところで会うなんて意外だな」

 そう言って机に本の山を置いたのはギルエラだ。彼女はガリアの読んでいる本をちらりと覗き見ると、少し驚いたように目を丸くした。

「恋愛小説なんて読んでるのか。誰かに勧められたのか?」

 確かに、一月前の自分に今読んでいる本を見せたら嘲笑されるだろう。自分でもここまでのめり込むとは思わなかった。

「マジータちゃんに押し付けられたんだ。絶対読めってな」

 大筋は騎士と従者の恋愛ものだ。彼女がどんな意図でこれを推したのかは知らないが、とにかく文章が軽快で読みやすい。まだまだ活字に慣れていないガリアでもつっかえずに読むことができる。

 元々暇つぶしに資料室で読書を嗜むことは多かったが、これは意外な収穫だった。

「そういうギルエラはなに読んでるんだ?」

 訊きつつ、ガリアは積み重なった本に目をやる。ピンボール関係の雑誌と、城下町のグルメ本だった。手に持った薄い雑誌を軽く叩きながら、彼女は言う。

「俺は実用書しか読まないんだ」

 確かにギルエラが小説本に熱中しているところは想像できなかった。

「読めば多分面白いんだろうけど、なかなかまとまった休暇が取れないんだ。マジータは小休止の度に少しずつ読んでるらしいんだが、一塊ひとかたまりの文章を細かく分けて読むのはどうにも苦手でな」

 世の中にはいろいろな人間が居るようだ。

 興味が移ったのか、彼女は雑誌を置いてガリアへ向き直る。ガリアの耳に顔を近づけて、小声でこう言った。

「やはりそういうのを読んでいるからかな? マジータは可愛いよな」

 なんだよ急に耳元で囁くなよドキドキするなあ!

 ガリアは確かに感じたときめきを押さえ込み、言われた言葉を反芻する。

「マジータちゃんは……確かに、可愛いよな」

 目鼻立ちや顔の作りは中の上ぐらいなのだが、仕草や表情に愛嬌があるのだ。媚びたような作り声はともすれば鬱陶しい印象を与えかねないが、キャラに合っているため可愛さに寄与している。

 ガリアが小声で返すと、ギルエラは楽しそうに口元を緩めた。ほんの少しだけ間を置いてから、再び口を開く。

「俺はこんなナリだから、可愛さみたいなものには縁遠い。憧れ……というわけではないが、ああいうのに興味が無いわけじゃないんだ」

 ギルエラは中性的な美人だ。ケツがでかいので男と間違われるようなことはないが、マジータちゃんのようなわかりやすい可愛らしさとは無縁だろう。

 彼女は雑誌の裏に描かれた下世話な広告を指でなぞる。インチキ魔核の広告だ。一攫千金で美女にモテモテ、運を司るエンジェルの魔核……だそうだが、生憎エンジェルにそんなパワーはなかった。運を司る魔法は、マジータちゃんクラスの魔法使いでも難しいらしい。

「マリエッタなんかを見てると時々思うんだ。違う自分になれたら、楽しいんだろうなって」

 『自分を変える』という行為は、決して簡単なことではないだろう。マリエッタの人生はそれを体現している。しかし、自分が今のように生きていなければどうなっていたか……それが気になるのも、また人情というものだ。もっとも、ガリアは違う自分を嫌というほど見せつけられてきたのだが……それはそれ。

 そこでガリアは、今まで自分があまり意識していなかった部分に着目する。

 今まで出会った自分のコピーは、それぞれに違う格好をしていた。

 アリアは体格が隠れるような大ぶりの鎧を愛用していたし、ラッキーは海賊の長に見合った装飾過多の服を着ていた気がする。ガリアワンは……よくわからない、黒くてボロい服だったと思う。

 そうだ、服だ。服さえ変えてしまえばそれっぽくなるだろう。

「じゃあ服でも買いに行くか?」

 ガリアが言うと、ギルエラは虚を突かれたようにポカンと口を開く。それから少しばかり硬直していたが、ガリアがまばたきしている間に平静を取り戻したらしく咳払いする。

「な、なんだ。どうした急に」

 どれだけ驚いたのだろうか。平静を取り戻してなお声の震えを抑えきれていない彼女に、ガリアは少し引きながら言う。

「いや……違う服でも着てみれば、別の自分になったような気分にもなるだろ?」

「ああ、なんだ、そういうことか……」

 どういうことだと思っていたのか、ギルエラは深く息を吐いた。エロ下着でも買わされると思ったのだろうか。

「まあ、そういうことなら、うん……付き合おう」

 そういうことになった。



 というわけで、今日はギルエラと城下町の一角にある小さな服屋に来ている。

 大衆向けがメインではあるものの、パーティー用に他所の制服を模したようなジョークグッズも用意されているらしい。ギルエラの目的を達成するにはうってつけだ。

 店に入ると、奥から妙なテンションの男が現れた。

「ほう。今日の客はなかなか上玉じゃねえか」

 男はギルエラに値踏みするような視線を向ける。不快に感じたのか、彼女はガリアの半歩後ろに下がった。それに応じてガリアは前に出る。

「客をナンパとはふてえ店だな」

 すると男は「悪い悪い」とでも言いたげに砕けた笑いを見せた。

「そうじゃないだ。俺はただ女性を着飾るのが好きでな。それ以外に興味はない」

 男が言うと、店の奥から学生服を来た少女が現れる。歳はガリアより少し下ぐらいだろうか。伸ばされた茶色の髪は一部をゆるく編み込まれていて、ゆったりとしたセーターを思わせる。彼女もマジータちゃんと同様に、顔立ちよりも愛嬌で好かれるタイプだろう。

「あーもう、まったく。パパがごめんね。安くしとくから許して」

 少女はガリア達に頭を下げると、それからキッとパパなる人物を睨む。父と呼ばれた男は少女に振り返ると、両手を擦り合わせながら頭を下げた。

「アリサごめんよ~! パパを嫌いにならないでおくれ~!」

「まったくパパはこれだから……」

 アリサなる少女は呆れ顔でため息をつくと、ガリアの後ろに隠れたままのギルエラに視線を戻す。

「ほんとごめんね。で、でもパパのセンスは一流だから! どんなのがいい? やっぱりクール系かな?」

「えっと、俺は――」

 ギルエラの言葉を遮り、ガリアは言う。

「フリフリのめちゃくちゃ可愛いやつにしてくれ」

「お、おい!」

 焦るギルエラをよそに、アリサは頷いた。

「へー意外。彼氏さんってそういう趣味なんだ」

「カレシ!?」

 仰天するギルエラにアリサは疑問符を浮かべる。

「違うの?」

「違う。こいつは……知り合いの部下だ」

 きっぱりと言い切ったギルエラ。しかし大事なことを忘れているようだ。今度はアリサが疑問符を浮かべる。

「……なんでそんな人と、付き合ってもいないのに服を買いに来たの?」

「えっ……どうして、だろうな……」

 理由があるにせよ、経緯を話したところでかえって胡散臭くなるだけだろう。ギルエラの助けを求めるような視線に、しかしガリアは首を横に振って返した。一連のやりとりを見て、アリサはなにやら閃いたらしい。少々品位に欠けた笑みを浮かべ、茶化すように言う。

「あっなるほどね……わかりました。そういうことにしておきましょう! ここであったことは誰にも言いませんからね!」

 なんだか大変な誤解を招いてしまった気がする。しかし見ず知らずの相手にそれを訂正するすべを持たない二人は、ただただ流されるしかないのであった。

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