ちょっと身体と喧嘩しまして

千鳥すいほ

01_郵便受けとイケメン生首

 うららかな春の夜、郵便受けに生首が入っていた。

「こんばんはお嬢さん! いい夜ですね!」

 しかも喋った。無駄に爽やかな声で。

 反射的に蓋を閉めた。ガン、と硬い音がして生首が見えなくなる。金具がうまく噛み合わなかったのか閉まりきらない。恐る恐る視線を向けて、隙間からわずかに覗く黒い毛先を見てしまった。

「待って! 挨拶はちゃんとしましょう! 明るい地域社会のために! そして俺のために!」

 慌てて蓋を押さえるものの声と物音は抑えきれない。

 安さと駅近だけが売りのボロアパート、見るからに貧乏大学生の自分、そして無駄に大きい郵便受けの中の生首。どう考えても事件だ。自分が単なる目撃者としてこの場に居合わせたとしたら、即座に通報して逃げるだろう。

 動揺に呼応するように、手の下の振動が徐々に大きくなる。

「出して! お願い! あの、俺、料理とか得意なので! なにとぞ! なにとぞご検討ください!」

「首だけのやつに料理上手も下手もないよね!?」

 声を上げてしまってから、我に返って慌てて口に手をやった。周囲に人気がないことを確認して、そっと郵便受けを開ける。

 そこにいたのは──やはり、生首だった。

 やや長めの黒髪に縁取られた顔は中性的な男性に見える。意味不明な状況とは場違いなくらいの美形だ。呆然としたまま目を合わせると、黒目がちな眼が人懐っこく笑った。

「改めましてこんばんは! お手数ですがここから出していただけないでしょうか? ほんと、後生です。お願いします」

 首から下がないのが不自然に思えるくらい、表情も喋り方も自然だ。けれど、何度確認しても、その首は顎の輪郭に沿って途切れている。血痕がないので切りたてホヤホヤという風でもない。

「あのー、もしもし? お嬢さーん?」

 はっとして、顔を上げた。死角にあるエントランスドアが開く音が聞こえた。

 人の足音が近づいてくる。

 郵便受けの蓋はうまく閉まらない。隙間からは黒髪がはみ出している。そんな状況で思わず──そう、焦りのあまり思わずだ──生首を引っ張り出して、右手の紙袋に突っ込んでしまった。

 みっつ向こうの郵便受けを開けた隣人は、立ち尽くす自分に一瞬だけ怪訝そうな視線を向けた。

「こんばんは」

「こ、こんばんは」

 こうなったらもう自室に逃げ込むしかない。顔を伏せたまま隣人とすれ違い、そのまま階段を二段飛ばしで駆け上がった。紙袋を抱えて三階の一番奥の部屋まで廊下を駆け抜け、震える指先で鍵を開けて飛び込む。

 扉が閉まる音がやけに大きく聞こえた。

 慎重に鍵を閉めて、玄関にへたりこむ。抱えていた紙袋が滑り落ちて、中身の服と共に生首が廊下に転がった。

 フローリングの上をころころと三回転、こちらを向いた状態で生首が止まる。悪夢的な光景を前に、何も言葉が出てこない。

 数秒の沈黙の後、生首は爽やかに微笑んだ。

「お邪魔します!」

「律儀か」




 生首はカオルと名乗った。

「かっくんって呼んでもいいよ」

「呼ばない」

「ところで君の名前は?」

「……ナオ」

 個人情報を与えるのがなんとなく憚られて、あえて短くあだ名で名乗った。ナオの反応に気を悪くするでもなく、カオルはにっこりと笑う。

「ナオちゃんね! よろしく!」

 言いたいことが多すぎると、逆に言葉にならないものらしい。新しい発見に驚く気力もなく、ナオはローテーブルの上の生首を眺めた。タオルの上に鎮座するカオルの薔薇色の頬は、とても死体のものには見えない。しかし、明らかに首から下がない。

 ナオはじっくりとカオルの顔を観察した。なんとなく見覚えがあるような気もするが、はっきりとは思い出せない。テレビで見たアイドルか誰かに似ているのかもしれない。

 中性的な輪郭、まつ毛が長く黒目がちな眼、きめ細やかな肌。特徴的なホクロでもあれば手掛かりになりそうなところだが、輝かんばかりの肌にはシミひとつなかった。

「なんでウチの郵便受けに?」

「わからない。このアパートに住んでたのは確かなんだけど」

 記憶が曖昧だ、とカオルは言った。

「俺の身体どっかで見なかった?」

「知らないよ。ホラーじゃん、そんなの」

「うーん、困ったな。行かなきゃいけない場所があったはずなんだけど」

 台詞の割に、カオルは困った様子ではなかった。

「多分、ちょっとど忘れしてるだけだと思うんだよね。思い出したら出て行くから、二、三日部屋に置いてくれない?」

 きょろきょろと部屋を見回しながら、平然とそんなことをのたまう。

「ナオちゃん、引っ越してきたばっかでしょ? 俺、この辺りに六年くらい住んでるから、安くて美味しいお店も遅くまでやってる本屋も知ってるよ。ご近所のスーパーのタイムセールも把握してるし、素敵な大学生活のナビゲーターにはもってこいだと思うんだけど、どう? 女の子の一人暮らしに虫除けがご入用だったりしない?」

 やや早口の自己PRを終えて、カオルがじっとナオを見上げる。初めてまともに視線を合わせてようやく、ナオはカオルが随分と動揺しているらしいことに気づいた。黒い瞳が迷子の子犬のように濡れている。

 女の子の一人暮らしに、と言うなら男を部屋に置いておくのは本末転倒ではないかとも思ったが、なにせ相手は生首である。ナオの手助けがなければローテーブルにも上がれない程度には無力だ。

 カオルの言うとおり──そして、部屋中の未開封の段ボールが示すとおり、ナオは大学入学を機に実家を出て、ひとりでこの街へとやってきた。まだ大学への道さえ怪しい中、頼れる友達もいない。アパートの中でさえ、挨拶をしたことがあるのは大家さんと、引っ越し中に階段ですれ違った女性、先ほど玄関で顔を合わせた同じ階の男性くらいだ。

 しばらく考えて、ナオは小さく頷いた。

「虫が湧いたら捨てるから。可燃ゴミで」

「湧かないよ!? 今まさにピンピンしてるじゃん!?」

 憤慨したのも数秒のことで、カオルはほっとした様子で表情を緩めた。

「ありがとう。本当に助かるよ。よろしくね、ナオちゃん」

 大袈裟なほど目を潤ませた微笑みはなにがしかの煌めきを纏っているようにさえ見えて、ナオは若干乾いた感慨に襲われた。

 イケメンという天賦の才は、首だけになっても有効らしい。

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