秘密基地【短編集】
キツノ
怪獣
・田原翔
自殺者が出た。僕が行くであろう中学校で。
まさか自分の周りでこんなことが起こるとは、と驚きつつも、興味もあった。自殺者は男、三階の窓からどすんと落ちた。自殺の原因はいじめだというのもよく聞く話だ。
「缶蹴りいこうぜ」
雄介が声をかけてきた。
「うん」
世界各地で起こる紛争は遠くのことだけど、こんなに近くで自殺者が出ても、僕は少し胸を痛めただけだ。
「涼真が鬼な」
「……うん」
涼真は頷く。
缶蹴りは少し残酷だ。一人で全員を見つけなければずっとその子が鬼。だから大人数でやると鬼はきつい。
その辛い役を任せられるのは、大抵はぶられている奴だ。
・佐藤春香
自殺者が出た。放課後、わたしはいつものように教室で本を読んでいて、そろそろ鍵を閉めようと立ち上がった。
いつもならひとりなのに今日はもう一人男子がいた。
彼は窓に腰かけ、外の景色を眺めている。
「なぁ」
「うん?」
あまり喋ったこともない男子に話しかけられて少しどきっとした。
「君のことが好きだった」
「へ?」
今度は心臓がばくばくし始めた。
「でももう嫌いになった」
「え?」
「さよなら」
一瞬だった。彼は空に飛び出していた。まるでその背中に羽が生えていると信じていたかように飛び出していった。
「……そう、ショックだったね」
「うん」
「きっと最後に気持ちを伝えたかったんだと思うよ」
「警察の人もそう言ってたよ。じゃあさ、『でももう嫌いになった』って何なんだろう」
「さぁ」
学校では昨日、自殺した生徒への黙とうが捧げられた。あと、保護者への説明会も。
誰が彼を追い詰めたのかなんてことはわからないけど、いじめではないかとは言われているらしい。
目の前で人が死んだのに、わたしの心は恐ろしいほど平常で、ただ鮮烈に彼が空を舞う姿が思い出される。
・田原翔
新しい学期の始まりだというのに、僕の頭はがんがん唸っている。朝の登校時はまだ平気だったけど、朝の朝礼の時にはいよいよ吐き気がしてきた。
僕の様子に気がついたのか、隣の女の子が声をかけてきた。
「どうしたの?」
「吐きそう」
「大丈夫?」
そうやって背中をさすってくる。
「やめて」
「一緒に保健室行こう」
吐きそうだからやめて
「頑張ろう」
やめろよ
僕は女の子を見た。きょとんとした目で僕を見る。
何だか、悲しい。
僕はむせるように吐いた。
僕は保健室でうずくまっている。女の子のスカートは汚く汚れてしまった。保健室の布団は柔らかく気持ちがいいが、
気分は晴れない。
大勢の前で吐いた。僕は避けられたりしないだろうか。この前鼻くそを食べていることが発覚した金子は早速『菌』になった。菌になると誰も触れてくれなくなるし、誰も話してくれない。
コドクという地獄に落とされる。
お母さんが迎えにきてくれて僕は一足も二足も早く学校の外に出る。校庭を見るとみんながサッカーをしている。
体育の授業だ。
・佐藤春香
自殺者が出てまだ二月もたっていないのにまた人が死んだ。マスコミの数が自殺の時より多くなった。
元教師、安田望二十九歳。アパートで血まみれの状態で発見。お母さんと話していて思い出したけど、小学四年生の頃の担任だった。
「人が死ぬって何なんだろう」
「何なんだろうね」
咲は軽く頷く。
「小四の頃のクラスって覚えてる?」
「わからない」
わたしは頭を中指でぐりぐりする。
「何かなかったけ」
「何が?」
質問に質問で返してくる。
「なにか」
・田原翔
教室に入った瞬間、何かが違うことに気が付いた。
窓際で話す女の子たち、クルクルとサッカーボールを回す坊主頭。
授業が始まる。雄太がいつものようにクラスを盛り上げる。先生は注意したり、時々笑ったりする。
外見は何も変わっていないはずなのに。
「田原、お前、鬼な」
雄太の声が正面から聞こえた。昼休み。びっくりするほど嫌な声。
「……うん」
僕は『菌』になった。
菌には誰も触れたがらない。菌に触れられたものは汚染される。
家庭科の時間で僕がクッキーの生地をこねるのを嫌がり、僕が使った給食エプロンは『汚染物』扱い。誰かが落とした鉛筆を拾うとそいつは嫌そうに鉛筆の芯の部分をつかんで受け取り、僕の掴んだ部分を必死に拭く。
触れようとはしないくせに近づいてくる。
わざと間違った集合場所を教える。ボン蹴りではいつも鬼。十対一の最悪のアウェー。
でも僕はへらへらと笑っている。いつか終わる、そう信じて。
宙に缶が浮かんだ。空に張り付いた太陽が僕を責める。僕は缶に向かって歩く。
「おい、やる気あんのか~」
そんな声が聞こえた。
・佐藤春香
咲が映画を見に行くというので、同行することにする。なにかと物騒だけど家にいても暇だし、殺人が起こったのも結構遠くだし。
朝九時に家を出発する。駅で外出するのは久しぶりだから、あんまり歩きなれていない道を歩く。
今、殺人鬼が現れたらどうしよう。そんなことを考える。足が遅いからあっという間にやられちゃいそうだ。殺人と自殺に関係性を持たせようとする人もいるけど、安田望が小学校の教員をしていたのは何年も前だ。そりゃ、自殺者の担任をしてたのは少しびっくりしたけど……
目の前に公園がある。ムカデが出ると噂され、わたしはあまり近づかなかった公園。
いや、思い出はそれだけじゃないんだ。
そうだ、あの日わたしは彼とここで会った。二か月前、命を絶った男。
「田原翔」と。
・田原翔
公園でブランコを漕ぐ。キィキィと音が鳴る。休日がとても愛おしく、でも確かに過ぎていく時間を感じる。
みんな、雄太の言いなりになっているんだと何度も思う。でも、もしみんなが本当に僕を嫌って、気持ち悪いと思っていたら。
僕はひとりだ。どうしようもなく、ひとり。
一、二年もしたら終わるだろうか、世界は変わってくれるだろうか。僕はじっと我慢できるだろうか。
『自殺』
ふいに浮かんだ言葉を掴んで押しつぶそうとするけどなかなか消えてくれない。それどころかむくむくと膨らんできた。
死ぬってどんな感じだろう。父さんはテレビで自殺者のニュースを聞くたびに
「いじめなんかで自殺するな」
「自殺する勇気があるなら立ち向かえ」
なんて言う。
でもね、そうじゃないんだ。理屈じゃないんだ。僕は苦しいんだ、今が。
「田原くん……?」
僕は声の主を公園の入り口に見つける。佐藤春香、僕がスカートにゲロをぶちまけてしまった子。
僕はブランコから飛び降りる。佐藤さんは買い物袋を引っ提げながらこちらに近づいてきた。
「来ない方がいいよ」
「ごめんなさい!!」
突然頭を下げられて僕はびっくりした。
「あのとき、背中さすってごめんなさい」
僕は、ぽかんと口をあけたまま彼女の髪を見る。
「ごめんなさい」
違うよ、君は悪くないんだ
「君は悪くないよ、何も。吐いちゃったのは僕だから」
涙が出てきた。ひくっと鼻をすする。
「謝らなくていいよ」
佐藤さんの泣き声が聞こえてきた。彼女はどんな気持ちだったのだろう。罪悪感?可哀そうだという気持ち?それとも僕に恨まれることが嫌だったのだろうか。
いや、気持ちなんてどうでもいい。
そんなもの、どうだっていい。
力が欲しい。
頭の中にふいに出てきた言葉はやがて確信になった。
力だ。力が必要なんだ。力、力、力
「痛っ」
足に激痛が走る。見ると、ムカデのようなものが僕の足を噛んでいた。
「くそっ、どっかいけ」
足をぶんぶん振るとそいつはあっさりと離れて逃げていく。
「大丈夫!?」
「……うん」
なんだったのだろう。
・佐藤春香
「それで、どうなったの。そいつとは」
咲は映画の感想を語ることもなく、スターバックスに直行する。『面白かったね~』と、一言あってもいいのに。まあ、感想なんて出てこないような薄っぺらい話ではあったけど。
「何もないよ、小学生だし。それっきり。それに……」
「それに?」
「……なんだろう、怖くなったんだ。田原くん」
「具体的には」
ぐいぐいくるなぁ
「うーん、なんだろう、強くなったというか」
ミルクを大量に入れたコーヒーは美味しいけどおこちゃまの味で、そういえば初めてコーヒーを飲んだのはいつなのだろうと思った。
・田原翔
帰り道、なんだか呼吸が荒くなっていった。走っているわけでもないのに。
家に着いた頃には動悸がおかしいほど早くなり、頭がキンキンとなっていた。
ベッドの上でのたうち回る。
辛い、辛い、辛い。
過去の記憶が思い出されていた。
小さいころ、怪獣が好きだった。グロくて、強いから。
ソフビ人形も、ウルトラマンじゃなくて怪獣ばっかり集めた。
今はもう小学四年生なのに僕はまた怪獣を求めていた。
僕は紙に鉛筆をはしらせた。
両手に鎌があって、これが最大の武器
目は昆虫みたいなやつで口には牙。コウモリみたいな翼と、形用し難い形をした胴体。
キュルキュルと音を出して、ぐさりと鎌で敵を倒す。
完璧だ。
とびっきり怖くて、強くて
「ボン蹴りやるぞ」
また雄太の声が聞こえた。
「やだよ」
「は?」
「やだって言ってんだよクソが」
雄太の顔が一気に険しくなるのが分かる。
「『菌』の癖にイキんな」
僕は奴の腹を思いっきりの力で殴った。
元々肥満体型である奴の腹はめり込んで、机を巻き込みながら倒れた。
俺は奴の体に乗ると顔をひたすら殴り続ける。
みるみるぐちゃぐちゃになっていく奴の顔を見て、なんだか愉快になっていった。
・佐藤春香
また月曜日だ。塾帰りの体はなんだか酷く重い。
小さいころ、怖かった暗闇は今じゃなんてことない闇になった。
小学校のグラウンドに沿った道を歩く。
フェンスの向こう側の雑草に侵食されはじめた校庭を見た。
何かがいるんじゃないかって見て、何もいなくて安心するのがいつものこと。
でも今日は違った。人がいた。学ランに身を包んだ男がいた。
「田原くん……?」
そうだと思った。ぜったいそうだ。
男は校舎に向かって歩き出す。
わたしの足も、いつのまにかその姿を追っていた。
・田原翔
「それで、田原君をそう言っていじめてたんだね」
「……はい」
僕と雄太は空き教室に呼び出された。先生もやっと僕にされていた仕打ちに気づいたらしい。いや、もしかしたら見て見ぬふりをしていたのかもしれないけど。
「先生」
「うん」
「もっと怒鳴りつけてやってくださいよ。刑務所にぶちこんでやってもいいぐらいのやつですよ、こいつ」
先生は嫌な顔をした。
「駄目だよ」
「え?」
「田原君も暴力はいけないよ。怒る気持ちもわかるけどひどいことをまた田原君がし返したらいたちごっこだ。何か辛いことがあったら先生に相談するように」
ふざけんな。見て見ぬふりをしていたくせに、自分のせいでこんなことになったのに。
無責任。
・佐藤春香
校門はわずかに開いていた。校舎の中に入ると懐かしい光景が広がっていた。靴箱も、薄汚れた廊下もあの頃のままだ。
小学四年生の頃。わたしはどのクラスだったろう。どの棟で、どの階で、どの教室で、どんな生活をしていたんだっけ。
・田原翔
僕の中で何か得体のしれないものが育っている。
イライラが止まらない。すぐに暴力を振るいたがる。始めは「僕」だと思っていたけど、そいつは「奴」だった。僕じゃない。僕じゃないなにかだ。
・佐藤春香
B棟の二階。そうだここだ。奥に図書室がある。図書室から二つ手前の教室だ。暗い。非常口のランプが不気味に光っている。わたしは何をしているのだろう。あの教室まで数十メートル。記憶が久しぶりにわたしのためにあのころの思い出を再生してくれた。
ブランコを漕いでいた。夕焼け。
田原君が公園に来た。ぶらぶらとした足取りで来た。
わたしを見つけると「よう」と声をあげてこちらに来た。
わたしはブランコを降りた。身体がコンクリートみたいに固まった。
「何?俺がどうかした?」
「いや、別に……」
うん。
「俺わかってるよ。怖がられてるって」
わたしは田原君の顔を見た。ひどく疲れたような、惨めな顔をしていた。
「俺、強くなったんだ。君にゲロをぶっかけてしまった頃よりはずっと」
ははっと笑ってから彼は途端に無口になった。
「……どうしたの?」
「別に……」
・田原翔
僕の中の何かは僕を食ってしまおうとしていることに気がついた。
気が付いた時にはもう遅かった。こんなことになってしまった自分を悔やんだ。
いったいどうして?あの気味の悪い生物に噛まれたせい?雄太にいじめられて?教師がそれを放置したから?
あの女が余計なことをしなければ?
ほらまたけしかけてくる。
・佐藤春香
教室の前に来た。わたしは重いドアを開けた。
・田原翔
僕は自殺を決行することにした。たった十三年の生涯。
教室の窓は自殺防止用の止め具がついていたが、無理矢理こじ開ける。小学生の頃、この中学で飛び降り自殺した男子生徒を思い出す。彼も僕と同じように怪物に食われていたのだろうか。
教室の窓に足をかける。大空を舞うように飛んでやろう。
僕は何故スーパーヒーローじゃなくて怪獣を求めてしまったのだろうと、ふと思う。
来世は何だろう。カエルかな。
・佐藤春香
教室の真ん中で太った死体が揺れていた。血が滴り落ち、大きな血だまりがつくられている。あけられた窓から風が吹き込み、カーテンがひらひらと揺れている。
風がやんだ。外に吸い込まれるカーテンのすき間に人影が見えた。
田原翔だった。にやりと笑う。彼の首筋に亀裂が入る。昆虫のような目をした怪物が顔を出した。
・田原翔
僕は怪獣になっていた。僕は死んだって生きていた。
僕、いや、奴は新たな獲物を見つけた。
佐藤さん。あぁ可哀そうに。君だけは殺したくなかったのに。
「君のせいなんだ。君が余計なことをしたから」
違うんだ。僕はそんなこと思っていないのに。
すっかり尻餅をついてしまった佐藤さんは逃げることもできていない。
僕はどんどん距離を詰めてしまう。
「さようなら」
奴は言い放つ。あぁもう終わりだ。
僕の両手の鎌が振り落とされようとしている。
佐藤さん。僕に頭を下げて、泣いてくれた佐藤さん。
殺したくない。殺したくない。
僕は何を望めば良かったのだろう。何を望んでも神様はこんなものをよこしたのだろうか。
いや、違うんだ。『今』なんだ。
僕は、僕は
勇気が欲しい。
僕の身体に鎌をぐちゃぐちゃと突き刺していく。痛い、痛いなんてもんじゃない。
痛みに耐えかねて出た叫び声は、汚い金切り声に変換されて教室中に響き渡る。
佐藤さんがぽかんとした目で僕を見ている。その目には涙が浮かんでいる。
「泣いているの……?」
あれ、おかしいな。ごつごつした額を涙が流れていくのがわかる。
駄目だ。さっさと退場しないと。
僕は窓側の壁に突進する。ガラスとコンクリートが崩れ、大きな穴ができる。
最後に僕は佐藤さんの方を振り返る。
涙がバカみたいに出ているし、血はもっとバカみたいに出ているけど、僕はヒーローみたいにかっこつけたかった。
「さようなら」
背中から身体を空に預けた。教室が遠くなっていくのがわかる。
退場の仕方、かっこよかっただろうか。やっぱりバカだっただろうか。
まあ、なんにせよ
バイバイ
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