月曜日7 夢と希望のファンタジー

 明日が来るのが怖い。今という時間が過去になって消えていくのが、怖くてたまらない。つい昨日の『今という時間』だった過去のことを思い出そうとしても、それは現在の記憶の断片でしかなくて、そのピースは全部歪んでいたり、欠けたりしている。昨日の自分は本当に存在していたのか?


 っていうか、そんなことはどうでもよくて、明日は毎年お世話になっている企業さんの新年会で、テジナのパフォーマンスをしなければならない。その準備が、憂鬱でたまらないのだ。自分が大好きな手品をしてお金をもらえるのに。どうしてこんなに恐怖を感じるのだろう?

 恐怖と緊張が自分の肉体をガチガチに制御しようとする。マジシャンの仕事はお客様に手品を見せて夢を与えること。などというキャッチコピーがそこいらのイベントポスターに蔓延っているけれど、自分の本当にやりたいことは他人に夢を与えることなんかじゃない。全てを破壊することだ。みんなの幸せな時間を破壊して、夢などという嘘っぱちな時間を純粋な無に還元して、現在も過去も未来も消し去ること。ハッピーな人たちに悪夢をプレゼントしたい。


 しかし、残念ながら今のわたしに、そんなパフォーマンスをする能力はない。

 

 わたしにできるのは夢と希望のファンタジーなマジックをテキトーに披露してギャラをもらって割り箸に挟んであるお札を胸に突き刺してもらうことだ。とってもハッピーなことだ。お金は大事だ。日銀の発行したこの紙切れでお寿司を食べたりファンタジーライフオンラインにいっぱい課金できる。そうとも。わたしはおめでたい新年会の席で、日々の仕事に疲れ切ってるみなさんを賑やかすことが役割で、それの対価に自分がメシを食うためのギャランティをいただくのだ。ギブ・アンド・テイク。わたしはその役割を演じなければならない。決して、みんなを絶望させるようなことをしてはならない。


 でも、それでもやっぱりわたしは不幸が好きだ。絶望を感じたい。新年のおめでたい舞台上でこそ、わたしは、自分の本性を晒して、明るい世界を暗闇で覆い尽くしてしまいたくなる。舞台やテーブル上で手品する時はいつもニコニコ笑っているけれど、本当のわたしは意地悪で優しくなんかなくて内臓はドロドロの腐臭にまみれた猛毒の塊であることを知ってもらいたい。水分の不足した唇に血のような真っ赤な口紅をグチャグチャに塗りたくって、ステージ上にある空中に浮かび上がるテーブルを床に叩きつけて粉々にしたり、観客から借りたお札をレモンの中から出してそれをビリビリに破いてレモンを切ったナイフで自分の喉を突き刺して舞台上で死ぬところを見せたい。


 毎年、わたしのような無名のマジシャンを呼んでくれて、酔っ払って抱きしめてくれて、好きだと言ってくれる優しいお客さんたちにこそ、そんな姿を見せたい。


 なんて。


 そんな馬鹿なことをするつもりはないので、やはりいつも通りのネタをキャリーバッグに詰め込んでいく。花の入ったボックスが紙袋から出てくるとか、破った新聞紙が元に戻るとか、でっかい3枚のトランプを使った当て物マジックとか、テーブルがふわふわ宙に浮くとか、普通のマジシャンが無難にこなすようなオーソドックスな手品道具をキャリーバッグに詰めていく。うんざりする。こんなのマジックショップで買えば誰でも出来るようなマジックだ。観客に分かりやすくて絶対にウケるマジックで、自分はこんな手品は全然好きじゃないのだけれど、観客が欲しているものを提供するのが仕事というものだ。たとえそれが自分にとって大して好きでない手品でも、これをやれば確実に盛り上がるから、それでいいのだ。それでいい。自分が好きでなくても、お客さんがウケてくれるならそうすべきなのだ。それが仕事だ。わたしはメシを食わなければならない。いつまでも親にパラサイトして布団に潜ってゲームばかりしているわけにはいかない。自立してメシを食うために仕事をしなければならない。


 メシを食うために?


 だったらメシなんか食わないで野垂れ死ね、このクソ野郎が!


 わたしは、キャリーバッグに入れたオーソドックスな手品道具を全部引っ張り出して、自分の好きなマジック道具に入れ替えた。舌に串を刺す手品。針と糸を飲み込んで繋げた状態で引っ張りだす手品。薬指を引きちぎる手品。自分の首が床まで落っこちる手品。観客の出した唾を飲み込む手品。宝石を飲み込んで目の中から出す手品。自分の好きなマジック道具だけキャリーバッグに詰め込んだ。これでいい。これでいいんだ! メシなんか食えなくていい! ずっと家にパラサイトしてやる! どうしても出て行かなきゃならなくなったら、そんときゃそん時で、大道芸で稼げばいい。まだ大丈夫だ。実家にいさせてもらえるうちはやりたいことをやりたいだけやってやる。親に迷惑かけても構いやしない。お客さんに来年から呼ばれなくなっても構わない。もう、くだらん夢と希望のファンタジーは終わりだ!


 なんてね。


 あんまり親に迷惑かけないように、少しでもお金を稼いで、家に入れる金額を増やせるようにしよう。そしてちゃんと自立して一人で生きていけるようになろう。

 たとえ気色の悪いグロテスクなマジックでも、お客さんに喜んでもらえるようにちょっと毒を薄めて演技すれば、大丈夫。明日はきっとなんとかなる。今日はもう寝よう。って、アンプを充電するの忘れていた。テヘペロ。それじゃあ、本当に寝る。マイスリーを飲んでぐっすり眠ってわたしは夢を見る。たとえそれが悪夢であっても受け入れよう。

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