月曜日31 終わりと始まり

 12月が終わる。といっても、それは昨日が終わるのと何も変わらない。新年が始まるのと、明日が始まることに何の差異もない。けれど、みんな楽しそうだから、わたしは祝福しようと思う。ひねくれた考え方をして世界を無為に憎むのはやめにしたい。


 しかし、新年を迎えようとするたびに思うことがあって、それは、明日はどれだけのおじいさんやおばあさんが喉に餅を詰まらせて死んでしまうのだろうかということである。お正月なんてものがなければその人たちは、それ以降も生きて残りの人生を謳歌できたかもしれないのに。などと、まだ餅を詰まらせて死んでもいない爺さん婆さんのことの考えながら、今年の秋に死んだ祖父のことを思い出す。85歳だった。高齢で心臓のバイパス手術もしていたので、去年の夏に両親が実家に一緒に住むことを祖父に勧めていた。けれど祖父は「一人でいいんだ。一人が好きだから」と言って、それを断った。そして、今年の秋、孤独に死んだ。発見されたのは死んでから三日後だった。司法解剖の結果、胃腸からの出血が直接の死因だった。死んだ時はトイレから出た直後で糞尿を垂れ流していたらしい。わたしは直接、祖父の死体を確認したわけではないが、わたしの両親が警察からの連絡を受けてその死を直接確認した。警察の人は両親を気遣って丁寧に対応してくれたらしい。「おじいちゃんが亡くなった」と聞いた時、わたしが考えていたのは葬式に出るのがめんどうくせえな。とか、親戚に顔を合わせたくねえな。とか、線香の匂いを嗅ぐのも嫌だし、柩を霊柩車に運ぶ手伝いをするのも、火葬場へ行って骨を箸で壺の中に入れる儀式もしたくなかった。人間は死ねば腐って蛆や微生物の肥料になるか、燃えてただの灰になるかそれだけのことなのに、どうしてこれから煙か灰になる死体の前でお経を唱えたり祈りを捧げる必要があるのか、さっぱり分からなかった。誰のためのそんなことを? 死んだ人のために? いや、そんなことはない。死んだ人に自我はない。その儀式はわたしたち生きている人間のために行われるのだ。人間は死んだらどうなる? キリスト教においては神を信じる者は永遠の命を得て苦役のないパラダイスに行くと教えられてきた。しかし、今のわたしにはそんな人間の概念上の天国などどうでも良かったし、何の慰めにもならない。むしろ死後の世界があるのなら地獄に行きたい。地獄に行って、天国で幸福になっている奴らに火あぶりにされている自分の焼け爛れた姿を見せつけて「お前らは地獄にいるわたしを見て、楽しいか?」と、問いただしてやりたい。しかし結局、そんなものはないだろう。わたしは死んだことはないが、死ねば生まれる前の状態になるだけなのだ。わたしは自分が生まれる前の世界を知らない。だから、死ねばわたしは全てを知らない状態になるのだ。確かにそれは過去も現在も未来もない、永遠の世界なのかもしれない。わたしはそれを恐れてはいない。恐れているのは、いつか自分は何もない状態になることを知りながら、この世界を彷徨っている行為自体だった。無意味だと分かっていながら、それを延々と繰り返すこの日常こそが地獄に他ならないのでは? と、感じながら、エロ漫画を読んだりゲームをしたりするのは楽しいから死にたくない。意味なんかどうでもいい。ずっと楽しい世界にいたい。でも、いずれこの楽しい世界は終わるのだ。陽が沈み夜が必ず来るのと一緒で、時間は止まってくれない。


 わたしは祖父の葬式に出なかった。わたしには、どうしても葬式という儀式に意味を見出すことが出来なかった。

 父と母にそれを伝えると、出なくても大丈夫だから。と、優しく言ってくれる。

 わたしの幼い頃に覚えてる両親は鬼のような存在だと思っていた。わたしのことが憎いのではないかと思っていた。いつも怒られてばかりいた記憶しか残っていない。実際わたしはとんでもないことばかりして、両親を困らせていた。中学の時には母の言動に嫌気がさして、台所から包丁を取って母に対して「殺してやる!」と喚いたこともある。


 しかし今、この目の前にいる両親は、一人で生活する気力を失って自分でメシを食うことすらままならない自分にこんなに優しくしてくれる善意の人だった。今のわたしは、そんな父と母に対して虚ろな返答しかできない。


 もうすぐ2019年になる。0時になれば、みんなが一斉にツイッターで、あけおめことよろ。と、ツイートするのだ。わたしもそうする。祖父が死んでいるからといってそんなことは構いやしない。死は悲しいことではない。わたしは新年といういつもと変わらない1日に、テキトーに意味を見出してそれを祝福する。わたしは世界を祝福する。それが全く何の意味もない行為であったとしても、それを祝福しよう。


 2019年、0時になった。


 わたしはツイッターに「あけおめことよろ!」と、呟いた。みんながハートマークをつけてくれる。とっても嬉しい。

 そしていつものように布団の中でもぞもぞしてゲームをしたり本を読んだりしながら眠る。


 明日の朝も自分が生きていることを願いながら。

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