第15話 nostalgia

「調子はどうですか、渚月さん」


 病室で絵を描いていると、カーテンが開いた。わたしはすぐに鉛筆を置いた。


「あら、隼くんじゃないの。本当に来てくれたのね。うれしいわ。座ってくださいな」


 大学のサークルの後輩、そして命の恩人。わたしはその日、作品を仕あげるため、大学にこもっていた。そして倒れてしまったわたしを最初に見つけてくれたのが彼だ。


 彼は見舞いが遅れてしまったことを謝って座った。きょう来たのは、コンテストにだす作品の相談のためらしい。


「それでどんな絵にしようか、いいアイデアが浮かばなかったんです。気晴らしついでに、いいものを渚月さんからもらえたらと思って」


「ええ、わたしなんかで役に立てるのなら喜んで。ずいぶんと根をつめているのね。疲れた顔よ。無理はじぶんをすり減らすだけ」


「大丈夫ですよ、じぶんのためですから。入院は暇でしょう。きょうは近況も話したかったんです。サークルでは皆相変わらずですけれど」


 サークルの取り留めもない世間話を話しはじめた。だれが飲み会で失敗したとか、だれが久しぶりに顔をだしたとか。そういう話は好きだ。人となりがもっと見えるようになるのは楽しいことだと思う。彼も楽しそうにつづけた。


「浅田はまだ坂本のことを狙っていますし、坂本は瀧原たきはらを嫌っていますね。みんながなにをいっても変わらないですよ、あそこの関係は。瀧原はじぶんの話を武勇伝的に語ってとまらないですし。印刷業の父がとても大きな仕事をもらってきたとか、最近は語っていましたね」


「それで浅田くんと瀧原くんにいざこざが起きなきゃいいのだけれど。ふたり、それなりに仲いいでしょう。隼くんもいつもどおりみんなにお節介焼いているんでしょ。いい人ね、本当に」


「瀧原だけは苦手ですけれど。なんであんな男が、あれだけの絵を描けるか疑問で仕方ないですよ」


 隼くんはうしろめたそうに笑った。人を嫌うのにうしろめたさを感じる人間がどれだけいるだろう。


「でも、皆ひとつだけ共通に思っていることがあるんですよ、あの瀧原ですら。渚月さんがはやく戻ってこないかなって、みんな口を揃えていっていますから」


「ありがたいわ。きっと今年の卒業パーティには行けるから、みんなに伝えておいてね。あと、元気ってことも。お願いよ」


 すこし寂しかった。同級生は先に卒業してしまう。後輩もいい人ばかりだけれど、それでも。


 隼くんは優しくうなずいたが、わたしはその仕草にどこか違和感を覚えた。どこか引きつっていて、そっと離れていくような気がした。その感覚を覚えてしまうじぶんも、そんなことに怯えるじぶんも、いやだった。


 そして絵の相談にはいった。絵の題材のこと、それに彼の画風のことはかなり深く話しあった。ここは特に重要な部分だから、わたしも慎重に答えた。


 どうやら答えこそ得られなかったものの、じぶんの向かうべき方向は見えてきた。いままで培ってきた写実の知識や技術を生かした作品にするみたいだ。彼の表情は晴れ晴れとして、満足げだった。


 お爺様が看護師に支えられて歩いてきた。談話室で本を読んでいて、疲れたから話しにきたようだ。ずっと布団にいるとそのうち感覚がおかしくなってしまいそうだ、と以前語っていた。


 先日の体調不良はよくなったらしいが徐々に痩せ、その表情に生気がなくなりつつある。談話室からの数十歩だけで、肩をすくめて息をしていた。すこし落ち着かせてこちらを見ると、目を大きく見開いた。


「隼くんではないか。どうしてこんなところに」


 隼くんは目が点になっていたが、ようやく思い当たったらしい。驚いて立ちあがった。わたしがわくわくしてきた。


「祐のじいちゃん。まさかこんなところでお会いするとは。入院なさっていることは知っていましたが、まさかこことは知らなかった」


「いや驚いた。祐が迷惑かけてはいないだろうね。覚えているよ、君が家の片づけを手伝ってくれたことを。ほかにもたくさん助けてくれた。感謝する」


「困ったときはお互いさまですよ。それに、僕は人を助けることしか能がないんですから。この前も祐と飲みに行ったんです。なんというかまあ、ひねくれもので変わったあいつらしかったですよ、相変わらず。そういうあいつが面白いですが」


「本当にいい子だ、隼くんは。ずっと友達でいてやってくれよ」


 懐古に微笑んでいるふたりを見て、わたしもつい頬が緩んだ。


「まさか知りあいだなんて。そういえば隼くんも長野出身でしたわね。本当に、人の繋がりというものは面白いですわ」


 それからよく三人で虫取りに行っていたことを隼が話すと、お爺様は感嘆の声をあげた。箪笥たんすに仕舞っていた大切なものを見つけたときのような、懐かしくも悲しくもある声だった。


「懐かしいな。祐がじっとしていないものだから、しょっちゅう迷子になっていたな」


「ふたりで探しましたね。日が沈んでも見つからないときもありましたよ」


 隼くんが馬鹿にした声で笑った。そんなお調子者のような彼を見るのははじめてだった。


「祐くんって、そんなに活発な子でしたのね。いまの彼からはあまり想像がつきませんけれど」


「いつしか行かなくなってしまったものなあ。わたしの仕事のせいもあるが」


「いま思えば、じいちゃんにそんな暇あったんですか? 本当に事あるごとに山に行ってましたけれど」


「まあ、老人は魔法を使えるのさ」


 今度は中学の話で、ふたりがいたずらばかりしていたことを、お爺様が話しだした。隼くんは赤面し、お爺様の肩を揺らした。


「ご存知だったんですか。もう、そんなむかしのことを掘りださないでくださいよ」


「なかなか有名だったぞ。町中の不思議なことは、すべて君たちのせいだと吹聴されていたからな。尻尾くらいはつかまれていたというわけさ」


「やめましょう、恥ずかしいですから。そんなことより、祐はずっとおじいちゃんっ子だったんですよね。保育園くらいのときからですか?」


「ああ。たまにうちに来るときもわたしにべったりだった。それはもう可愛くて仕方なかったよ。じいちゃんじいちゃんといってな」


「そこはいまでも変わらないですわね。むかしの祐くんに会ってみたいわ。いつから祐くんを弟子にしたんですの?」


「弟子ときたか。よくひとりで家に来るようになったのは、中学のときからだったかな。それまではたまに来るだけだったから。それこそ虫取りとかだ」


「どおりでそっくりですわ、雰囲気が」


「名づけ親ですものね、おじいちゃんは」


 隼くんが眼鏡に手をやりながらそういった。


「あれ、君に話したことあるっけ。一応ばあさんということになっているがな、実はわたしなんだ」


 どこかお爺様は照れくさそうだった。そのあともいくつかむかし話をした。お爺様がすこし疲れた様子だったから、隼くんは帰る支度をはじめた。


 そして部屋をでる前、隼くんがこちらを見た。それはいつもの目ではなく、なにか救いを求めるような、哀願あいがんするような目だった。その真意はわからなかった。やはり彼はいつもどおりではない。なおさら不安をあおった。


 きょうは楽しい時間だった。しかし先日の祐くんとの一幕を思いだして顔をしかめた。なぜ彼はあんなことを聞いてきたのだろう。わたしに対してあれほど警戒心を見せていた人がなぜ。怒りはしないが、ただ困惑する。



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