第二話「経験は小出し小出しに重ねましょう」
エリーが辻馬車をお止めになられたのは、王都クルプワの外壁間際、南大門近くの街角でした。南大門を入ってすぐの場所には、デレス各地と王都を結ぶ駅馬車と、王都の下町を巡る乗合馬車の、たいへん大きな旅客駅がございます。
――と、いうことは存じ上げていましたが、常日頃の移動手段は自家用馬車か辻馬車かというわたくしが、この辺りの街路に降り立ちますのは生まれてこの方初めてです。大きな荷を抱えた方々が大勢目につきまして、独特の雰囲気にわくわくしてきます。
「すごいですね。旅装束の人がたくさん! これからお外へご出立なさろうかという方々と、王都へ到着されたばかりの方々と、一体どちらが多いのでしょう?」
「サヴィ、手を」
「はい」
好奇心できょろきょろとしておりますわたくしに、辻馬車から降りる手助けをして下さったエリーは、続けて肘をお貸し下さいました。
「自分から、決して離れないように」
「ええ、エリー」
お導きを頂くままに、組ませて頂いたエリーの腕はがっしりとしてらっしゃって、真摯なお顔とお言葉の頼もしさにもときめきます。みなの憧れの騎士様に、守護して頂きながら街歩きを致します、この贅沢といったら!
「サヴィを、この界隈へ連れて来てよいものかどうか、正直悩んだのだが……」
「あらどうしてですか? 今はお昼の明るい時間帯ですし、一人歩きをなさっている女性も珍しくないようですよ」
エリーの隣におりますと、店番をしている女の子たちや、道行くご婦人方からの熱のこもった眼差しや羨望を感じます。女性の姿が目立つ気がしますのは、そのせいもあるのかもしれません。
格好いいですものね、エリーは。四方八方どこから見ても。近衛二番隊の騎士様であられるということに、気づかれてらっしゃるかどうかは知れませんけれど、地味な色合いの、飾り気のない平服をお召しでいらしても、隠しきれない色男感を醸し出しておられます。
「だが、サヴィは初めて来たのだろう? 君の父兄が、避けさせてきた場所ということでは」
「それは、ええ、単純に、必要がなかったからだと思いますけれど。乗合馬車も駅馬車も、わたくし、利用する機会というものが一切ございませんでしたもの」
「サヴィは、それだけ箱入り娘だから、よいものかと」
雑踏の中で、互いの声が聞き取りやすいようにでしょうか? 逐一お顔を傾けて下さるエリーを見上げながら、わたくしはエリーの杞憂を吹き飛ばすように笑い掛けました。
「いいに決まっています。エリーは、エリーが危ないとお考えになる所へ、わたくしを引き回すような真似はなさらないでしょう? それにもしものことがありましたって、エリーのお傍にいましたら、わたくし、安心安全なのですって信頼していますもの。ですから、無用なお気遣いはなさらないで、父様や兄様とではできないこと、エリーとだからできる経験をめいっぱいさせて下さいな」
仕上げに両手を使ってぎゅっと腕にしがみつきながら――人目のある街路ですので、恋人っぽく振舞ってみました。うふふ。――以前にしましたお約束を持ち出してここぞとばかりに甘えてみますと、エリーは、あらちょっと大胆でしたでしょうか? びくりと腕を震わされ、視線をそっと外されて、口元を手で覆われました。
「……それは、おいおい」
「はい、おいおい。小出し小出しにして頂く方が、楽しみ甲斐がございます」
「了承した。段階には重々気を配ろう」
「はいっ。次は、『殿方と二人きりで初めての外食』、ですね。エリーがご案内下さるのはどちらのお店なのでしょう? いつもよりも早起きをしましたもので、わたくしお腹がぺこぺこなのです」
*****
それからほどなく、エリーがここと示されたのは、駅前広場に軒を並べた、旅客で賑わう食堂酒場のうちの一軒でした。
心得顔の女将さんはエリーとお顔見知りのご様子で、わたくしたちはエリーが名乗られるまでもなく、予約札をのけ二階席へと通されたのでした。食べ物にこれといった苦手が無いわたくしは、ご注文もエリーにお任せです。
「こちらのお店へは、よくいらっしゃるのですか?」
テーブルを挟んでエリーと向かい合いまして、お水で喉を潤してお料理を心待ちにしながら、わたくしは気になっていたことをお尋ねしてみました。
「よく……、というほどは。休みに、たまに」
とお答えになるエリーですが、お店の方ともよく馴染み、寛いでらっしゃるようにお見受けします。そう頻繁に来られるわけでもないですが、数年前から通ってらっしゃるということでしょうか。
「お席はいつもこちらへ?」
「いや。自分だけなら止まり木席でも相席になっても気にしないが、今日はサヴィと二人なので」
「それでご予約下さっていたのですか? 嬉しい!」
二階奥の窓際にあります、明るく眺望も楽しめます二人掛けのこのお席は、こちらのお店で一番の特等席な気がします。時間が時間ですので、空席待ちの行列もでき始めていましたし、きっと予約なしの来店では、お席なんてとてもではありませんけれど選べなかったことでしょう。
「同僚に意見してもらって。女性と出掛けるならば段取り良く、というのが口を辛くして言われたことだが、ここの二階席からなら、今日に限ってちょうど昼時に、面白いものを見物できるかもしれないらしい」
そうおっしゃられたエリーのお首の動きにつられまして、わたくしも窓から外に目を向けてみました。
風景を邪魔しない程度に、赤蒲萄のステンドグラスで飾られた窓からは、数台の馬車が停泊している旅客駅と、島のように立ち止まった方々や、行き交う人波でごった返している、時計台のある広場が見えています。
「何でしょうね? 広場で大道芸でも始まるのでしょうか?」
「さあ? キーファー曰く運試しをしてみろと」
「運試し、ですか?」
窓から目線を戻して、エリーの横顔に問いかけますと、エリーもまたそれに気づいてわたくしに向き直って下さいました。
「ああ。運良く見られれば、幸福な気持ちになれそうなもの、でもあるらしい」
「幸福な気持ちになれそうなもの……?」
ますますもってわかりません。ですけれど、エリーのご同僚の騎士様は、もしかして口下手なエリーのために、『恋人との食卓に乗せる話題』をご提供して下さったのではないでしょうか?
だとしたら、せっかくのお志でございます。ぼんやりしていないで全力で受け取らなくては! それに面白くて、その上幸福な気持ちになれそうないいものを、見逃すという手はございません。
「それはぜひとも拝見してみたいものです。二人で運を掴めるといいですね、エリー。ところで……、エリーが今日のことで、ご相談をなさった同僚の方というのは、キーファー・トリフォーレル様でいらっしゃるのですか?」
「ああ。彼は王都の生まれで、多方面に明るいから。……キーファーに、関心が?」
「ええ、とっても」
近頃、寝ても覚めてもキーファー様一色になっていらっしゃる、ルーダの懇願を思い起こしながらわたくしは即答致しました。エリーが表情を強張らせてらっしゃるので少々不安なのですけれど、物は試しというものでございます。きっかけを頂戴したことですので、友情という名の義理をここで果たしておきましょう。
「キーファー様は、わたくしの仲良しなお友達ルナダリアの、ご贔屓騎士様でいらっしゃるのです。器用で多才で人当たりが良くて、旦那様になって頂きたい騎士様といえば断然キーファー様と、それはもうお熱で。
ルナダリアはわたくしと同い年で、クルプワで信用第一のお商売をなさっている、手堅い商家の跡取り娘です。その点をどうお考えになられるか存じませんが、愛嬌のある人ですし、親しい友人として人物保証も致します。こういったお話を迷惑がられない方ならば、そのように思い焦がれている女の子がいることを、ちらりとでもキーファー様のお耳に入れて頂けると幸いなのですが」
わたくしが恐々とそう述べますと、エリーは、詰められていた息をふっとつかれて、眉間を緩めて下さいました。
「なるほど、サヴィの友達の、か……。キーファーは自分と異なり、迷惑がるどころか喜ぶ感性を持っている。サヴィとの進展を根掘り葉掘り聞かれる前に、機嫌良くさせて逃げることにする」
「まあっ」
エリーのご返答に安堵しながら吹き出しておりますと、食欲をそそるよい香りと共に、一人前ずつ木盆に載せられたあつあつのお料理が届きました。さあ、楽しい楽しいお食事時間の始まりです!
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