記憶喪失の部屋

真樹

第1話 

 目が覚めると、僕は一年分の記憶を失っていた。

 らしい。



 目を開いて、一番最初に飛び込んできたのは、知らない女子の顔だった。

 寝ている僕の顔を、覗き込むようにして見てくる。

 

 あれ、いつの間にか眠っていたみたいだ。

 いつ寝たんだっけ。眠る前のことについて思い出すために、眠気でぼんやりする頭をなんとか働かせようとしていると、その少女と目があった。


 茶色みがかかったセミロング。くりっとしてきらきら光っている目と、びっくりするほどながいまつげ。ピンク色の唇。

 

 よく見たら、めっちゃ美少女じゃん。


 驚いたせいか、急に眠気がどっかへ行って、ばっちり頭が覚醒した。

 その子は、弾けるように笑顔を浮かべてこう言った。


「よかった! 目が覚めたんだね」


 ……何言ってるんだろう。寝ていて目が覚めるのは、当たり前では?

 少女は、ベッドの脇にある椅子に座ったまま、カーテンの向こう側へ向かって「起きたよ」などと言っている。


 僕は上体を起こして、周囲に目をやる。

 真っ白い掛け布団の乗った、アルミフレームの簡素なベッド。左側に安っぽい丸椅子が2つ置いてあって、その一つに少女が座っている。よく見たら、コスプレじみた軍服風の服を着ている。美少女なのにファッションセンスがないとは勿体ない。


 その椅子の向こうに、仕切り用と思しき薄いベージュのカーテンが天井からぶら下がっている。右側にもカーテンとレールが用意されているが、閉められておらず、3台のベッドが並んでいるのが見える。


 病院? か、保健室みたいな空間。


 ……ちょっと待って。この部屋に、全く見覚えがない。通っていた高校の保健室とは違う。入院したことのある、近所の病院とも違っている。


 なんで、こんな見覚えのないところにいるんだ?


 最後の記憶では、家で勉強していたはずなんだけど。明日英語の小テストだからって。

 見知らぬ女子はおろおろしている。


「わぁ、そんな急に起き上がって大丈夫? まだ寝てたほうがいいんじゃない?」

「別に大丈夫だけど……」


 寝ていたということは、何かしらの怪我か病気ってことか。それが原因で気を失って、病院へ運ばれた? あぁ、それが一番有り得そうだ。そのことを憶えていないのも、具合が悪かったからってことなら納得できる。

 

 問題は、目の前の女の子が、どうみても看護師さんには見えないこと。

 

 それに、家で倒れたのなら母が付き添ってくれていそうだが、その姿もない。


 疑問だらけだった。これ一体何から尋ねたらいいんだろうと考え込んでいると、カーテンの向こうから少年が顔をのぞかせた。


「おはよう」


 また知らない人が増えた。女の子と同じようなコスプレをしているから、多分お仲間なんだろうけど。

 ナチュラルに挨拶する前に、自己紹介をしてほしい。


「おはよう……ございます?」 

 

 少年は、少女の隣に座った。

「最初に一つ確認させてほしんだが……お前、今何歳?」


 最初にそれなんですか? 名前とかじゃなくって?

 疑問に思いつつも、素直に答える。


「17歳だけど」


 答えた瞬間、空気が凍りつくのを感じた。少年は顔をしかめ、少女は悲しそうにうつむいた。


 なんだそりゃ。僕が17歳で何が悪いんだ。未成年だから? 

 少年は、大きくいきを吐き出してから、僕の目を見据えてきた。


「お前は、俺たちのこと知ってるか?」

「えっと、どこかでお会いしたこと、ありましたっけ?」


 ひょっとして、どこかで会ったことあるのか? 17歳にもなって、人の顔を覚えられないとは何事だ、みたいな。


「名取」


 と、彼は僕の名字を呼んだ。うわぁ、ガチで知り合いなのか。そして今から記憶力の薄弱さを責められるのか。


「落ち着いて聞いてほしい。……お前は、一年分の記憶を失っている」

「……えっと」


 一年分の記憶。

 一年分の記憶を僕は失った。


 そんなことを言われても、到底信じられるわけがない。僕は昨日、普通に学校に行って、普通に授業を受けていたはず。

 一年分って、そもそもいつからいつまでのことを指しているんだ?


「今年が何年だかわかる?」

「2018年でしょ? 2018年の、11月30日」


 少女は黙ってポケットからスマホを取り出すと、僕に画面を差し出した。

 ロック画面には、数字入力用のキーボードと、時計。時計はデジタル表記で、上に小さく日付が入っていた。


 2019年12月1日、と。




 2018年12月1日から、2019年11月30日まで。

 僕は、一年分の記憶をごっそり失った。



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