第3話 主役だと言い張れる話 前編

 主役だっていう条件は、何だと思う?

 自分自身の人生が、何かしらの物語だと呼べるのだとして。その物語の中で“主役”だって言えるためには、どういう条件が必要だと思う?


 色々あるとは思う。何か目的があって、それを達成するために最も活躍した人間が主役。集団に所属していて、最も人望が厚いものが主役。生い立ちだとか、そういったものに凄く重要な謎や理由が存在していて、そういうものを解消したり、あるいは従ったりして生きた人間が主役。あるいは単に、異性から凄く好かれた人間が主役だ、っていうのでもいいね。うん、色々ある。


 別に、どれかに絞らなきゃいけないってわけじゃない。たくさんの主役たる理由を持っていたっていいし、どれが“主役らしい”かは、人それぞれだろう。それでいいと思う。

 だから、これは提案だ。俺にとっては、こういうものが主役だと思う、っていうね。



 ──何かを変えようとした人間、それが主役だ。






 退屈で見栄えのしない仕事を続けていたある日のこと。一つの転機が訪れた。俺の家を、一人の女性が訪ねてきた。


 何事かって思うだろう? だって、今の今まで──つまり今までの話の中で──異性との関係性どころか、友人関係さえ希薄だったっていうのに、いきなり女の人が家に来るんだから。そりゃあ、驚くだろうね。俺だって驚いた。

 いつもなら、セールスだとか、宗教勧誘だとか、そういうものだと思うし、実際そうだ──ああ、こっちの世界の宗教勧誘は、そんなに変でもないけどね。

 けど、今回は違った。相手は、見知った女性だったからね。


 訪ねてきたのは、昔の同僚だった。修行の旅に出るとかなんとかで、退職してしまった人だ。

 とても明るい人柄で、誰からも好かれていた。誰からも好かれる、なんてことが現実にあるとは思わなかったけど、確かに彼女は誰からも好かれていた。裏表のない性格、耳通りの良い声に朗らかな口調。笑顔が似合い、またそれを分け隔てなく見せてくれる。気配りができて、物事を見る目に優しさがあった。弱者を庇い、不正を嫌うが、それでいてそれを行なってしまう人の機微を理解できる賢さがあった。

 そして、彼女の性質が理解できる程度に、彼女は俺と接してくれていた。俺が会話できる、数少ない女性だった。だから、退職してしまったときは、かなりショックだった。


 誤解を生まないように念のため言っておくけど、客観的に見れば親友でも恋人でもないどころか、友人かどうかも怪しいような状態だったよ。だって、仕事場で喋るだけだからね。でも、俺にとってはかなり貴重だったよ。


「お久しぶりです!」


 俺の顔を見るなり、彼女は屈託のない笑顔を浮かべた。それを見て、彼女の内面には何も変わりがないことがわかり、安心した。


「……ひ、久しぶり、です」


 声を絞り出すのにはそれなりに勇気と努力を要した。何せ、前に会ってから時間が経っていたからね。

 自分なりにはっきりと挨拶を返したつもりだったが、彼女には笑われてしまった。


「ふふ、相変わらず声がちっちゃいですね。でも、お元気そうで何よりです」


 明らかな社交辞令でさえも、彼女に言われると嬉しかった。声が小さい、という言葉も他の人間に言われれば傷つくだろうけど、彼女が言うと自分の性質を理解されているように誤認できて、悪い気はしなかった。


「中に入ってもいいですか?」

「えっ」


 室内を指差した彼女に、俺は心底驚いた。

 何が不思議なんだ、と思われるかもしれない。ただ、自分の人生の中で、異性を自宅に招く、なんてことをしたことがなかっただけだ。まさか、そんな機会が訪れるなんて、夢にも思っていなかった。


「あー……まずかった、ですかね?」


 こちらの様子を伺うように小首を傾げる彼女に、俺は慌てて首を振った。


「あ、いや、そういうわけじゃ……突然だから、ちょっと、驚いただけで……」


 ぎこちなく答える俺に、「ならよかった」と彼女は再び笑顔を見せてくれた。

 室内へと案内をして、椅子に座ってもらう。お茶を入れたカップを机の上に置いて、対面に座った。


 改めて彼女の姿を眺める。全身を白色のローブに包み、身長近い長さの魔導師の杖を背負う。装備品は会っていない間に随分と変わっていたけど、それ以外は何も変わっていなかった。


 室内灯に照らされて僅かに輝く美しい白銀の髪が、背中へと流れ落ちている。汚れ一つない滑らかで健康的な肌、整った鼻梁、可愛らしい目元に、いつまでも見ていたくなる黄金色の瞳。

 細い首には魔法の発動を助ける装飾具。胸元でローブが押し上げられ、丸みを帯びる。袖から覗く手も綺麗で、細指にはリングがあった。


 妙に細かく見てるって? 他の同僚たちと同様に、あるいはそれ以上に、俺は彼女に好意を抱いていたからね。職場でしか話さなかったけど、俺みたいな人間は認識能力が壊れているから、ちょっと喋ってくれるだけの異性にも、常識的ではないほどに好意を抱いてしまうものなんだよ。

 俺の視線に気がついたのか分からないけど、彼女が笑顔を向けてくれた。特に深い意味はないだろう。


「それにしても、本当に久しぶりですね。お変わりないですか?」


 と、よくある切り口から彼女は近況を話し始めた。

 修行の旅に出ていた彼女は、道中で冒険者の一行に加わったらしい。その一行はかなり自由気ままな旅をしていて、興味の向いた遺跡を探索したり、困っている人を助けて回っているそうだった。

 相槌を打ちながら、俺は考えていた。何故、彼女はわざわざ俺のところに来てまで、こんな話をしているのだろう、と。

 誰とでも仲良くしていた彼女なら、別に、俺とだってこういう話はするだろう。気がかりなのは、わざわざ家まで来たという点だった。同僚だったときでさえ、家に来たことなどなかった。


 ここで、妙な期待をしても良かった。実は向こうも少なからずこちらを意識していて、職場を離れることはそれなりに心を痛めていた、とか何とか。けど、そういった期待を持てるほど、俺は自分に価値を見出していなかった。

 つまり、何か別の理由があるはずだ、と考えていた。そして、その答えはすぐに現れた。


「実は、お願いがありまして」

「お願い?」


 平静を装った声を出した。頭の中では、詐欺や借金などをけしかけられるのでは、という疑いと、いくら何でも彼女に限ってそんなことはないだろう、という考えがぶつかり合っていた。

 彼女はいい人だと言っていたじゃないか、と思うかもしれない。その通りで、彼女はいい人だ。こんな疑いを持つのは、こちら側に問題がある。つまり、もしも彼女がおかしなことを言い出さないのなら、俺は彼女に頼られる、ということになる。が、そんなことはだった。


 だって、そうだろう? なんの取り柄もなく、特別な関係でもない自分を彼女が頼ってくれるなんて、そんな幸運はありえない。

 こういったとき、何か裏があるんじゃないかと考えることで、期待を打ち消して、期待が裏切られるショックを和らげようとする思考が働くんだ。そういう自分勝手な理由が、疑いを持たせるのさ。

 そして、彼女は本当にいい人なので、そんな馬鹿げた疑いはすぐに吹き飛ぶことになった。


「お願いというのは、私の所属している一団に加わってほしい、ということなんですっ」


 気合いの感じられる声で、彼女は言った。何を言われているのか分からなかった。それを察したのか、彼女はさらに続けた。


「私たちはこれから、ある悪い魔法使いの討伐に向かうんです」


 悪い魔法使い──彼女がそう呼び、告げた名前は俺でも知っている名前だった。近隣の村や街から物資を奪い、人を攫い、禁じられている魔法の研究を行なっては、出来上がった魔法を使ってさらに周囲に危険を及ぼす。そういった闇の魔法使いが活動しているという話を、俺も聞いていた。

 幾度となく討伐部隊が向けられ、全滅し続けている。そんな存在を倒しに行くのだという。


「今、私たちの仲間の中には、純粋な魔法使いがいないのです。だから、あなたに仲間になってほしくて来ました」


 窺うような視線が向けられる。俺の気のせいでなければ、不安そうな瞳に見えた。

 説明を聞いても、未だに疑問が残っていた。どうして、俺なのだろう、と。


 いや、実際は疑問など持つ必要はなかったんだ。彼女は純粋な魔法使いが必要だと言った。理由はこれで全てだ。偶然だったけど、彼女がギルドに所属していたとき、純粋な魔法使いは俺だけだった。あとは剣士や治癒術師といった別の能力を持った人ばかりだった。だから、選択肢が他になかったのだろう。

 これは千載一遇のチャンスだった。とてつもない幸運だと言っていい。好意を抱いていた女性が、他に魔法使いがいないというだけで自分を頼ってくれたのだから。どう考えたって、ラッキーだろう?


 ……と、そう考えられたら、俺の人生はもっとずっとまともなものになっていただろうな、と思う。実際、このとき俺が考えていたのは、全く別のことだった。

 つまり、どうして俺なのだろう、と。いくらギルドでは自分しか魔法使いがいないとはいえ、旅の道中など他にいくらでもマシな魔法使いがいただろうに、どうして俺なのだろう、と。

 理由はさっき言ったことしか存在していないのに、強欲にも、傲慢にも、俺はを探していた。自分の実力を認めてくれているだとか、人柄を認めてくれているだとか、だ。彼女が真の意味で、俺を必要としてくれていると、思いたかったからだ。


 馬鹿げていると思うだろう? 俺もそう思うよ。本当に、馬鹿げている。

 けど、一箇所だけ俺の頭は働いた。彼女に対して、“どうして俺なんですか”とは聞かなかった。心のどこかで、本当に俺でなくてはならない理由がないことに、気がついていたからだ。もしもこういった質問をして、自分でなくても良いのではないか、などということを言おうものなら、彼女はきっとすぐに手を引いただろう。俺が、仲間に加わることを望んでいないだろうと考えて。

 だから、それだけは言わなかった。そのことは振り返ってみても、ちょっとは褒めてやってもいいような気がする。


「……分かりました。お受けします」


 そういった馬鹿げた思考の果てに、俺は返事をした。緊張した面持ちだった彼女の表情が、一転して大きな笑顔となった。


「あ、ありがとうございます!」


 彼女は俺の手を取って、何度もお礼を言ってくれた。正直、かなりいい気分だった。女の人に手を取られるのも初めてだったしね。

 その日は一旦別れて、翌日に仲間と引き合わせることになった。何かいいことがあるんじゃないか、という予感が勝手に浮かんできて、その日は少し寝付けなかった。

 そう、予感だ。もう大体、分かるだろう?

 人生にいいことが一つもない、とは言わない。でも、そんなに都合のいいことは沢山は起きないもんだ。




 次の日。彼女は俺を仲間の元へと案内した。

 連れて行かれたのは宿屋の一室。備え付けの椅子に屈強な肉体を鎧で固めた男が座っていた。背中には巨大な斧。見るからに力自慢の戦士だ。俺のことを見定めるように眺めてきていた。壁際には腕や脚を露出させた格好の女。腰には道具袋とナイフの入った鞘をくくりつけていた。分かりやすく言えば、盗賊の格好だ。燃えるような赤い髪が短く整えられていた。その女は俺を見ると、一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに元に戻した。ベッドには、金髪碧眼の剣士。椅子に座っている男よりも、動きやすさを重視した鎧を身につけている。その代わり、足元には大きめの盾が置かれていた。攻防のバランスの良い装備、といったところだ。


「この人が、今日から入る新しい仲間です」

「……よろしくお願いします」


 彼女の推薦に泥をつけないためにも、努めてまともな声を出そうとした。多分、気弱そうな印象を与えるのが精一杯だっただろう。

 戦士の男はため息をつき、盗賊の女はベッドに座る男に目配せ。俺を連れてきた治癒術師の彼女も、同じようにベッド側の男を見ていた。どうやら彼がリーダーらしい。


「本当にこいつで大丈夫なのか?」


 最初に口を開いたのは戦士の男だった。不満を隠そうともしていなかった。


「彼女の推薦だ、僕は信じるよ」


 剣士の男が優しげな口調で告げ、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


 俺は一瞬でこいつが、この剣士の男が嫌いになった。自分のことを疑っている男よりも、嫌そうな顔を見せた女よりも、自分を庇った男のことが嫌いになった。

 何故か。好意を持った女性と明らかに深い仲であることを察したからじゃない。

 ──直感だった。この男は、俺と何もかもの相性が悪い。光と影が決して混ざり合わないように、空と大地がかけ離れているように、俺はこの男と絶対に分かり合えないと、そのときに理解した。

 幸いにも内心を隠すのは得意だったので、嫌悪感が表に出ることはなかった。


「よろしくお願いするよ」


 剣士の男は俺に歩み寄ると、片手を差し出した。一瞬だけ間を置いた後、俺はその手を握った。


「まぁ、お前らがそう言うんならしょうがねえや。ちゃんと戦えるかは、見てれば分かるしな」


 戦士の男はあっさりと納得した様子だった。見た目どおり、細かいことにはこだわらないのだろう。


「あたしは、どっちでもいいよ」


 女の方はというと、興味のない感じではあった。ただ、どちらかというと不満はあるが言い出せない、という方が正確なのだろう。


 この段階で俺はこの集団の人間関係にある程度の予測を立てていた。大方、リーダーである剣士の求心力でもっているような一団だ。彼が死ねば、一瞬で瓦解するだろう。

 彼らは俺の実力と人間性が不安だったようだけど、俺も同じような感想だった。強力な魔法使いに、果たしてこんな集団で勝てるのだろうか。

 とはいえ、負けるということは、自分も死ぬということだ。そして彼女も死ぬということだ。だから残念ながら、今更やめることはできなかった。


 まぁでも、案外なんとかなるものさ。そう楽観視することにした。


 その後は簡単な自己紹介を経て、旅に必要な物資の調達、今後の旅路の確認などを行なった。

 旅なんてものは初めてだし、なんなら特定の集団で寝食をともにするのも学生時代以来だったから、正直かなり不安だった。やめておけば良かった、という考えだって浮かんだぐらいだ。

 それでも、好きな女性に頼られて断れるかい? 俺は無理だったね。


 旅の支度を整えて、街の出入り口へと向かう。一度だけ、俺は街を振り返ってみた。

 退屈な日常ばかりで、いいことなんてあんまりなかった。けど、数年も住んでいた街を出ることに、少しばかりの哀愁も覚えていた。

 次にこの街に帰ってくるとしたら、そのときはかなりの知名度になって帰ってくることになる。それぐらい、敵は危険な相手だった。成功する姿なんて、ほとんど想像がつかなかった。だから、帰ってくることはないんだろうな、と、ぼんやりと思っていた。


 あまり恐怖心がなかったのは、あくまでもぼんやりと思っていただけだっていうのと、自分の命と人生に、もはやそんなに価値を見出せなかったせいだ。死んだら死んだで、まぁいいか、って感じだ。


「行きましょう?」


 彼女に声をかけられて、俺は街の外へと一歩を歩みだした。




 ──結論から言えば、街に帰ることはなかった。けど、死んだわけでもなかった。

 何があったかは、聞いていれば分かるさ。

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