第2話 異世界に馴染んでしまったあたりの話

 ──どこまで話したっけ?

 あぁ、そうそう。魔法学校に入ったあたりだ。

 実際のところ、そんなに悪いところじゃなかったよ。そんなにはね。




 魔法学校の寮に到着した日の夜、俺たちは食堂に集められた。

 長方形のテーブルを囲んで座らされた。短辺側には、異世界人の俺でも分かる程度には年老いていそうな男が座っていた。黒髪に暗い色の瞳。同じように暗い色のローブを身に纏っていた。その格好には興奮したよ。魔法使いがいる、ってね。


「ようこそ、ペンドレルヴェル魔法学校へ」


 壮年の男は見た目どおりの重たい声で歓迎の言葉を言った。


「これから君たちには魔法というものを学んでもらう。それと同時に、この世界についても」


 そう言った後に続いたのは細かい説明だった。要は学校での生活についてさ。規律みたいな堅苦しい話もあったし、何時にどこへ行けばいいか、みたいな具体的な話もあった。

 そのときの話を詳細に思い出してもしょうがない。大事なのは、その話の中で、俺がいた世界と何が違ったかって部分だろう。

 結論から言ってしまえば、あんまり変わらなかった。決められた時間に決められた場所に行き、決められた人間から決められた内容の教えを受ける。そこに集合する他の人間たちも──亜人種もいたけど、とりあえずは“人間”って言っておくよ──決められている。


 集団教育っていうのはどこにいっても似たようなものなんだな、と思ったよ。知的生命体である以上、多分、どこでも同じなんだろう。もしもメダカが俺たちと同じような知性を持っていたとしても、学校へ行くんだろうね……そういう童謡が、あったんだよ。

 そのときの気分は、期待と失望が半々だった。学校なんてものは退屈で嫌いだったけど、学校だって言うからには似ているのは仕方ないかと納得もできたし、教えられる内容は全然違っているだろうからね。我慢できるだろうと思っていた。


 説明が終わった後は、食事の時間が始まった。意外に思うかもしれないけど、かなり緊張する瞬間だったよ。何せ、何が出てくるか分からないんだから。食事が虫だけだったら、大変だろう?

 けど、その心配はなくって、普通の肉料理とかが出てきた。味付けの好みは色々あったけど、食べる分には問題なかった。これで、異世界での大きな問題はほとんどクリアだ。

 ──あー、うん。ちょっと嘘をついたな。いや、“ほとんど”って言ったから嘘じゃないか。うん、ほとんど、だ。

 食事時なんだから、皆、談笑していた。大半が異世界人同士だったけど、境遇は同じだから結構、すぐに打ち解けていたよ。

 他人事みたいに話すけど、実際、他人事だったのさ。俺も少しぐらいは話したけど、前に言ったとおり、人見知りでね。それなりの人数がいたから、よく話すやつを中心に会話は進んで、俺みたいなやつは取り残される。これも、異世界でだって一緒だ。


 そう、これが唯一残った大きな問題。学生っていう地位が手に入って、寮という住処が与えられて、異世界での食事が身体に合っていたとしても、そこにいる人々と上手く交流をしなきゃいけなかった。

 そして、それが俺にはかなり難しかった。どうしてかって? それに答えるのも難しいな。

 直接的には答えられないから、こういう質問を投げ返そう。じゃあ逆に、どうして他の人たちと話すときに、何も困らずに会話ができると思う?

 これに答えられたら、俺も楽だったんだけどね。




 次の日からは早速、授業が始まった。

 どんな風だったかって言われると……そんなに変わったことはなかったよ。教師が前にいて、学生が椅子に座って机に紙を広げて、教師の言うことをメモしたり、指示された作業をしたりするんだ。

 そう、元いた世界と何も変わらない。予想どおりってわけだ。

 違っていたのは、もちろん、その内容だ。さっきも言ったとおり、教えられる内容は全然違っていた。気分はどうだったかって? 初めは良かったよ。


 その話をするより先に、実技の方を話そう。座学をある程度やった後には、実際に魔法を使うっていう時間があった。一番の目当てってわけさ。

 初めて炎を杖から出せたときは、それは感動したもんだ。他の学生たちも同じような様子だったし、俺も楽しかった。最高の瞬間だったね。

 ──けど、その時間はあまり長く続かなかった。


 人間ってのは勝手なもので、どんなに興奮する体験をしても、それが一ヶ月や二ヶ月も継続すると、慣れて、飽きちゃうんだよね。

 俺も全く同じで、そんな生活を二ヶ月も続けた頃には、すっかり慣れてしまっていた。そうなったら大変さ。だって、慣れてしまえば元いた世界と変わりがないんだから。


 半年もする頃には色んな嫌な部分も見えてくる。学生同士の飲み込みの差や、魔法に対する才能の差。教師との相性、友人関係の良し悪し、成績の良し悪し──問題が山積みだ。

 自分の立ち位置はどうだったかっていうと、平凡だった。成績は中の下、問題は起こさないが優秀でもないから教師は覚えてさえいない。友人はあんまりいなくって、たまに話す相手が2、3人いるだけ。

 学校っていう場所で生活するのに必要な最低限のものだけ揃ってる、そんな感じだった。

 授業が終わった後の自由時間も、気まぐれに勉学に充てるか、部屋で関係ない本を読んでるかのどっちかだった。友達と遊ぶっていうことは、難しかった。一度、人間関係の輪から溢れた人間は、そう簡単にはその中に入れないからね。これも、異世界で変わっていないことの一つだった。


 こうやって聞くと、何か新しいことを始めなかったのかって、思うかもしれない。例えば街に出て、元の世界にはなかった何かを知ったり、始めたり、あるいは、他の人と知り合ってみたりしなかったのか、って。

 でも、ちょっと考えてみてほしい。そんなことは、元いた世界でもできたことなんだよ。異世界にくる前、元々いた世界のことを、全部知ってたってわけじゃない。そこでも自分の知らない物事や、新しい何かを教えてくれるかもしれない新しい知人や友人を手に入れる余地はあったわけだ。


 けど、俺はそうしなかった。日々の生活を退屈だとは思いながらも、それを変える努力をしたりはしなかった。


 どうしてかって? それはきっと、大変なことだからだよ。

 新しいことを始めたり、新しい友人を作ったりすることは、そのときに自分が置かれていた境遇を良く思おうと努力するのとは、違った種類の勇気や気力が必要になる。俺には、どっちの努力もできなかった。

 多分、俺がいた世界のほとんどの人は同じだったと思うよ。あるいは、俺だけが特別に怠惰だったか。

 何にせよ、元いた世界でできなかったことが、異世界にきたからってできるようになるわけじゃない。俺が俺であることは、何にも変わっていないからね。

 ただの言い訳だって言われれば、そうかもしれない。けど、人間なんて、きっとそんなもんさ。

 そういうわけで、毎日の授業をこなしていくだけで日々は過ぎていった。それで気がついたら、もう卒業さ。


 そう、魔法学校で話せる内容はたったのこれだけ。友人との騒動だとか、授業中の面白いトラブルだとか、あるいは恋愛事情だとか、そういったことが話せたなら、俺も良かったんだけど。ないことは話せないからね。

 残酷というべきか当然というべきか、異世界らしい事件を起こしたりしている学生もいたよ。勝手に教わってない魔法を使って、倉庫を吹き飛ばしたりとか、近所に出てきたゴーレムだか何だかを自主的に倒したりだとか、そういう話は存在した。でも、それは俺の話じゃないんだ。

 そこに、俺はいなかったんだよ。




 卒業する頃には、俺も、一応は普通の魔法使いになってた。つまり、魔法を使って金を稼げるようになってた。

 魔法学校っていうちゃんとしたところを出ていたおかげで、仕事にありつくのはそんなに難しくなかった。ギルドと呼ばれる団体に所属して、そこに舞い込む依頼を解決するっていう仕事についていた。


 依頼内容は色々あった。物を直してくれ、暴れてる獣を倒してくれ、魔法を教えてくれ、旅をするから護衛をしてくれ──色々だ。大きい仕事だと、宮廷魔術師の手伝いなんてのもあった。

 仕事が楽しかったかと言われると、これもちょっと微妙なところだな。実際、魔法を使って何かをするっていうのは楽しめた。楽しめなかったのは、それ以外さ。

 つまり、人とのやりとりだ。同僚との会話、先輩や後輩との関係性、上司との相性、顧客への態度。学生時代と同じ問題を、もっと言えば、元いた世界のときと同じ問題を、そのときも俺は引きずっていた。つまり、俺はこのときになってもまだ“異世界人”だった。


 問題はあったけれど、金は稼げていた。だから、生きてはいけた。これを良かったと思うか、思わないかは、人によりそうだ。俺は……どっちかな。

 存在することと、生きるってことは似ていて違うからね。だから言い方を変えると、俺は存在はできていたけど、生きていたかは分からない。

 それでも振り返ってみれば、元いた世界よりは多分、マシだったと思う。それぐらい酷い場所だったからね、あそこは。魔法が使える分、こっちの方がよっぽどいい。


 けど、当時の俺はそう考えていなかった。どっちの世界も人間ってものが存在している以上、同じ問題が横たわっていて、俺という人間はそれに対処不可能で、永遠に苦しむことになる。前も今も、生きるのが辛いってことが変わってない、それに比べれば魔法の有無なんて些細なことだ──ってね。

 まぁ、間違っちゃいない。魔法があるからって、異世界だからって、何かが変わるわけじゃないからね。

 それでも、実際、この頃は学生時代よりは良かった。学生時代とは違って、この頃なら語るに足る“俺のいる話”は少しぐらいある。ゴーレム退治とかだって、一人前の魔法使いとかなら普通にやる仕事だしね。宮廷魔術師が逃した合成獣の退治をした話はスリリングだし、同僚が間違えてお偉いさんの頭の毛がなくなる魔法をかけた話なんてのは、今でも笑える。


 でも、こういった経験は俺の慰めにはならなかった。そりゃあ、生きていれば笑える話の一つができたり、ちょっとぐらい、いい経験をしたりするだろう? でも、だからって問題が消えるわけじゃない。ときには慰めになることもあるけど、いつもじゃない。

 結局、楽しかったのは異世界にきて少し経ったあたりだけ。後はひたすら下り坂さ。異世界にきたら主役になれると思っていたけど、主役になるには元々、主役である必要があったんだ。俺は、ダメだったね。


 ──それでも、一つだけ、俺が主役だったと言い張れる話がある。次は、その話を始めよう。

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