形部医院の幽患カルテ
凩 成
第一章 キョウコ
第1話
ある町の片隅に、古ぼけた小さな病院「
のらりくらりとした男だが、腕は良いらしい。
見ていれば、一人また一人と訪れる人がいる。
その町医者、
_____
診療時間後の診察室で、俺は煙草をふかしていた。
いくら夏だといっても、八時にもなれば外は暗い。
煙を逃がすために開け放った窓から、生温い風が吹き込んでくる。病院の建屋は古く診察室の換気扇は壊れているため、煙草を吸う時には、古くて軋む木枠の窓をガタガタと開かなくてはならない。
看護師からは診察室で喫煙するなと言われているものの、この一時がやめられないのである。
「あのう…先生。」
急に声をかけられてどきりと振り返ると、扉のところに当院の看護師、
そういえば扉を開けていたのを忘れていた。煙草の匂いを嗅ぎつけて、叱りに来たんだろう。
「あぁごめんごめん、すぐに消すからさ。」
「いえ。…あの、先生にお聞きしたいことがあって。」
なんだ違ったかとホッとすると同時に、茜君の様子がおかしいことに気付いた。目は泳いでいるし、肩が少し震えている。とても動揺している様子が見て取れる。
何かあったのか、と声をかけると何かを決意したような顔をしてこちらをじっと見た。
「先生…。先生は、この病院は“出る”って噂されているのをご存知ですか。」
「なんだ、そんなことか。知ってるよ。でも、幽霊なんているわけないだろう。只のくだらない噂だよ。」
そう答えると茜君は少し安心したようで、お疲れさんと声をかけるとそそくさと帰っていった。
パタンと扉が閉まる音を背後に聞きながら煙草を深く吸い、窓に向かって煙をゆったりと吐く。くだらない噂を流す輩もいるもんだ。
カチャ…キィ……
診察室の扉が開く音だ。忘れ物でも取りに戻ったかな、と慌てて火を消し振り返り、どうしたと言いかけて口を噤む。
そこにはただ開いた扉があるだけで、誰もいなかったのだ。
背後の窓から吹き込む風が首筋を撫でる。生温い。悪寒が背筋を駆け上ってくる。
「やれやれ。こういう患者は普通に現れてくれないもんかなぁ。」
振り返ると、其処には髪を振り乱した若い女の幽霊が立っていた。一見仰天しそうな光景だが、慣れた様子でこう続ける。
「で、何がお望みでしょうか。怪我の治療、困り事。出来る範囲で対応致しますよ。」
口では幽霊などいないと言っているが、実は俺には霊感がある。
小さな頃に起こったある出来事から今目の前にいるような存在たちが見えるようになり、またそのある出来事をうっかり解決してしまったことから、このような存在たちの間に名が知れ渡ってしまったのだった。その話はまたいつかすることにしよう。
そういうわけで、当院には人間の患者も、いわゆる幽霊や妖怪という存在も訪れるのだ。人間の患者の中には、うっかり昼間に訪れた存在たちを認識してしまう者がいて、たまに妙な噂が流れてしまう。それを掻き消していくのも俺の仕事だ。
「まあ座ってください。お話を聞かせてくださいよ。あと、お名前と死亡年月日を教えてください。」
『………』
幽霊の患者には念のため聞くことにしているのだが、大抵は忘れてしまっていて答えてもらえない。そんな患者にも慣れている。
「では、本題に入りましょうか。ご用件は?」
『指輪が…無いんです。指輪、指輪、ゆびわゆびわゆびわゆびわ』
幽霊の髪が逆立ち、診察室においてある様々なものがガタガタと揺れる。
天井の照明やデスクライトは点滅し今にもはち切れそうだ。
「はいはいはい、落ちついて。それでは、覚えていることから教えてください。」
ここに来た時の様子に戻った幽霊は、ぽつりぽつりと話し始めた。
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