朱雀大門の前で
新緑のまぶしいころも過ぎ、雨がしとしとと降る季節になった。
そんな梅雨の晴れ間であったのだろうか。この季節にしては珍しく、青い空が広がっていた。
ずっと王都・
そして今、月影は、
◆◇◆◇◆
(うぁあ…………す、すごい…………)
月影は、言葉もなく朱雀大門を見上げていた。驚きすぎて、何を言ったらいいのか、わからない。
その門は、その名の通り、とても大きかった。
丹色に塗られた太い柱に、職人の最高峰の
門の高さは今まで見たどんな門よりもあり、近くから見上げていると、首が痛くなりそうである。
そもそも門自体が二階まであるため、もはや門ではなく一つの建物のようだ。
きっと、昔からずっと、都から出入りする人々を見守り続けているのだろう。
威風堂々たるその姿は、まさに王都の正門にふさわしかった。
「月影殿。口が大きく開いていますよ」
小さく笑いながらも、そう指摘してきた青年がいた。
彼の年齢は、二十代半ばほど。花国の民(特に花国を建国した民族・
「まあ、無理もない。なんせ月影は、王都に来るのは初めてだもんな」
月影の実兄である
「そうでした。白・珀両家の方々は、女王陛下および朝廷の許しなく、自分の生まれた州を出てはならないという、移動制限がありましたね」
納得したように、うなずく青年官吏。
月影の左隣に立って、弟と同じく朱雀大門を見つめる風雅は、青年官吏のその言葉に、どこか達観したように言った。
「ああ。それもまあ、仕方がないと、俺は思っている。他家のことは知らんが、そもそも俺たち
その通りだった。
風雅は、今までの人生を軽く振り返ってみる。
確かに…………遊んでいる暇さえないくらい、忙しかった。特に、白宗家に養子入りしてからは、よけいに。
だから、のんきに王都観光なんてできるはずもなかったので。何度か来たことはあっても、風雅は、都のことをよく知らなかった。
そんな彼の事情を知っているのか、いないのか。
青年官吏は、首を縦に振った。
「そうかもしれませんね。
だから私たち州府の役人も大変ですよ。
そう言うと、青年官吏は、少々大げさに首をすくめて見せた。なるほど。苦労しているのは、噓ではなさそうだ。
白家による白西州の支配が終わってから、約八十年ほどのときが経過していた。
しかし、人々による一種の白家信仰ともいえるほど、白家に対する信頼は根強く、未だに中央から派遣されてきた
特に、それは白西州と接している隣国や、花国を作った民族・花族以外の少数民族の社会では、より一層顕著に表れるのだ。
なぜなら、白西州を治めてきた白家の一族・家臣のすべてが、白家が何のために存在するのか、また民のために何をすべきなのかをよく理解し、その通りに行動してきたからである。
だから、彼らは、支配者として決して
そんな事実があることはもちろん承知の上だが、白宗家の次期当主である風雅には、言っておかなくてはならないことがあった。
「おいおい、白西州の
風雅は、苦笑する。
その言葉に、青年官吏—―――崔魁宇は、首を横に振った。
「いいのです。ある意味情けない話でもありますが、それが事実ですから。いきなりよそ者が信頼されることは………難しい。だから、私たち白西州の州官は、少しずつ、地道にやっていくしかありません」
ここで、会話が途切れた。
都の喧騒に似合わない沈黙が、彼らの間に広がった。
ここまで、黙って兄たちの会話を聞いていた月影。彼は、あのう………、と言って、話題を変えようと試みた。
「そういえば、魁宇さま。魁宇さま確かは、瑞花出身だったとお聞きしているのですが」
「はい? ああ、そうですよ。私は、生粋の
月影の突然の質問にも、魁宇は嫌な顔一つせずに答える。
「何年ぶりの都だ?」
風雅も、質問を投げかけた。
「かれこれ四年ぶりでしょうか。久しぶりに家族と会うことができます。たまには、このような気遣いをしてくれた、鬼上司に感謝していますよ」
「そうですか。それは、良かったですね。魁宇さま」
月影は、自分事のように、喜んで見せる。
「はい」
そんな彼のどこか子どもっぽいしぐさに、魁宇も笑顔になってうなずいた。
こうして三人で話し込んでいるうちに、準備や手続きが整ったようだ。
「風雅さま」
風雅の従者兼護衛を担う若者が、風雅の名を呼ぶ。
彼は風雅に近づくと、あることを報告した。
それを聞いた風雅は、ご苦労さま、ありがとう、と言って、彼を下がらせる。
風雅は、一連の様子を見ていた月影の方を振り返ると、こう言った。
「月影。どうやら、入門が許可されたみたいだ。これで、正式に都の中に入ることができるぞ」
「わかりました」
月影は、大きくうなずいた。
いよいよか。
月影は、気持ちを新たにする。
「そうですか。良かったですね。では私は、ここで失礼します。朝廷に行って、帰京の挨拶を済ませなくてはなりませんので。久しぶりに、家族とも会いたいですし」
微笑んだ魁宇は、別れを告げた。それに、
「ああ。本当に、お疲れさま。世話になったな」と風雅が、彼の
「はい。こちらこそ、風雅殿には大変お世話になりましたよ。あなたがたと一緒に旅することができて、楽しかったです」
それじゃあ、またな。
ええ。また。
二人は、そう言って別れの挨拶を終えると。
風雅は、白宗家の従者たちの方へ、行ってしまった。
それを、月影と魁宇の二人は見送る。
魁宇は、月影と正面に向き合った。
「月影殿。私はここで、お別れです」
「はい…………。短い間でしたが、大変お世話になりました」
月影は、感謝の気持ちを込めて、頭を下げた。
彼と過ごしたのは本当に短い時間だったが、とても貴重で充実していた。
「ええ…………。最後だから、言います。あなたは、大変見込みがある。そして、何事にも一生懸命に取り組めるし、人の言うことにも素直に耳を傾けることもできる。これは、すばらしい素質です」
「魁宇さま…………。ありがとう、ございます」
月影は、自然とまた頭を下げていた。
彼は、月影に朝廷や都について、詳しく教えてくれた。その教え方は、ときには厳しいこともあったが、それはすべて自分を思ってのことだと、月影は確かに知っていた。
魁宇の話は、まだ続く。
「ただ、その美徳も、朝廷では裏目に出るかもしれません。だから、くれぐれも、お気を付けなさい。あそこでは、何だって起こり得るのです。それこそ、黒い烏も白くなる。私も、あの中に入ってしまえば、そこら辺にいる一官吏に過ぎません。だから、もし万が一、あなたに何かあっても、私は助けてあげられないでしょう」
月影は、魁宇の言葉を、一つ一つ、かみしめるように覚えた。魁宇からの最後の忠告を、忘れないように。
「一寸先は闇だとお思いなさい。どこに、深い落とし穴があるか、わかりませんから。あの
そう言うと、魁宇は月影の両手をとった。その手を、自分の両手で優しく包み込む。
それは、まるで母が子を慈しむようであった。
「お頑張りなさい。ただし、無理のない範囲で」
「はい。ありがとうございました」
月影は、深く、深く頭を下げた。
その姿に、満足そうにうなずいた魁宇。
それから、月影の手を静かに離すと。そのまま、踵を返して朱雀大路の雑踏の中に、消えていった。
月影は、揖礼を捧げたまま、彼の後ろ姿が完全に見えなくなるなるまで、ずっと礼をしたのであった。
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