風伯と白虎神
その風に、“我が君”、と呼ばれたひとりの男は、静かに風の方へと振り向いた。
年齢は、
しかし、その深い
彼は、白金の髪を一つに束ね、
一方。
人形となった風の年齢は、二十代前半くらいだろうか。見た目は、青年のそれと大差ない。
しかし、何と言っても、氷のようなさえざえとした
ここまで言ってしまえば、もうおわかりだろう。
彼らは、人ではなかった。その正体は、人よりも、何百年、何千年のときを生きる、
そんな、どこまでも浮世離れした彼らは、人が聖域と定め、滅多なことがない限り、決して足を踏み入れることのない
風の主人は、拝礼する
「
風――――風伯(風の仙と言う意味)・颯(颯は、風伯の
「感謝申し上げます。我が君」
その言葉に、うむ、とうなずいた風の主人。
彼は、立ち上がった風伯と正面から向き合った。
実は、風の主人は、
かの神は、花国の西の守護神として建国以来、ずっと
それと同時に、聖域に留まりながらも、地上界—―人間の住む世界のこと――で起こったありとあらゆることを見通す
だから、風伯はこの神と向き合うといつも、無意識のうちに緊張する。何しろ、
事実、風伯がどれだけ
「風伯颯よ。何か、良いことでもあったか?」
白虎神は、いつもは何ごとにも心を動かさず、氷の如き笑みを薄っすらと浮かべる風伯が、珍しく上機嫌なことに気が付く。
特に隠す必要もなかった風伯は、正直に答えた。
「はい。久しぶりに、素晴らしい演奏を聴くことができました。彼は、きっと数百年に一度の
そうか。彼のことを、すでに知っていたか。
白虎神は、心の中でつぶやいた。かの神も、何度か儀式で彼の音を捧げられていたため、その能力をよくわかっていた。
だから、次にいう言葉は決まっていた。
「風伯颯よ、王都へ行け」
「…………は?」
風伯の口から、かなり間抜けた言葉が飛び出した。有り得ないものを見たように、その目がわずかに開かれる。
白虎神は、思った。颯も、驚くと人間のような表情をするのだな、と。
それでも、白虎神は言葉を重ねた。
「だから、王都へ行くのだ。…………そなたもすでに、存じておろうが、今年の夏に、後嗣許婚を決める儀式が行われる」
それは、風伯も伝え聞いていたことではあった。人間たちは、まだあまり知らないようだが、神仙の中では周知の事実になっている。
風伯が、少しばかり、普段の自分を取り戻し始めたとわかったのだろう。
白虎神は、話を続ける。
「ここ数年が、黄王家の腕の見せ所であろうの。いくつかの星が、動く。おそらく、あと数年のうちに、
「それは…………。黄王家の当主が、替わるということですか?」
黄王家の当主すなわち女王の御代が、替わる。前のお代替わりいつだったか…………。
風伯は、記憶を遡る。
確か…………前女王の崩御によって替わったはずだ。だから…………かれこれ二十年くらい前か。
白虎神は、風伯の問いにうなずいた。
「ああ。わずかな変化だが…………。ここ数年、
風伯は、はっとした。次いで、吹雪で見えるはずもない北辰を、北の空に探す。
北辰とは、のちに
はるか昔から
その星の光が、わずかに弱くなることがある。
それは、今上の女王の命が、少しずつ
「私は、故あってここを離れられぬ。しかし、何にも大きく縛られておらぬそなたなら、できるはずだ」
風伯は、この白虎神の言葉で、すべてを悟った。それから、あるとき主人とした神に、揖礼を捧げる。
再び礼をした風伯に、白虎神はこう命じた。
「風伯颯よ。王都へ行け。そして、私を祀り、私に仕える
ここで、白虎神は一旦言葉を切った。
一つ一つ、かみしめるように、言葉を紡ぐ。
「心の奥底からその者が願った時のみ、助けよ。私たち神仙は、人の本当の願いしか、叶えられないし、また、してはならぬのだ。聡いそなたなら――――わかるな?」
「はい。よく存じ上げております」
風伯は、頭を下げたまま、首肯した。
“いかなる神仙も、地上界のことに、深く干渉してはならない”
これは、天界に本来属する神仙にとっての、暗黙の
その掟に、触れるかもしれないことを、あえて自分に行ってほしいと、主人は言っているのだ。――――風伯の答えは、もう決まっていた。
「ここに謹んで承りましょう。我が君。他でもない、あなたさまの思し召しならば」
「うむ。では、頼んだぞ」
「はい」
こうして、吹きすさぶ吹雪の中、一柱の神の願いが風の仙に託されたのであった。
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