権力について
「そういえば、兄上。これから王都・
しんみりとしてしまった
「ああ。まあ、それはそうだがその前に、州都・
「白西州府の官吏とですか?」
月影は、首を傾げた。なぜ、お役人が出てくるんだ?
その月影の疑問に、風雅はさも当然とばかりに理由を答える。
「ああ。だって今回の件は、女王陛下の勅命だろう? だから、各州の州府にも、四神宗家と同じような命令が来ているはずだ。“四神宗家およびその一族の男子で、後嗣殿下の許婚候補の若者を、王都まで責任を持って連れて参れ”、とな」
月影は、はっとした。そうだ。そうだった。今回の後嗣殿下の婿候補選びノ儀は、朝廷が、ひいては黄王家が主催するものだった。だから、各州の
そんな弟の様子を見た風雅は、にやっと笑った。
「ま、そういうことだ。だから、まずは州都・白扇の白西州府に寄るぞ。軒車なら、大抵二日、三日ほどで着く。それまでは、俺とおまえだけの旅だ」
「わかりました。兄上」
月影は、頷いた。
まだ、猶予はある。王都に着くまでの。
気心の知れた兄が付いてきてくれることは、月影にとって、何よりも心強いことであった。
ここで、一旦会話が途切れた。沈黙が流れる。それを破るように、月影は再び口を開いた。
「…………………。それにしても、なぜ、州都・白扇と白宗家の本屋敷がある
月影は、かねてからの疑問を口にした。
それはそうだろう。何を隠そう、白西州の州都であり最大規模を誇る都市・白扇には現在、白宗家の本屋敷は置かれていない。それは、白西州の第二の都市であり、最大の商業都市である都市・琥連に置かれていた。
この二つの都市のどちらかから、もう一方の都市に行こうと思ったら、先ほど風雅の言葉通り、馬車を使えば二日、三日、騎乗して街道を駆けても丸一日、さらに徒歩ならば、五日ほどかかってしまうのである。どうみても、交通の便はあまりよろしくない。それならば、いっそのこと同じ場所にあった方が、格段に利便性も上がるであろう。
そんな風に思っていた月影ではあったが、風雅は、ああ、そのことか、と言ってから、わけを静かに語り出した。
「それはな、一言で言ってしまえば、州府と適切な距離を保つためだ」
「適切な距離??」
月影の頭に、疑問符が浮かんだ。何だ、それは。
「そうだ。おまえも知っている通り、かつて、この白西州を治めていた家が、白家だろう?」
「はい。その元締めが、白宗家の当主だった」
月影は、兄の言葉に内心首をひねりつつも、兄の問いに答える。それは、白西州の常識といっても過言ではない事実であった。
「ああ。だから、白西州の州府であり、かつて、白宗家の本屋敷があった白扇城を、新たに中央から派遣された当時の州牧方に明け渡し、白宗家自体は琥連の琥連城に、一族や家臣を引き連れて移ったのさ。新たな白西州の為政者になった彼らが、白宗家や我らの一族に気兼ねせず、
白家は、長らく白西州を支配してきたにも関わらず、時が来たとわかると割とあっさり自らが持っていた政治権力を手放した。彼らは、時代の変わり目を上手く読み取り、その波に迷わず乗り、難局すらもさも当然とばかりに乗り切ってみせた。平然と、片眉も動かさず。
それは、ひとえに白家が何のために存在するのか、また民のために何をすべきなのかをよく理解し、一族・家臣のすべてがそれを承知していたからこそ、できたことであった。
だから、先々代の女王が始めた地方政治の在り方を変える大規模な改革に、四神宗家の中でもいち早く賛同し、彼女に跪いたのは、白宗家であった。女王に跪き、心からの忠誠を誓うことは、黄王家に次いで尊いとされている四神宗家が女王の存在を正式に認めることに等しかった。そんな白家は、彼らの一族が祀る白虎神が陰陽五行の一つ、金すなわち風を司ることにもちなみ、‟
白家が、どこまでも潔く政事の表舞台から身を引いたことを今まで直に聞いたことがなかった月影は、
「初耳です…………」
思わずぽつりと呟いていた。
そんな、驚愕した弟の表情を見た風雅は、苦笑した。まあ、月影が驚くのも無理はない。これは、白家の中でも、上層部にしか知られていない話であった。
ちなみに、女王になった者が真の君主として認められるには、四神宗家の恭順が必要であるのだが、ここでは置いておく。
ここまで一旦話し終えると、風雅は両腕を頭の後ろで組んだ。その振る舞いは、大貴族の御曹司に相応しいものではなかったが、月影はそのことをあえて咎めたりしなかった。
「まあ、それだけじゃないのも確かだ。おまえも知っての通り、白西州の支配者ではなくなった時点で、白家の為政者としての役割は、半分以上なくなった。しかし、白宗家を筆頭とする俺たち白家や珀家の役割が、完全になくなったわけではない。むしろ、政事の表舞台に立たなくなったからこそ、俺たちが必要な場面も出てきたわけ」
「………………?」
「簡単に言ってしまえば、監視だ。州の政事を行う州牧たちに対する」
そう言うと、風雅はこんな話はない方がいいんだが、と前置きした上で、さらに言葉を重ねる。
「例えば、これは極端な話だが、とんでもない暴政をする州牧や、州官がいたとする。で、その暴挙を真っ先に止めななくてはならないのが、俺たちだ。それが、俺たちの仕事だ」
「…………つまり、白西州の民を公権力から護る、ということですか?」
「そうだ。それが、恐れ多くも黄王家に次いで身分の高い、四神宗家およびその一族の責務だ。最低限の、な。これは、州官とはまた別の権力を持つ俺たちにしか、できないことでもある。いくらどんな州官でも、白・珀両家を無視できないからな。だから、うまく使えば、彼らに対するこの上ない牽制にもなる」
白家から政治権力を取り上げた以上、ちゃんとした政事をしろ、というな。
「話は振出しに戻るが、だから、白宗家は、白扇を離れたのさ。まあ、州府の方も、四神宗家とあんまりにも仲良くしてるとそれこそべったり癒着していると思われかねないしな」
なるほど。白家にも、白西州の州官たちにも、それぞれの思惑や立場があるわけだ。
「ま、いろいろと、さじ加減が難しいのさ。権力がらみの話は」
風雅はそう言うと、頭の後ろで腕を組むのをやめた。自由になった手を、両膝の上に置く。
そして、不意に。今までどこか世間話をしていたような気楽な表情を改め。真剣な顔をした。
その表情が、どこか彼らの祖父である珀本家の当主のぐっと引き締まった顔つきと似ていたため、月影の背筋が我知らず伸びた。
「月影。おまえが今から向かう王都は、そんな権力者のうずめく場所だ。王宮なんか、伏魔殿だ。あそこでは、黒い烏も白くなる。なんでも起こり得るんだ」
だからいいか、月影。風雅は、そう強く念を押す。
「忘れるな。権力は、獣だ。魔物だ。それを上手いこと使えば、この上ない武器にもなるし、人々を護る大きな力にもなる。しかし、権力に魅入られたら最後、自滅するしかない。そんな、とても危険な魔物なんだ」
彼は、さらに話し続ける。
「だから、十分気を付けろ。あんまり初対面の人を最初から疑ってかかるのは良くないことだが、あそこではやれ。やらないと、簡単に飲み込まれるぞ。特に、おまえに近づいてくる者の大半が、四神宗家と少しでも繋ぎを持ちたい奴らだ。あわよくば、後嗣殿下の許婚になるかもしれない若者に、少しでも覚えが良かったら、その配偶者となるやもしれない後嗣殿下の覚えも良くなるのでは、と思っているはずだ。一見、きれいに仮面をかぶっているから見えないようで、実は下心丸出しだ」
きっと朝廷に巣くう狐狸妖怪たちは、揉み手全開、胡麻すりまくりで群がってくるだろう。月影たち後嗣殿下の許婚候補に。
そんな有象無象――むしろどう猛な肉食獣がかわいい子猫に見えてしまうくらいの化け物――がひしめく中に、まだひよこのような月影を一人、放り込むのはとても案じられることではあるが…………。これは、月影自らが乗り越えなくてはいけない試練であった。
だから風雅は、今の彼が送ることができる、できる限りの言葉を月影に伝えたのである。
「はい…………」
月影は、兄の言葉にまだどこか釈然としない顔で、頷いた。
風雅は思った。たぶん、まだ月影は真の意味での権力を、知らない。だから、自分の言ったことも、月影の中で確固たるものなど存在しまい。まるで、机上で行う学問のようにしか感じていないだろう。
仕方がない、と言えば、仕方がないのだ。月影は、珀本家の持つ権力を、身に染みて感じたことはないだろう。それはまだ、彼が珀本家当主の後継者候補とはいえ、あくまで次期当主である跡取り夫妻の子どもだ。風雅は、自身の実家である珀本家当主の祖父のことを思い出す。あのお方なら、まだ教えないだろう。珀本家の権力も、その裏に付随する闇についても。
だから、もう一度繰り返すが、月影は本当に、珀本家の権力の持つ力など、知らない。
もちろん、彼が珀本家当主の孫息子として育てられたので、彼に頭を下げる民は多かったに違いない。しかし、それは単に珀本家の権力に対して頭を垂れたわけではない。どちらかと言えば、珀本家が持つ権威と、異形の
風雅も、また貴族の子であった。しかし、月影とは違い、風雅の
そんな道を幼いころに、自分のあずかり知らぬところで決められた風雅ではあったが、しがらみが増えたことを煩わしく思ったりすることはあるにせよ、後悔をしたことは一度もなかった。
あいつと、約束したもんな。彼は心の中で、呟いた。
風雅は、月影の頭をくしゃりと撫でる。そうする彼が一瞬、悲しみを湛えた表情をしたことに、月影は気が付かなかった。
「おまえは、おまえのままでいい。変に、ずる賢くなるな。
何かが人よりも上手くできなくても、卑屈になるな。どんな時も、純粋な気持ちを忘れないでくれ」
「はい。わかりました。兄上」
月影は、しっかりと頷いた。兄の数々の忠告を心に刻み込んで。
そんな月影を見て、風雅は満足そうに笑ったのであった。
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