第51話 戦いの痕
滑空しながら、エイビスは
風を切る音は笛の音のように高く、耳鳴りのよう。そして、月を背に抱えて急降下していく姿は、銀色の蝶だ。
彼が握る鎌は、黒い刀身に刃先が朱色に揺れている。夕陽の熱を刃のなかに閉じ込めたように美しくも、鋭い。
それが黒鎧に向かって唸りを上げて振り下ろされた。
だが相手も戦士であるのは間違いない。
厳つい姿に見えても、機敏に刃をかわしていく。
反転する体の反動を利用し、槍から棘を放った。
意表をついた攻撃に見えたが、エイビスは読んでいたのか、ロングソードと同じように鎌を振って棘を簡単に弾いていく。
だがロングソードのときとは違う。
跳ね返す棘が全て黒鎧に向かっている───
距離をとっての攻撃が、まさか反撃となって返ってくるとは想定していなかったのだろう。
黒鎧は素早く盾を構えるも、返された棘の威力は凄まじく、簡単に盾を砕き、黒鎧を蜂の巣へしてしまう。
ぼろりと崩れた鎧のなかから、黒く焼けただれた天使が見える。
目だけはらんらんと白く光り、エイビスを睨む。
「わかったよ。殺してあげる」
エイビスはそう言って、羽を大きくたなびかせた。
瞬間に、彼の体は黒鎧の後方へと移動していた。
ふた呼吸おいて、黒鎧の上半身が斜めにずるりと滑っていく。
切り口からは青い炎があがり、まるで紙が燃える速度で塵と化していく。
伸びる腕も、体も、地面に崩れて消えたとき、黒鎧となりかけたジョヴァンナの触手がエイビスの足を捉えた。
彼の体は簡単に跳ね上がり、地面へと叩きつけられる。
それも何度も、だ。
駆け出そうとするアレッタを止めるように、エンが彼女の前に立ち、肩を抱えるネージュの手に力が込められる。
「アリー、ダメよっ!」
「ネージュ、離せ!……エンもっ!」
微動だにできない状況に、アレッタはただ見つめるしかできない。
その間にもエイビスの体は振り回され、地面へと叩きつけられる。
さらにジョヴァンナの触手が無数の針となって花のように広がった。
投げ上げられたエイビスの体は、その針の花に直下し、串刺しとなる。
赤い血が吹き上がり、エイビスの体は隅々まで穴があいたのだろう。
伸びた手が唐突に落ちた。
あまりの現実に声を失うアレッタを黒いジョヴァンナは高笑いで振り返る。
「残念だったな、アレッタ……次はお前の番だ」
すかさずネージュがアレッタの前に立ち、かばう。
しかしアレッタはネージュの後ろに隠れることなく、対峙する。
戦いから逃げることは許されないからだ。
ドレスを身にまとっても、彼女の拳は下ろされない。
「そんな格好で戦えるの?」
歪んだ笑顔でジョヴァンナは声を放つが、アレッタの構えは解かれない。
「どんな状況だろうと、私は戦士だ」
身を低くし、右手を振り上げネージュを剣に変えようとしたとき、ジョヴァンナの後ろで立ち上る者がいる。
「……魔族ってさ、死なないんじゃなくて、死ねないんだ。その点、天使って塵に還れていいよね」
エイビスだ。
そう気づいて瞬きを一度した。
瞬間、赤い閃光が走る。
その声に振り返ろうとジョヴァンナが腰を回したとき、鈍い粘ついた音を立てて上半身が地面へと落ちていく。
それに合わせて下半身も内臓の溢れる左に傾きながら倒れていった。
それを見たアレッタは駆け出していた。
裸足の彼女の足が止まった場所は、エイビスの胸板ではなく、ジョヴァンナの体へだ。
ジョヴァンナの内臓を貪るように粘液が這いずりだすのをアレッタは必死で剥がしていく。
「ジョヴァンナ、きっと助かる。フィア、回復をっ!」
赤黒く両手を染めながら必死に剥がそうとする姿に、ジョヴァンナは虚ろな目でアレッタを見つめている。
その目は奇異なモノをみるような、そんな目だ。
「……なんで、助け……」
「助けたいからだ!」
「私は……お前が…大嫌い……」
アレッタはそう言われても表情ひとつ変えず、
「私はジョヴァンナが羨ましくて、大好きだっ!」
言い切り、粘液を剥がしていく。
ジョヴァンナはアレッタの言葉に目を開くが、すぐに諦めた表情を浮かべた。ため息と一緒に呟いた彼女の声は、どうしてか優しい。
「お前は昔から……だから嫌い…なんだ……」
細く息を吸い、ジョヴァンナの息はそれで止まってしまう。
諦めきれないアレッタは精霊の姿になったフィアに視線を投げるが、フィアは首を横に振った。
「もう、魂が傷ついてしまった……」
そのフィアの言葉に、アレッタは手を止めた。
同時に彼女の体が萎れ、そして、崩れ始める。粘液も追うように塵へと化していく。
アレッタの赤黒い手のひらに残ったのは、ジョヴァンナの血だけ。
それすらも砂になって舞っていく。
だが月光のなか舞うジョヴァンナのカケラは、とても美しかった。
美しすぎて、泣けてくる。
儚く散るヒトの世界の花のように、ジョヴァンナは散っていった。
それが羨ましいと思うのは間違いなのだろうか。
アレッタの心は、不思議な虚無感と、羨望の心が渦巻いて離れない。
全てが終わったのに、こうしていたらという過去に縋る自分がいる。
言葉にならない思いを、アレッタはただ叫びと涙で吐き出すしかできなかった─────
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