第45話 激動3
フィアの首を落とそうと、手が振り下ろされた瞬間、アレッタの身を潜める物置が破裂した。
まるで風船が割れるように、膨らみ、壊れたのだ。
埃の中に現れた人影に、ジョヴァンナは笑い、叫んだ。
「……アレッタァァァ!!!!」
彼女が叫び、踏み出した先には、黒い獣にまたがるアレッタがいる────
紙一重で救われたフィアだが、目の前の光景を信じられないでいた。
アレッタの体は黄金色に染まり、神々しい朝日のようだ。薄明るいこの場所で煌々と輝いている。
その溢れるほどの膨大な魔力を吸って、エンが突如成獣となったのだろう。原理はわかるが、エンのアレッタへの思いの形でもあるはずだ。
あの小さな子猫が、今やトラ並みの躯体となり、毛がふわりとたなびく姿は狼のよう。だが顔つきはまだあどけないエンの雰囲気は残っている。
ただそれを眺めるだけで、フィアの心の中が潤っていく。
これは、安堵だ。
だが同時に、絶望で痛みなど感じていなかったのに、希望が湧くと途端に生きている証が現れた。
フィアは体を走る激痛に身を屈めるが、それでもアレッタから目を離すことができない。
あの、ヒト堕ちの天使から目が離せられないのだ。
フィアから離れたジョヴァンナは、エンにまたがるアレッタと向き合った。
彼女が掲げあげた剣は、黒色の刀身に見えていたが、そうではない。
剣の芯が黒く染まった剣だ。
クリスタルのような透明な刀身の芯が、漆黒に染まっているのだ。
ただ剣はどこまでも鋭く、空気をも切り裂けるほどの力がある。
あのフィアの動きをも封じ、たやすく精霊の腕を斬り落とせる、数多の魔力が込められた剣だ。
その剣はアレッタの急所を、エンの急所を狙おうと瞬きする間も惜しむように、突き動き、刺し殺そうと迫ってくる。
狂喜の顔がジョヴァンナに浮かぶ。
天使とは思えない歪んだ顔だ。
「ようやく、お前を殺せる……!」
憎しみに塗れた剣先をさけるが、アレッタはジョヴァンナの顔など見ていなかった。
視点はただ1つ。
芯が黒く染められた、剣のみ───
そう、アレッタはその剣を見たとき、気づいていた。
薙ぎ払われる剣を避けて肌に掠る度に確信に変わっていく。
そして、その剣が肉に触れたとき、確実に理解した。
今その剣は、アレッタの脇腹に刺さりこんでいる。
だがそれは、押さえ込むためだ。
がっちりと腕と脇腹で抑え込まれた剣は、両の手で振りかざそうとしても、さらに抜き取ろうとしても、びくともしない。
「……このっ! 離せ、アレッタっ!!!!」
「……誰が離すものか……っ!」
アレッタの脇の肉がえぐられる。
白い寝間着に血が染みても、アレッタは離そうとしない。
あのか細い幼女の腕がそれほどの力を発揮するとは、誰が思っただろう。
その力を引き出しているのは、間違いなく、
「よくも、私のネージュをこんな姿に……」
アレッタの輝きが増していく。
剣を握るアレッタの手に力がこもる。
それでもジョヴァンナは首を横に振った。
「これは私の聖剣っ!! お前のものではないっ!」
その言葉にアレッタの目が再び燃えがる。
「……私のネージュだっ!! 返してもらうっ!!!!」
アレッタの手が剣を握ったとき、手の傷と引き換えに、剣が折れ落ちた。
ぼろぼろと崩れ去った剣だが、欠片がアレッタの手の中に浮かんでいる。
右手を伸ばし、血に濡れた手のひらを広げ、アレッタは叫ぶ。
「ネージュ、来いっ!!!!!」
浮かんだ欠片は声かけに応じて集まろうと動いている。
だが、別の力のせいで、その形を作り直すことができない。
ネージュは聖剣。様々な剣へと姿を変えることのできる、唯一の剣。
だが真逆の現象に戸惑いを浮かべるアレッタに、ジョヴァンナは鼻で笑った。
「私と繋がってる。お前の声になど反応するわけがないっ!」
アレッタは小さく舌打ちすると、フィアへと視線を投げた。状態を確認したのだ。
素早くエンから降り、身構え直すと、エンに顎でフィアを指した。エンはすぐに反応し、フィアに走り寄る。
「フィア、エンの血を使うといい」
エンはフィアを守るように体勢をとり、ィエンと鳴く。早く回復しろとでも言っているのか、忙しなく長くふかふかの尻尾が揺れている。
フィアはその尻尾を避けながら、残された手を掲げ、エンの背に文字を描く。
「……エン、貰うぞ」
これだけの体になれば、多少多めに血を抜いても問題ない。
魔力が補われると同時に、フィアの回復魔法が施されていく。
足の骨は鈍い音を立てながら元の場所へと移動していき、傷も塞がり始める。
腕に至ってはどろりとした血液が切り口から伸び、腕、指とかたどると、そこに筋肉が走りだし、次に皮膚が覆われる。むしろこの腕の方が美しいほどだ。
めまぐるしい回復を始めたフィアに焦ったのか、ジョヴァンナがナイフを投げつけてくる。
だがそれはアレッタの蹴りで弾かれた。
何本投げようとも、かすりもしない。
「相手は私だ、ジョヴァンナ!」
対峙するアレッタに、ジョヴァンナは再びネージュで剣を創り上げると、攻撃を再開した。
だがアレッタはそれを器用に避けていく。
さきほどよりも体が光っているのは気のせいだろうか。
その光の濃さとアレッタの体の速度が比例している気がしてならない。
「ジョヴァンナ、私と戦うなら両手剣がいいんじゃないか? 得意だったじゃないか。まさか神の左手なのに、両手剣も出せないのか?」
アレッタは踊るように交わしていくが、ジョヴァンナの目は真っ赤だ。
怒りに狂った目は、くすぶる炭の炎のように、濁った赤をしている。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさいっ!!!!!
唾を吐きながらがむしゃらに回される剣を避け切ったとき、
「アレッタ!」
後ろから声がする。
振り返ると、エイビスがいるではないか。
ただ片手には黒ずんだ丸い何かを握っているが、闇に溶けてよく見えない。
その声にジョヴァンナの動きが一瞬止まった。
アレッタの名すら聞きたくないものなのだろう。
余計に歪んだ顔を横目に見ながら、アレッタはその隙をついて彼女の剣を蹴り上げ落とした。
素早く拾い上げてフィアの元へと跳ねて戻る。だがアレッタを逃したくないジョヴァンナは躍起になって地面を蹴り上げた。
それと同時にエイビスの持っていた黒いボールが投げつけられる。
それは腕をすり抜け、ジョヴァンナの真っ白な鎧に赤黒い液体ごと叩きつけられた。
とっさに後ずさるが、彼女の鎧には陰影をかたどるようにべっとりと生臭い液体が塗りつけられていた。
「なっ……き…汚い……!」
まるで泥の汚れを払うように、ジョヴァンナは慌てて手でこすり落とす仕草をする。
そのとき、地面のボールと目が合った。
「……カ……カイ………?」
絶句するジョヴァンナに、エイビスが付け足した。
「あぁ、その人、カイっていうの? もう1人も殺しちゃったよ。
いいよね、ここはヒトの世界。死は平等っていうもんね……」
エイビスの言葉尻は優しいが、殺気は消えていない。
彼はゆっくりとエンの前に立つと、じっとりとジョヴァンナを睨んだ。
仮面をしていて視線などわかるはずがないのに、そう見えるのだ。
だが、この優勢の時間の終わりは早かった。
庭先に響いた爆音が、終わりの合図だったのだ。
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