第24話 初めてのおつかい 【山小屋編5】

 エイビスの後から駆け込んできたフィアは、ぐったりと床に寝そべるジャンの治療をすぐに始めた。

 フィアの手がかざされるだけでジャンの傷が見る間に消えていく。

 顔色もよく、血の気が戻ったように見える。だがそれは一瞬で、彼の顔色はすぐに土気色に染まってしまった。

 それなのに治療を終えたとしてフィアは手を下ろし、さらにシルファに向けて小さく首を横に振った。


 アレッタは無言のまま駆け寄るネージュを押しのけ、引きずる体でジャンの元へと近づくと、まだ立ち膝でいるフィアの腕を掴んだ。


「フィア、まだジャンの治療がおわってない」


「俺は傷を癒せても、病気は治せないんだ」


 フィアの言葉に、アレッタは戸惑いながらも腕を掴む手にさらに力を込めた。


「そ、そんなことない。傷が消えれば、ジャンは……私のことはいい!」


 アレッタの傷を癒そうとするフィアの手を払い、ジャンを治せとせがむアレッタに声がする。


「……アレッタお姉ちゃん、……ありがと……」


 ジャンの声だ───



 …いやだ……いやだ……

 なんなんだ、これは……

 胃が掴まれている。

 痛い。嫌だ、痛い!!!



 ぎゅっとスカートを握りしめ、アレッタは歯をくいしばり、ジャンを見つめた。


「…シルファお姉ちゃん、大好き………」


 シルファは口を結んだまま、じっとジャンを見つめ、その握る手を強めた。


「あたしもよ、ジャン」


 シルファは優しい声音で、ジャンの額に張りついた髪をなであげる。すると苦しそうにしながらも、その手にジャンは微笑んだ。


 アレッタは2人を見つめ、フィアへとすがり、怒鳴り、懇願する。


「…頼む……頼むから、助けてくれっ!

 なぁ!!! 早く、治してくれっ!!!!」


 フィアはただ目を伏せ、首を振るばかりだ。

 振り返ると、ジャンの体が光に包まれ始める……


「あ、……ジャン、ダメだ! まだダメだ! 逝ってはいけないっ!」


 ヒトであるアレッタだが、少ない魔力を極限に引き出し使ったため、その余波で彼の死後が見えるのだ。



 悪霊あくれいになる彼の姿が────



「……ジャン、…ジャン! 死んではダメだっ!!!!」


 黒い煙で覆われ出したジャンの体を払うようにアレッタは騒ぐ。

 騒いでも騒いでもその黒い靄は離れることはない。

 ジャンの体をまとわりつきながら、それはゆっくりと立ちのぼり始め、アレッタの声と反して大きく広がっていく。


「ジャンっ!!! ジャン、…ならないで……お願いだから……おねが………

 ……ああああぁぁっ!!!!!!」


 彼の息が閉じると同時に、一気に黒い霧として膨れ上がった。

 瞬く間に人のカタチを作り出し、空虚の目を赤い光で描いている。モヤのようでありながら、実体となるようにまとまった粒子の渦は、ぎゅるんと円を描き、赤い目をアレッタに向けた。


 途端、黒い矢となり襲いかかった。


 身じろぎできないアレッタの前に、すぐさまネージュが滑り込む。

 氷で創った剣をかざし、一旦、黒い矢を弾き、歪んで広がった黒い霧に向かって剣を薙いだ。


 まるで鍋の蒸気が消えるように、しゅるりと消えていく黒い影を、その霧散する欠片を、アレッタはすくい集めるように腕を伸ばした。言葉にならない声を上げながら、塵を手に握り、腹に抱え込む。


「……アリー……?」




「あああああああーーーーーーっ!!!!!」




 アレッタの声がこの湿った部屋にこだました。



 なぜ悪霊になる。

 あれだけ感謝して死んだジャンが、なぜ悪霊なんだ………


 でも、私は斬らなければならない………




 ───私は、それを、斬り捨ててきたんだ………




 シルファはジャンの手を握り、ただ泣いている。

 伸ばす手も、かける言葉も見つからず、アレッタはうな垂れるように頭を下げた。


「すまな」

「ありがとう、アレッタ」


 シルファはアレッタに優しく微笑んだ。

 弟が死んだのに、微笑んだのだ。


「……親に売られた私たちを救ってくれてありがと……

 ジャンも喜んでる……微笑んで死ねたんだもの……」




 違う、……違う違う違う違うっ!!!!!




 ジャンはこの世に未練が山ほどあった。

 生きたヒトを羨み、憎んでいたんだ。


 憎んでいたんだ………





 ───私を、憎んでいた





「ちょ……アリー……?」


 とぼとぼと歩き出したアレッタに、ネージュはすぐさま駆け寄るが、


「帰る……」


 それだけ言い、アレッタはエンの名を呼んだ。

 男たちはすでにエイビスの術でしばりあげられており、エンは袋から解放されていた。

 アレッタの声にすぐに返事をしたエンは、彼女の肩へと飛び乗った。

 それを一度撫でてからアレッタはとぼとぼと小屋から出ると、外につながれているフィアの馬に近づき、綱へと手を伸ばす。


「ちょ、ちょっと、アリー!」


 駆け寄ろうとするネージュの手首をフィアが掴んだ。


「ネージュ、跨がれば家まで帰るから使え。あと、アレッタにこれ飲ませとけ。回復薬だ」


 ネージュは小さな小瓶を受け取り、


「あ、ありがと。ちょっと……アリー、危ないわっ。危ないから!」


 すぐにアレッタを捕まえると、無理やり小瓶の中身を飲ませた。飲み込んだのを確認し、馬へと乗せると、アレッタの後ろへネージュは座り、綱を持つ。

 アレッタを両手で抱えるようにして腹を蹴られた馬は、ちゃんと屋敷へと向かって走り出した。


 開けられたドアから見える2人の姿と、ゆっくり走り出した蹄の音を聞き、フィアはエイビスへハンカチを差し出す。


「エイビス、これで」


「うん、ありがと……」


 受け取ったハンカチで仮面をぬぐいながら、小さくなっていく2人をエイビスは見つめている。


「どうしたんですか、エイビス」


 すぐに別の馬の嘶きが響いた。

 ヒト側の警察が到着したようだ。

 土を削る音が一斉に止み、多くの雑踏、そして声が迫ってくる。

 小屋の外へと出てみると、すぐに警察署長のグランが駆けてきた。


「エイビス卿、ご連絡ありがとうございます」


 深々と頭を下げるグラン署長に、エイビスは一瞥したのち、再び小屋へと視線を戻した。


「グラン署長、ご苦労様。僕、ヒト殺しちゃった。悪いね」


 まだ拭いきれていない赤黒く濡れた仮面と、じっとりと血が染み込んだ白手を見れば一目瞭然だ。

 人にはできない殺し方をするのが魔族。

 グランは顔を青くしながら返事をした。


「……い、いえ。構いません。

 ……おい、お前ら、奥のしょっ引いて、子供の行方聞き出せっ!!」


 指示をだすグランだが、エイビスの横に立ち、


「あの魔族は、どうされるんですか……?」


 地面に転がるデイビーズ達を指差し言った。


「地獄下に落として処罰するけど……

 そっちでも処罰するなら、どうぞ。好きにしていいよ。聞きたいこともあるだろうし。ただ殺すのだけはダメね。まぁ、そう簡単には死なないけど」


「わかっております」


 再びグランの一声でボロ切れのようなネイビーズたちが引きずられていく。

 そんな彼らを眺め、エイビスは息をついた。



「……僕はあの時から止まったままだ…」



 喧騒が渦巻く小さな小屋を見つめ、エイビスはひとり、呟いた。

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