第20話 初めてのおつかい 【山小屋編】
アレッタはすえた臭いがする麻袋の中で、ただじっと様子を伺っていた。
布越しに聞こえてくるのは、風をきる音とエンの鼻息だけだ。
麻は布地が粗いため、光が星空のように差し込んでくる。
少し大きめの穴を見つけ、目をくっつけて外を見ようと頑張るが、微かな光が入るだけで何も見えない。
「どこに向かってるんだ……」
アレッタが呟いたとき、ペンダントが肩から落ちた。
思わず手に取り、じっくりと見つめた。
エイビスから渡されたペンダント。これがあれば、自分の行方を追ってもらえるはずだ。
もうすでに追いかけているかもしれない。
そう思うと、本当に小さなペンダントだが、心強く感じる。
「エン、ごめんな……
今、私の友達が探してくれてるからな」
アレッタはエンに話しかけながら、袋の中で体を丸め体勢を整えると、お腹の上にエンを乗せた。
するとエンは居心地がよくなったのか、そこで小さくなると寝始めてしまう。
「ちょ、エン、私たちはさらわれたんだぞ? ……全く、呑気なヤツだな」
そういうアレッタも大きなあくびをこぼした。
暗い袋の中は時間の経過もわからない。
だがエンがいてくれて、アレッタは落ち着いていられるのだと思う。
もし独りでこんなところに詰め込まれていたら、暴れて暴れて逃げ出そうとしていたかもしれない。
こんな空の上で逃げても逃げ場などないのに、だ。
アレッタはペンダントを握り、もう片方の手でエンを撫でた。
エンは気持ちがいいのか、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
それを聞いていると、なんだか瞼がとても重くなってくる。
暗いのもあり、エンの温かさも相まって、アレッタもうとうとし始めていた。
思えば食後の後だ。眠くなってもおかしくはない。
再び大きくあくびをしたとき、いきなり袋が揺れた。
───着地した……
アレッタはすぐに気を引き締めると、布越しの雰囲気を読み取ろうと耳を澄ませる。
地面に着いたことで張り切ったエンに、指を立て静かにするように指示をする。すると、エンはかすれた声でひと鳴きした。
「……エンは、いい子だな」
アレッタがエンの頭を撫でたとき、大きく引き上げられた。
持ち上げられたのだ。
そのまま袋が移動していく。
大股の足は5歩続き、ドアの開く音が響いた。古そうな鉄扉だ。鳥肌が立つような金属音で唸っている。
足音が変わった。
土ではない、どこか板の上に水があるのだろうか。ぴちゃぴちゃと水の跳ねる音と、かかとの音がする。
だが進むほどに血生臭い匂いが鼻につく。
その足は「おい、やったな」その声で一度止まり、何やら身振りを交えて話し始めた。
「お前が連絡蝶を飛ばすなんて、滅多にないから驚いたぞ」
「ああ、旦那にもすぐ送ったさ」
「そら、送らなきゃなっ!」
「ホントに、金色の目なのか?」
「マジもんだ。ガキがいるから取って見たが、あの目は間違いない」
「お前、やっぱ、すげぇな。ここんとこ引っ張ってくるガキの質、いいじゃねぇか」
「天使様がついてんだろ。ブロディの子供も拾ったが、これは少し大きくしてからがいいだろうな」
何が天使様だ。
アレッタは舌打ちしたくなる気持ちを抑え、気配を探る。声を聞く限り、アレッタの袋を掴む男と、その他に3人、いるようだ。
「さっさと入れてこいよ」
「そうだな」
上機嫌の声はゆっくりと歩き、ドアノブに手をかけた。
ここの扉も重そうな鉄扉だ。
押して開け進むと、その扉も唸りながらゆっくりと閉じていく。
男はすぐに立ち止まり、袋を一度どさりと置いた。
「……つぅ……」
尻餅をついたが、音の反響からして先ほどの部屋よりも小さい雰囲気がある。
生臭さはおさまったが、今度は人の糞尿の匂いが強くなった。
「お疲れさん。それか?」
「ああ、手柄だろ?」
「お前、ついてるよなぁ!」
騒ぎ話す声は2人。ここへ運んできた男と、もう1人の男だけのようだ。
アレッタがなんとか状況を読み取ったとき、再び麻袋が大きく揺れ、それが逆さに吊るされた。
「……いたっ」
袋から出されたのはいいが、腰から落とされてしまう。
だが、すぐに足を踏み込み、まだある隙間に飛び込んだ。
がちゃんっ!!!
そう揺れた鉄格子の扉は開くことはなく、アレッタはそれに強くぶつかった。
体が弾かれ、転がり、倒れるが、すぐに起き上がり、檻のなかの猿のように鉄格子を揺すってみる。
だが扉には棒を差し込み止めてあり、それ以外にも南京錠がかけられ、全く動かない。
扉の前に立つ男をアレッタは睨むが、男は見下ろし、鼻で笑った。
「はっ……あっぶねぇな、このガキ……」
この声は連れてきた男だ。
「身綺麗の割には、根性あるな、そいつ!」
テーブルに座っている男も笑うが、アレッタは鋭く睨みつける。
「ガキのくせに、肝座ってんのかね」
「しらねぇよ……全く油断も隙もねぇ」
男たちの雑談を聞き流し、アレッタはゆっくり室内を見回した。
男たちは簡素なテーブルに座っているが、棚も何もない。
唯一振り子時計がどんと置かれ、それが立派すぎて不釣り合いだ。
土壁のここは、牢屋なのは間違いない。
錆びついた鉄格子がここが古い建物だと教えている。
横を見ると蓋のついた壺が置かれ、そこがトイレであるようだ。ひどい臭いが漂っている。
人の気配を感じ、アレッタは後ろの奥を見た。
そこにはアレッタぐらいだろうか、麻袋を敷いた床に寝そべる少年が1人と、自分よりも少し大きい赤毛の少女がその少年に寄り添っている。
するとエンが寝転がる少年の元へ走っていった。
彼の頬をぺろりと舐め、優しくも悲しそうに鳴くエンを見て、アレッタはすぐに少女の横へと駆け寄った。
「……おい、この子、具合が悪いのか……?」
声をかけるが、少女に睨まれ、「あなたに関係ない」端的に言われた。
確かにそうかもしれないが、寝転ぶ少年は息も絶え絶えだ。
肩で息をしているのに、酸素がまるで足りないかのよう。
アレッタは少女に構わず、寝転んだ少年の額に手を当てた。
とても熱いうえに、玉の脂汗をかき、顔色も土気色だ。
アレッタはすぐに頭巾を脱ぎ、彼の頭にかぶせた。
「……ちょ、ちょっと、ジャンは熱があるのよっ!」
「この頭巾は頭を冷やしてくれるものだ。手を入れてみればわかる」
「……え、うそ、すごく冷たい」
「だからこれをかぶせておこう。少しはマシなはずだ」
「……あ、ありがとう。ひんやりして、気持ちいい……」
アレッタは小さく頷き、すぐそばに腰を下ろした。
ポケットをまさぐるとハンカチがでてきたので、それでジャンと呼ばれた少年の汗をぬぐっていく。
壁を見ると傷がつけられている。見る限り15本、数えられる。
これは2人がここに入れられてから刻まれたものなのだろうか……
こんなところで2週間以上、過ごしているなんて……
アレッタは言葉に詰まらせていると、少女の腕に何か取り付けられているのを見つけた。
それは少年にもあり、ぐるりと簡易に布が巻かれているが、それには赤黒いシミがある。
それは間違いなく、血の跡だ。
───ここで一体何をしてるんだ………
アレッタは、少ない情報をかき集めようと、さらに視界を広げ、くまなく見渡していく。
上機嫌の男たちはタバコをふかし始めた。心に余裕があるのがわかる。
男たちの腰には、武器が1つ備え付けられ、アレッタを連れて来た男の腰には馬用の鞭。それに対面で座る男の腰には、トンファーが下げてある。
トンファーは平たく言うと「ト」という文字のように取っ手のついた棒のことだ。取っ手を握ると腕に沿うように棒が並ぶ。くるりと回せばそれで殴ることもでき、さらに突きの動きもできる便利な武器だ。
その男の腰には鍵のリングもつけていることから、鍵を守れるだけの何か武術を身につけている可能性がある。
できれば体力のあるうちに、先にやっておきたい……
「坊主の方がだいぶ弱ってるな」
「ツブすか……」
「早い方がいいよな」
なんの話だ。
アレッタが耳をそば立てていると、少女が言った。
「……あなたもどうせ死ぬわ」
「どういうことだ」
「血を抜かれて、最後にツ・ブ・さ・れ・て・死ぬの……」
「……血? ……どうして……?」
「魔族が飲むワインに混ぜるの。香りが良くなるからって……
ジャンも血を抜いたせいで体が弱って……昨日も1人いなくなったし……」
言いながら、少女の顔がくしゃりと歪んだ。
「みんな、もうすぐ…………もうすぐ死ぬのよ……っ!」
そういう少女に、「シルファ姉ちゃん、泣かないで」かすれた声でそう言ったのはジャンだ。
───ここで2人で励ましあい、絶望を待っていたのか……?
アレッタはペンダントを握りしめた。
シルファと呼ばれた少女の横につき、小声で話しかける。
「……シルファ、ジャンを抱えて走ることはできるか……?」
「……なに……言ってるの?」
「いいから答えろ……」
「……もちろん、できるけど…」
「わかった。私はアレッタ」
アレッタはシルファの華奢な肩を掴み、言いきった。
「ここから逃げる。
……絶対にだ……!!」
アレッタの目は鋭くも、決意に満ちた目だ。
シルファはその目に吸い込まれるように、希望を彼女に見つけ、小さく頷いた。
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