門番天使と悲劇の少女
製作する黒猫
第1話 天国からの逃亡者
いつも心の片隅にある光景。それは、はるか昔の出来事であるというのに、昨日のことのように思い出すことができる。
可愛らしいピンクを基調とした女の子の夢のような部屋。その部屋にある大きな椅子に、私は腰かけていた。
「まだ・・・大丈夫」
私のお腹からは真っ赤な血があふれ出し、椅子だけでなく床も汚していた。可愛らしいピンクの絨毯は、鮮血に染まり台無しだ。
視線を動かすと、キラキラと光を反射している鏡の破片が見えた。先ほどまでは白雪姫に出てくる魔法の鏡と思われるほど神秘的だった鏡は、無残にも鏡面を割られてその破片が床に散らばっている。それでも、光を反射した破片は美しい。
「きれい・・・」
怖い。怖くてどうしようもない。だから可愛いものを眺めて、きれいなものを探して・・・
大丈夫と言い聞かせた。自分自身に。
澄み渡る青空にかかる、真っ白い綿菓子のような雲の上にある白い建物。天にまで届くのではないかという塀に囲まれたそこは、天国と呼ばれていた。
その国を守る天使の一人が、門番として門の横に立ち下層を眺めていた。
天使には珍しく黒コートを着ているため、一層白く見える肌。さらりと長い水色の髪が顔にかかり、それに眉を寄せて髪をかき上げると真剣な表情をして下界に視線を戻した。
俺はマーキュリー。ゾンビの名付け親がいた元人間ということを除けば、どこにでもいるような天使の一人だ。今の俺は天国に侵入しようとするものを阻む門番の任務に就いている。
「首痛くならないの?」
ふいに、隣にいる同僚が話しかけてきた。
「仕事だ、そんなことは言っていられない。私語は慎め。」
「はぁ。この馬鹿真面目め。」
「お前が不真面目すぎるだけだ。」
同僚はため息を一息つくと下界を眺めながら続けた。
「侵入者なんてここ千年ない。だから下をそんなににらみつける必要はないと思うよ。」
「千年来ないからといって、今日来ない保証はない。わかっているのか、侵入者があればこの国の平和が脅かされるかもしれない。この国の平和は俺たちにかかっているのだぞ。」
「重くとらえすぎだよ。・・・だいたい、下から来るとは限らないじゃないか?」
同僚は意地の悪そうな顔をこちらに向けた。
「上や横から来るかもしれないぞ、マーキュリー・・・」
ひゅん
そのとき、俺たちの間に赤い何かがすごいスピードで通り過ぎた。門のうちから出たそれを少女と認識したときはすでに彼女は下の階層へと降り立ち、さらに下の階層への階段を降りようとしているところだった。上から眺めているので、少女のかぶった赤い帽子と翻る短めのマントが目につく。
この世界はいくつもの階層が折り重なってできており、人間界では主に3階層が伝わっていて、最下層地獄・中層現世・最上層天界があると言われている。しかし、実際はもっと多くの階層があり、ここは最上階から3つ下の階層だと言われている。
少女が降り立った階層も降りようとしている階段の先の階層も天界なので危険はないが。
「あの子、まさか現世まで行くつもりかな。」
「連れ戻してくる。」
「え、マーキュリー?」
「この国以外は保護下から外れる。何かあってからでは遅いだろう!」
俺はすぐに下の階層へと降りた。同僚が何か叫んでいたが、さらに下の階層へと向かった。
「あー行っちゃったか。それにしても、まさか後ろから来るとはね。まぁ、侵入者じゃないけど・・・」
すでに見えなくなった同僚の、少女を案じる言葉を思い出す。
「僕にはわからないね。これが元人間と生粋の天使の違いなのかな・・・」
薄暗い花畑に一筋の光がかかっている。上層からの光だ。
その光に照らされて一人の少女が立っているのが見えた。赤い帽子に赤いマントのようなえりが目立ち、次に光の下輝く金髪が目に留まる。
俺は階段から足を離してひとっ飛びで少女の目の前に降り立った。着地するときに使った白い羽のばさりという音があたりに響く。
「待て、少女よ。」
「天使さま!?」
少女は海のような深い青をした目を真ん丸にして俺を見て、一歩後退する。
「お願いです、行かせてください。」
「だめだ。戻るぞ、何かあってからでは遅い。」
「いやっ!もう、あそこで待ち続けるのは嫌なのっ!」
少女の言葉に俺は驚きが隠せなかった。天国が嫌だというのか?いや、待ち続けるのが嫌といったな。
「わかった。」
「何と言われようとも戻りま――え?」
俺は少女の手を引いて、上層への階段に足を向けた。
「何が分かったのよ!嘘つき!離して!」
少女は足を踏ん張って抵抗するが、俺は強引に少女を引きずるように引っ張った。
「嘘はついていない。君に帰る意思がないことは、理解した。」
階段の前に着くと、俺は少女を持ち上げ階段に座らせた。
「しかし、どうして帰りたくないのかわからん。待ち続けるとは、どういうことだ?話してみろ。それができないのなら無理にでも連れて帰る。」
少女はじっと俺の顔を見つめた。
「天使さまは他の天使と違うのね・・・」
「?俺は天使だ。ごく普通の天使だが?」
「全然違うわ・・・さっきは取り乱してごめんなさい。私のことを心配して追いかけてくれたのでしょう?そんな人に私・・・」
「かまわない。それより話を聞こう。」
「うん。あのね、私、お兄ちゃんに会いに行きたいの。天国で待っていればいつか来てくれるって聞いていたから待っていたのに・・・来ないの。」
少女は意志の強い目をして「だから迎えに行くの」と言った。
俺は何と言えばいいのかわからなかった。天国にいないということは、現世で人間としてまだ生きているか、霊としてさまよっているか・・・
「おすすめはできない。最悪・・・地獄に落ちている可能性もあるぞ。まさか地獄まで行くつもりか?」
少女はふっと笑って頭を横に振った。
「天界からは出るつもりはないわ。天界の中での一番下の層までいくつもり。もしそこまでの道のりで見つけられなかったら、あきらめるわ。」
少女は立ち上がった。その顔は少女というにはどこか大人びていた。それもそうだ、外見と精神年齢は同じじゃない。
「あきらめて、新しい人生を歩むの。」
「転生か。」
「えぇ。」
天界にいる人間には2つの選択肢がある。天界にいるか転生して現世で生きるか。
「もう待つことだけは嫌なの。だからお願い、見逃して。」
「・・・見逃すも何も、別に君は悪いことはしていない。」
「ふふ。それもそうね。」
天国から外に出てはいけないというルールはない。
「それじゃ、私は行くわ。」
「そうだな・・・」
少女は下の階層への階段を降り始め、俺はそれに続いた。
「え?」
「何かあったのか?」
「いえ、あの、天使さまも来るの?」
「あぁ。何が起こるかわからないからな。」
少女は一瞬驚いた表情をしたが、急に声を出して笑ったので俺は眉をひそめた。何か変なことを言っただろうか?
「ごめんなさい。・・・ありがとう天使さま。」
「構わない。天国を出た者は保護下ではないが、保護してはならないというルールもないからな。」
こうして、天使マーキュリーは少女と共に、天国下層へ向かうことになった。
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