通信制中学生

みやふきん

第1話

ネット社会の恩恵で中学校でも通学制と通信制を選べるようになったことはありがたかった。私は小学四年生から学校に行ってない。中学は私立を選べるほど家にお金はないと家族に言われていた。高校みたいに広域性ではないけど、隣接する市町村の通信制ならどこでも選ぶことができた。幸いにもそんなに田舎ではない地域なので市に一校はある。私は隣の市の通信制中学に所属することになった。私立と違って入学試験はなかったが、面接はあった。週に一回のスクーリング以外の時間をどう過ごして、何を目指すのか、しっかりと伝えることができる生徒のみが入学を許可された。私のひとまずの目標は学力を取り戻すことだった。不登校を機に勉学意欲をなくしてしまい、塾に通うお金もなかったから、遅れたままになっていた。通学制だと置いていかれるだけだとわかっていた。それ以前に教室の中にいる事が苦痛だった。

最初のレポート提出までには遅れた分を取り戻すつもりだ。授業の範囲外でもチャットでの質問を受け付けてくれたのはありがたかった。目標が達成されたら、また別の目標を立てるように言われていて、ボランティアへの参加という目標を立てた。午前中高齢者の施設へボランティアに行き、午後からは勉強の時間に充てることにした。

週に一度のスクーリングは実技授業がびっしり6時間あった。体育、音楽、美術、技術家庭。そこではクラス単位というものはなく、単位制で、年間のカリキュラムを最初に組むことになっている。水泳なんかはプールの中に一年生から三年生までいる。

自分の席がないから、基本的に隣に座る人が誰かはわからない。一期一会。喋りたければ休憩中に「はじめまして」から切り出すし、そうでなければひとりぼんやりしていても、読書していても、寝ていても、目立つことはない。みんなそうだから。もちろん友だち同士つるんでいる人たちもいる。ごくわずかに。

通信制にも学校行事はあった。しかしどれも参加は任意で成績にも反映されない。芸術鑑賞会という受動的なものもあれば、数名の班を一時的に形成されて行われる校外学習もあった。体育祭は演目を生徒のアンケートで決めて練習なしで行われ、係は立候補制で前日の準備から行う。みんなで何かをやるのが好きな人たちが一定数いるのか、ご褒美のおやつとジュースが目当てなのかはよくわからない。

定期テストは通学制と変わらず行われた。その期間はむしろいつもより多く登校することになった。やむなく欠席した場合は、全学年の欠席した生徒が集められて再テストが行われている。

長期休暇期間には補習もあり、いつもより多くのレポート課題を課された。

そんな中学校生活では、不登校は見えなかった。誰が不登校なのかすらわからない。同じ学年の子がどの子なのかもよくわからないので、いじめは起こっていないように思えた。なによりも教室内の息苦しさがなかった。

全ての中学校が通信制になったらいいのに、とは思えない。少数派だからこそ、私は息ができる。誰も私の過去を知らない。クラスもなければ派閥もない。上下もない。人気者も孤独者もわからない。流動的な流れのなかで、しっかりとそこにあるのは自分の覚悟。それがない生徒はひっそりといなくなっているのかもしれない。それもわからないけど。

二年生にもなれば、さすがに何回か見たことあるなという生徒は目についてくるし、校外学習の班になったのをきっかけに友だちになる人たちも現れる。依然ひとりでいる人も多いから、私にとっては楽だ。「ぼっち」は仲良しのなかに自分ひとりだけだからつらいのだ。

そんな感じで学んだ生徒の中に高校は敢えて通学制を選ぶ人も出てくる。仲間と共に学びたいと希望に胸を膨らませているらしい。高校も通信制を選ぶ生徒は多い。中学入学時からの夢を叶えるために、高校でも同じスタイルで勉強して、空いた時間を夢の実現に向けて使いたいと熱い子たちもいる。

いろんな人がいてもいい。そんな場所だから三年間頑張れた気がする。

卒業式も任意参加なここは本当に居心地がいい。

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通信制中学生 みやふきん @38fukin

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