絵に描いた猫を君は愛せるか

平 竜

第1話 僕が勝手になぞった、

こんな大雪の日には彼女のことを思い出す。


君は猫を飼ったことのない人だね。


いつだっただろうか。彼女にこの言葉をかけられたのは。確かに、自分は猫を飼ったことはないし、なんなら犬を飼ったこともない。

当時、この言葉の意味は全く分からなかったが、彼女がどうしてこんなことを言ったのか、今ならなんとなく分かる気がする。

この言葉を思い出すと、決まって2年前の冬の思い出が甦える。

そう、俺が大学4年生だったあの年は大雪の年だった。

歴史的な大雪の中、彼女はやってきた。



ドンドン! ドンドン!

誰かが、ドアを激しく叩いている音で目が覚めた。時計を見ると、もう10時を回っていた。あちゃー、また1限目に行けなかった。また、落としたかなー、なんて思っていると、また、ドンドンと玄関のドアを叩く音が鳴った。

はいはい、誰だよ、しつこいなとドアを開けるとそこには見覚えのない女が立っていた。


「おはようございます。今日から、隣に越してきたヤスダです。よろしくお願いします。」


と、紙袋をこちらに差し出しながらにこやかに笑っていた。


「…よろしくお願いします。」


ゆっくり受け取り、中へ戻ろうとすると、


「大学生ですか?」


と、また笑顔で聞かれた。


「はい、4年ですね」


「いいわね!私もこの時間まで寝てたいわ。」


なんだ、こいつ。


「あ、それとあんまりうるさくしないでね。じゃ、これからよろしく!」


一方的にそういうと、ヤスダと名乗った女は自分の部屋へと戻っていった。


なんだか、ムカつく人だな。ま、もう関わる事もないか、そう思いながら覗いた紙袋の中には乾麺のソバがはいっていた。







ドンドン!ドンドン!


次の日の、朝も誰かがドアを叩く音で目が覚めた。


誰だよと思いながら、ドアを開けるとそこには昨日の女が立っていた。


「おはよう!また寝てたの?いきなりで悪いんだけど、手伝ってほしいことがあるんだけど。」


なんだこの図々しい女は。

ヤスダとか言っていた彼女は、今日はキレイめなモスグリーンのロングスカートに、赤いニットを着ていた。


「いいの?ダメなの?」


「…はい、わかりました。なにかありましたか?」


なぜか断れない自分に腹が立つ。なんでオッケーしてんだ。


「あのね、タンスが届いたんだけど、重たいし、組立式なの。これは、男手がいるなって。」


「それで俺に白羽の矢が立ったんですね。彼氏とかいらっしゃらないんですか?」


「いたら、隣人なんかに頼まないわよ。ほら、早く手伝って。」


そういって、彼女は俺の腕を掴むと、グイグイと自分の部屋の方へと引っ張っていった。


彼女の部屋にあったのは、これを組み立てたら2メートル近いタンスが出来上がるようなセットだった。


「うわ、馬鹿デカイですね。こんなに服あります?」


「うるさいわね、あるの。必要なの!」


「了解です。このサイズだとドライバーがいると思うんですけど、もしかして工具とかって持ってませんか?」


「ないわね!」


なんでこんなに自信満々なんだ。


「…わかりました。部屋から取ってくるので少し待っててください。」


女性の部屋に入ったのは、2年前に別れた元カノ以来だな。元カノの部屋は汚いわけではなかったが、雑多な部屋だった。それに比べて、ヤスダさんの部屋はとてもキレイに整理されていた。まぁ、引っ越してきたばかりなので当たり前だが。だか、引っ越してきたばかりと言っても、あとタンスを組み立てれば彼女の部屋は完成と言っていいくらい、部屋として出来上がってきていた。


自分の部屋から、工具箱を持ち出してヤスダさんの部屋へ戻る。


「どのくらいで、終わる?」


「そうですね、説明書読んだ感じだと30分もあれば終わりますよ」


「ほんとに?意外と早いわね。ありがとう。」


作業中、ヤスダさんはずっと話しかけてきた。


「そういえば、名前聞いてなかったわね」


「タナカ リョウヘイです。普通の田中に、良し悪しの良いに、平らで、良平です。」


「なんか、普通ね。私は、ヤスダ サナエ。保つに、田んぼの田で保田。早い苗で早苗。

よろしくね、良平。」


「はい、保田さん。」


「保田さんはイヤ!早苗さんがいい!」


面倒くさいな、こいつ。


「…よろしくお願いします、早苗さん」


「はい、よろしく!良平って彼女いるの?」


まだ会って、2日目だぞ。


「いえ、今はいないです。」


「昔はいたような口ぶりね。ま、いないわよね。なんか良平って気が弱そうだもの。そうじゃなかったらうら若き乙女の家でタンスを組み立ててないわ。」


どこまでもムカつく人だな。


「2年前、別れたんですよね。」


そう答えて、少し、意地悪したい気持ちに駆られる。やられっぱなしはムカつく。


「気が弱いっていいますけど、もしかしたら、このあと襲われるかもしれませんよ?俺も男ですから。」


早苗さんは少しキョトンとした顔をして、


「でも、襲わないんでしょ?」


なんだ、その反応は。


「いや、まぁ、そうなんですけど。」


この人の心の扉はどうなってんだ。信頼した人にしか開けちゃダメなはずだろ。


「でしょ!私ね、人を見る目はあるの!私のことを大事にしてくれそうな人を見分ける目!」


「へぇ、俺はあなたのことを大事にするんですね。」


「多分!」


こんなに自信満々な多分は初めて聞いた。本当に変な人だ。呆れるのを越して、なんだか笑えてきた。



それから、タンスが組み立て終わるまでの10分くらい早苗さんは俺の個人情報を根掘り葉掘り聞き続けた。


「はい、出来ましたよ。」


「ありがとう!やっぱ、良平は出来る子ね!」


早苗さんは俺の目をじっと見ると、


「よし!飲みにいくわよ!働いたあとのビールほどうまいものはないわ!お礼に奢るわよ!」


「…今からですか?」


時計はまだ11時を回ったところだ。


「当たり前でしょ!それに、私の有給は今日までなの!良平と違って勤労の義務を果たしてるの!貴重な休日が引っ越しだけで潰れるなんてごめんだわ!」


この人は、休日に命を掛けてる人だ。

目や口調から本当にただ引っ越しで過ぎていく休日が許せないことが伝わってくる。


「わかりました。お言葉に甘えて。」


「お!さては飲める口ね!それじゃ、行こう!」


玄関へ向かっていた早苗さんは突然、振り返って、


「あ、私、この辺の店、全然知らないから。お酒の美味しいとこへ、連れてってね。」


そういうと、ムカつくほどキレイなウィンクを決めた。


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