番外編:サンタンゴの恐怖

※本編の前年あたりの時系列のお話です









 さて、賢明なる二二世紀生まれ(ホモ・サピエンス以外も含む)の諸兄にとっては常識だが――二一世紀が突然の宇宙人襲撃によって阿鼻叫喚の大惨事となったり、軽率に核兵器が濫用されたり、退廃の都とその民・東京都民が滅んだりしたのは周知の事実である。

 だが、世界から悲劇が消えることはない。

 街はクリスマス、恋人たちは愛を深めあい、ときに別れ、我が子への誕生日を購入する記念すべき日。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」


 闇を切り裂く、怪しい悲鳴があったと思っていただきたい。

 ほとんど断末魔のような声を上げたパティシエの口に、うごめくショートケーキが叩き込まれる。

 突き抜ける生クリームのにおいに白目を剥き、若い女性パティシエは鼻から生クリームと肉片の混淆物を噴き出しながら失神。

 夕方のカフェ併設型洋菓子店、その店内で起こった惨劇である。

 当時、店内でケーキや紅茶、コーヒーを思い思いに楽しんでいた人々――その大半は恋人同士、あるいは友人同士であった――が、何事かとカウンターの方を見たのも当然のこと。

 だが、そこにいたのは悪漢でも強盗でもテロリストでもなかった。もっと邪悪で根源的な恐怖だ。


「い、いやああああああ!! なにあれ、ケーキを食べてる!!」


 むしゃむしゃとケースに並べられたケーキをむさぼる冒涜的存在――辛うじて人型を保った悪意の権化。

 異形の怪物が、にやりと笑った。


「めりぃ……くりずまずぅ!」


 十分後、店の周囲は地獄絵図と化していた。

 嘔吐してのたうち回る家族連れ、皮膚を掻きむしって苦しむカップル、生クリームのようなものを口から吐き出す中年男性。

 すわ集団食中毒かという惨状の中、洋菓子店の店員が店の外へ出てきた。

 店の前で起こった騒ぎである。

 誰だって気になるのが人情というものであろう。

 しかし彼の目的は食中毒や営業妨害を心配する、人類の発想ではなかった。

 そうなぜならば――


「めりぃ……!」


 かつて女性パティシエだったそれは、顔が溶け崩れ、美味しそうなホールケーキになっていたのだから。

 眼窩には苺。鼻にはチョコレート、ぽっかり開いた口からは垂れ流しの生クリーム。

 体組織の変異した生クリームを地面へどぱどぱと垂れ流し、聖夜を祝福するけだもの

 店内から現れる、かつて洋菓子店の客だった生き物も、皆、顔面がケーキに変異している。




――おぞましい、ケーキ・パンデミックが始まろうとしていた。









『以上が、現在、確認されている最も古い記録映像だ。この映像が確認され、所轄の警察が動いてからすでに六時間が経過。対策官諸君、質問は?』


 ときは二二世紀、日本列島某所。

 一二月二五日未明、屋内の薄暗い一室にプロフェッショナルたちが集まっていた。

 お分かりいただけたろうか、この世界の治安を守る人類連合調停局UHMAユーマの超人エージェントたちである。

 しかし彼らも一応は人間なので、年末に起こった猟奇的事件に気が滅入っていた。

 というか一応、待機状態とはいえ、半ば休日のような扱いだったのである。

 近頃は事件らしい事件も起きておらず、平和な年末を過ごせるかと期待されていた矢先の惨劇であった。

 二重の意味で陰鬱な気持ちにもなろう。


 エージェントたちの中でも一番の若手――伊達眼鏡の青年が挙手した。

 名を塚原という。

 友人から借りたエロ本とゴリラの写真集を間違えて返却、悲しい仲違いを経験したりしている悲劇の男である。


「推定される犠牲者の規模は?」

『不明だ。映像で確認された変異体――コードネーム・ケーキマンの特性も不明。現在、現地警察および医療関係者によって致死性感染症のキャリアとして扱われている。だが、事態の推移次第では駆除対象に指定されるだろう』


 モニター越しに話をとりまとめているのは、彼らの上司・管理官である。

 二二世紀なのでモニター越しにハイテクな感じで会話していると思っていただきたい。流石は二二世紀である。

 細かいことを気にしてはいけない。


 続いて二人目の挙手――身長一九〇センチを超える巨漢。

 口ひげを生やした山男のような容姿だが、実はデスクワークが主な仕事――名を高辻。

 趣味はセックス、を公言しているセックス狂なので細かいことを気にしてはいけない。


「――軍の救出作戦はどうなってますか」

『核攻撃だ』

「日本は非核保有国では……?」

『核兵器のような微妙に核兵器ではない綺麗な爆弾が使われる可能性は否定できない』


 軍による爆撃の可能性が示唆される――しかし二二世紀ではよくあることなので特に誰も突っ込まなかった。

 そんなこんなでクリスマス未明からゾンビもどきの相手をする、という陰惨な任務を前に、男どもがどんどん真顔になっていく最中。

 部屋の隅でヨガポーズをキメながら話を聞いていた女が、ふと、口を開いた。

 身長一五三センチの矮躯と豊満な胸、そして人を殺せそうな笑顔が持ち味の超常種サイキック――新藤茜という。


「サンタンゴ……これ、あたし知ってますよ」

「えっ」

「……え?」

『決まりだな』


 そんなこんなで適任者が決まった。

 このように、勇気あるプロフェッショナルたちが責任を持って事態の解決に当たろうとしていた――









 燃えさかる自動車、焦げた生クリームの悪臭、装甲の凹んだロボットの胴体。

 現場入りした茜が目にしたのは、無惨に破壊され、生クリーム塗れになったセキュリティロボットの残骸だった。

 二〇世紀のゾンビ映画なら、警官隊がゾンビに蹂躙されるのがお約束だが、無人化の著しい昨今、犠牲になるのは勤勉なロボットと相場が決まっている。


 生クリーム塗れになった大通りを、茜はコート姿で歩く。

 職場の青い制服を着込み、こつこつとブーツの靴音を鳴らして。

 一見すれば無人の通りだが、勘のいい彼女はすでに気付いていた。


 建物の隙間やビルの屋上など、通常は死角となる場所で繁殖する『奴ら』の気配を――!


 ぴたり、と足を止めて五秒後。

 暗がりから、幼児が歩いてくる。

 助けを求めるように、おずおずと手を伸ばして。茜は子供を安心させるように、にっこりと笑ってみせた。


「大丈夫……怖くない。あたしは武器なんか持ってないし、あなたたちを銃で撃ったりしないから……!」


 おおむね親切そうな台詞だった。

 ただ一つ、その笑顔が肉食獣の牙にも似た凄みを発していた以外は。

 その笑顔が引き金になったのかどうか、五歳ぐらいの子供の顔が真っ二つに裂け、ラズベリージャムを噴き出しながら低いうなり声を上げた。


「めりぃ……ぐりずまあ゛ず!」


 その方向を合図に、街のあちこちからケーキマンが飛び出してくる。

 正面から七匹、左右から五匹、背後から六匹、上から一〇匹――このあたりにいた人間は皆、生けるケーキになってしまったのだ。

 退化して千切れかけた腕の断面からは、美味しそうなチョコレートケーキが露出している。

 皆、思い思いに街でクリスマスを過ごしていただけの善良な市民だった。そう、彼らは元人間……!

 両腕を突き出し、茜は魔法の言葉を吐いた。


――そう、奇跡を起こすために!


「超能力ビーム!」


 説明しよう、茜の超能力とは自分の体をメカにすることなのである。

 超能力の定義とか、そういう細かいことを気にしてはいけない。

 腕に仕込まれた高出力レーザー発振器から殺人的光線が発射され、ぐるりと一回転。

 四方八方から襲い来るケーキマンたちの胴体が真っ二つになり、続いて上空から自由落下してきたケーキマンも灼熱に刺し貫かれていく。

 一瞬で灰になるまで燃え尽きるケーキマンたち――茜は小首を傾げた。

 レーザー兵器は熱で対象を破壊する武器なので、腕の対人レーザーぐらいでこんな惨状には普通ならない。

 辛うじて原形を留めていたケーキの肉片を拾い上げ、すぐ、答えに辿り着いた。


「やっぱり! 体組織がケーキ化してる……!」


 何故、彼女がこの怪物たちを知っていたのか――それは茜が一〇歳のころにさかのぼる。

 B級ホラー好きの兄に付き合って視聴した、二〇世紀の怪奇映画「サンタンゴ」がすべての始まりだった。

 某国の水爆実験により突然変異を起こしたクリスマスケーキ・サンタンゴが密かに南洋の無人島で増殖、これを食べた人間の体を乗っ取るという恐怖の生態を獲得――この島へ遭難した若者たちは、空腹やいがみ合いから、一人、また一人とクリスマスケーキを口にして、不気味な声を上げるクリスマスケーキ人間になってしまうという筋書きだ。

 極限環境下で剥き出しになる人間のエゴや暴力性、南洋という設定にもかかわらず、そこら中で勝手に増えるクリスマスケーキという狂ったビジュアル――彼女にとって一生もののトラウマになったのは言うまでもない。


 だが、あれはあくまで作り事、フィクションだ。

 よもや自分の目でクリスマスケーキに躰を乗っ取られた人間を見る羽目になるとは思わなかった。

 元人間判定の割りにあっさり殺している気もするが、細かいことを気にしてはいけない。

 しかし茜には確信があった――映像を丹念に分析した結果、ケーキマンたちの背景で一瞬だけ映っていた影。


 ノイズかとも思ったが、違った。

 何よりも、誰よりも、新藤茜は知っている。

 いいや、現代人なら誰だって知っている男の姿なのだから。


「ここにいるんでしょ、サンタクロース!」


 次の瞬間、耳元で声がした。


「ほっほっほ……よい子じゃな?」


 声を出されるまで気付かないほど完璧な熱光学迷彩――否、一瞬でこちらの背後へ移動したのだ。

 サンタさんの健脚ならば十分に可能な、恐るべき高速移動である。

 平常時の茜であれば、先ほど超能力ビーム(仮)を使ったように、迎撃していただろう。

 だが、今の彼女にはある種の畏怖があった。

 どういうわけか、サンタさんが本物だと信じられるのだ。

 こいつは、サンタを騙る超能力者、軍用サイボーグ、はたまた宇宙生命体などではない……本物のサンタクロースなのだと、よくわからない直感が告げているのだ!!

 ちなみにそうでなかったときは、ビームとかナパームとか拷問とかが活躍するので問題はない。完璧な作戦であった。


「教えて、サンタクロース。あなたがこの惨状を作ったの?」

「それは――」


 サンタクロースの口から語られたのは、驚くべき真実であった。

 彼は、未来からやってきた存在だというのだ。


 はるか未来の地球――長い長い戦いの果て、最終兵器の投入によって故郷を失い、人間は絶滅の危機に瀕していた。

 苦難の世界であった。


 わずかに生き残った人々は孫の顔を見ることなく死んでいき、生まれた赤子は産声を上げる間もなく心臓を止める。

 未来を繋ぐことさえ叶わぬ生き地獄。

 やがて生き残った人々は、自らの肉体と人格をデータにまで解体/保存、来たるべきときまで眠りにつく道を選んだ。

 データ化した人格と肉体の保存媒体には、古代の祭礼がモチーフに選ばれた。


 クリスマス。

 神の子の誕生を祝う祭、人類の復活を託すにはぴったりの器――クリスマスケーキ型有機ライブラリへ、ほとんどの人間が収まった。

 それがすべての悲劇の始まりだった。

 何故なら、すべての人がケーキ型有機ライブラリに入ったわけではないからだ。

 人類が復活できる日を見極める使命のため、あえて苦しい世界で生きることを選んだ人間もいた。

 すべては順調だった――とある男の息子が、ひもじさのあまりクリスマスケーキ型有機ライブラリを食べてしまうまでは。


「このケーキの怪物たちの起源はのう、未来の世界で、誤って有機ライブラリを食べてしまった人間なのじゃ。何十万人もの人間の情報が、普通ではない再生をされたせいで混じり合ってしまったんじゃな。奴らは異常な繁殖力、そしてタイムスリップ能力を会得しおったのじゃ……」


 人類復活の希望が潰えた生存者たちは絶望した。

 あるものは自ら進んでケーキマンたちの一員となり、あるものはケーキマンへ対抗するための兵器を、あるものは彼らを人間へ戻すための研究を始めた。

 異常繁殖したクリスマスケーキによって、わずかな生存者が駆逐されるのに時間は要らなかった。


 最後の希望の完成と、人類絶滅は同時だった。

 自己進化するアンチ・クリスマスケーキ・ウェポン。

 時間と空間を渡り歩く、空前絶後のサンタクロース的改造人間。

 おのれの息子の過失をあがなうため、人間をやめた永遠の戦士の誕生だ。


「もしかして、息子を失った男というのは――」

「一つだけ言えるのは、わしの使命は、人類史へ拡散しつつあるクリスマスケーキ汚染を食い止めること、ということじゃな。この地へ飛来したクリスマスケーキはすべて処分しておいた。わしが立ち去れば、二度とクリスマスケーキが人間を襲うことはあるまい――おや、トナカイが迎えに来たようじゃ」


 茜の集音センサも、三人目の存在を感知。サンタが首を向けた方へ目を動かす。


 目を疑った。

 見間違いの可能性にすがり、トナカイを見た――マイクロビキニを着用し、トナカイの角の生えた美女が立っている。

 真冬の町中で、ヒールの高いブーツを履いた長身の変態だ。

 茜は硬い笑顔のまま、その異様な生き物を眺めた。

 勝てるとか勝てないとか、そういう問題ではなかった。


 根本的に関わり合いになりたくないと心の底から思った。

 サンタクロースはいつもそうしているとばかりに、トナカイの背中に乗った。

 つまり、四つん這いになった際どい格好の痴女の背中に、人の良さそうな紳士が座っている。

 トナカイは喜色満面の笑み。

 唇がよだれで濡れるぐらい嬉しそうな顔だ。


 誰だよこの女、と声に出すことさえできない圧倒的な異常性だった。

 サンタとトナカイなら、ソリはどこに行った。


「……………………んんんっ?」


そう言おうとしたときには、サンタの姿は消えていた。









 与太話としか言いようがなかった。

 すべてを語り終え、茜は一息ついてお茶をすすった。

 誰の趣味なのか、上質の茶葉を使っていて大変結構。

 茜の後輩である塚原ヒフミ青年は、職場のオフィスで死ぬほど嫌そうな顔をした。


「そのサンタクロースの真実を信じろと言われても……」

「でもさー、あたし、ちゃんとカメラ回して録音してたわけよ。つまり全部、本当のことなんだよねー」

「絶対、タネも仕掛けもあって、日本政府とかCIAとかの陰謀が絡んでますよ」

「その陰謀論ひどすぎない?」


 何でもない、と言うふうに強がる。

 結局、かなりの犠牲者が出たのは間違いない。

 この分ではクリスマスが消し飛んでお通夜になっている家庭も少なくあるまい、と思うぐらいには。

 しかしだからといって、それを気に病む茜ではない。

 そういう繊細さがある人間は、そもそもこの職場にいないのである。

 天井を眺める――遠い目。去り際、サンタクロースがこう言っていたのを思い出す。


――おぬしたちは皆、わしから見れば子供じゃよ。サンタクロースはのう、人間の辿り着いた進化の極致なのじゃから。


 あれが最後のサンタクロースとは思えない。

 もし自己申告通り、サンタクロースが何らかの超常能力を得て、時空を移動する人間だというのなら――これまで正史として語り継がれてきたサンタクロースの由来、実像も、本物かどうか保証がなくなる。

 嘘から出た真、サンタクロースという信仰が、ミュータントの超能力者によって真実となり、人類史にとって必要不可欠な存在となったのかもしれないのだから。

 いや、あるいは。茜が視聴した怪奇映画「サンタンゴ」自体、サンタクロースやクリスマスケーキの介入で生まれた映画なのかもしれない。

 本来はもっと、自然な題材のホラー映画だったのではないか。

 自分の生きている世界が、真実、サンタクロースに汚染されていない保証などない。

 もしかしたらサンタクロースもクリスマスも、本来は存在しない概念なのではないか。

 原因と結果は本当に、「クリスマスケーキからクリスマスケーキ型クリーチャーが生まれた」順番なのだろうか。


 その逆の可能性も否定できないのではないか。


 考えれば考えるほど得体のしれない恐怖があった。

 ともあれ、あのサンタクロースは未来永劫、クリスマスケーキと戦い、正体不明のマイクロビキニ痴女トナカイの背中に乗って移動している。

 あれが人類の進化した姿だとしたら――



「幼年期の終わりってやつかなァ、塚原くん絶対信じないけど」



 今度こそお通夜のような気持ちになって目を閉じた。

 絶対、あんな進化はしたくない。




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