18話:ミルメコレオ 後編



――皆に等しく、私たちの知恵と力を授けよう。




 女は言った。

 そして、取り返しの付かない犠牲者が生まれた。

 だから娘は、おのれの母を厭うのだ。









 ゆるやかに人の世界は衰える。

 国家の衰退、地域の隆盛のような構図は、幾度となく繰り返されてきた。

 その中に残る人の営み――人間が世代を超えて継承してきた知恵や技術、資産や負債があってこその歴史と言えよう。

 しかし今となっては、この前提自体に大きな欠陥がある。


 そう、たとえば人類連合の根拠地がその証明であろう。地球人類の手を何も借りず、いつの間にか建設された巨大文明圏。

 地球外知性体〈異形体〉と亜人種の都において、人間は先住民という立場であり、数以外の点で何一つその繁栄に寄与してこなかった。

 だからこそ、一部の人間は世界に対する破壊者になり果てる。

 よって立つ足場がないから、異種族の隣人を愛するか、拒絶するかの二者択一になってしまう。


 その弊害だろうか。


 空想の種族が住まう、異世界の物語ファンタジーは久しく作られていない。生々しい異種族の問題があり、どんなに頑張っても現実の影がまとわりつくせいだ。

 代わりに持てはやされるのは、二〇世紀より前、もっと言うなら二〇一二年以前の時代ものだ。

 人間しかいない世界、人間同士の戦争や貧困が絶望のすべてだった地球。


 それこそが、西暦二一三四年現在における絵空事ファンタジーだった。

 〈天狗〉の装着者は、その現状を『当たり前』として育った。

 複数の超人、異種族から抜き取られた生体部品の結合体。

 それが『空ヶ島の〈天狗〉』と呼ばれる都市伝説、類似品の存在しない装備に身を固めた戦闘者だ。


 白骨じみた仮面が前を向く。

 両足の接地部分の摩擦力を増大させ、足の指で掴むように大地を蹴った。

 あまり長距離の跳躍はしない。

 空中での姿勢制御の問題があるせいだ。

 生粋の有翼種ではなく、あくまで超人から抜き取った部品を利用しているに過ぎない〈天狗〉に、完全な空戦能力はない。

 直後、薄く雪の積もった駐車場を嵐のような銃撃の雨が襲う。

 丸みを帯びた装甲の有脚戦車、六本足の猛獣が放った機銃掃射だ。

 あまりにも〈天狗〉の動きが速いせいで、対人装備とおぼしき銃座の照準が間に合っていない。

 その事実を確認し追えると、〈天狗〉は仮面の下でつまらなそうに頷き一つ。

 敵は偏差射撃――着弾までのタイムラグを見越した先読み射撃――を用いてこなかった。


 浅い息。

 全身の筋肉に溜まった疲労が、乳酸ごと体内から除去される。

 彼の種族の特徴、究極の恒常性ホメオタシス――物理法則すら無視する超人的新陳代謝。

 軍用無人機に疲労がないように、超人にも体力的限界はない。


 敵の甘すぎる攻撃の数々から、〈天狗〉は既に勝機を見出していた。

 そもそも、第一世代亜人種を仮想敵としているなら、この機銃掃射はナンセンスである。

 重機関銃は殺傷力が高く使い勝手のいい銃器だが、超人を相手取るには不向きだ。

 現に先ほどから、〈天狗〉の結晶細胞のコートに弾かれ、何の有効打にもなっていない。


 有脚戦車は本来、都市部での立体的移動を前提とした兵器だ。

 従来の主力戦車とは異なり、地上の制圧ではなく、超人――機甲戦力に匹敵する歩兵――の掃討だけを主眼にしている。

 たとえは悪いが、ゴキブリを一網打尽にする殺虫剤のようなものだ。

 隠れ潜む厄介な生き物を、巣からあぶり出して仕留めるための道具。

 機体そのものは脅威だが、それを制御するOSないしAIは正規品ではないのだろう。

 ならば、やりようはある。


 ちらちらと降り積もる雪ごと、地面を蹴った。

 駆け足からの跳躍。

 思い切りよく、雷虎の懐へ飛び込む。半ば反射的に、雷虎が太い前足を振り下ろした。


 まるで鉄槌。

 しかし悲しいかな、〈天狗〉の立っていた路面を陥没させただけだ。

 すでに〈天狗〉は有脚戦車の眼前。

 人工筋肉で覆われた〈天狗〉の左手が、アスファルトに食い込んだ前足を掴む。

 これで左手は固定完了。


〈天狗〉は身をかがめ、全身の筋肉を跳躍に向け準備する。

 迎撃のため、雷虎前面の装甲がスライドした。銃眼が開く――その銃口に対し、コートの裾を変形させる。

 外套状の防御デバイスは、純度の高い結晶細胞の塊だ。

 ある程度の可塑性を備えたそれを、即席の武器にするのは難しくない。

 触手よろしく枝分かれしたコートの先端、その形状はまるで杭だった。

 触手部分の結晶細胞がうごめき、振り子のごとく杭を叩き込んだ。

 めきっ、と重い手応え。

 銃口がひしゃげると同時に、食い込んだ杭ごと触手をパージ。

 切り離した杭の部分に向け、新たな指令を送り込む。


――発熱。


 固定した左手を軸に、地面から飛び上がる。掌全体の摩擦係数を調整し、つるつると滑りよく回る肉体。

 ぐるりと半回転もせぬうちに左手を離した。

 〈天狗〉の躰が、放物線を描くように宙を舞う。


 刹那、目も眩む発光。

 まず雷虎の装甲が赤熱し、膨張して弾け飛んだ。熱量の塊になった結晶細胞が内部で炸裂したのである。

 夜闇に代わって、破滅的な光が周囲を覆う。

 やがて有脚戦車の砲塔が傾ぎ、カブトムシの角を思わせる砲身への通電が止まった。

 瞬時に数千度の熱量を叩き込まれ、無事で済む精密機械は存在しない。

 例外があるとすれば、それは異種起源テクノロジーの申し子のみ。


 そして、雷虎はその例外である。

 溶解し、半ば気化した機体前面部が音を立てて地面に落ちる。

 低温の外気に晒されながら、高温の液化した金属が路面に穴を開けた。

 足下で踏み潰された乗用車が、熱によって蕩けていく。発熱する無数の残骸に照らされながら、巨体はまだ生きていた。


 機体全面装甲および、一対の前足を切り離した手負いの虎だ。角張った鎧と逞しい前足をなくし、足は残り四本となってしまったが、

 その動きに損傷の影響は見受けられない。

 前足をなくした結果、オートバランサーが機能したせいだ。

 より肉食哺乳類に近い姿勢で、有機的な機動脚が地面を踏みしめる。


 その間にも、〈天狗〉は距離を取って着地。

 すぐさま駐車場を離れ、素早くマンション内部へ跳躍。

 無人戦車の対空火器が再起動するより早く、手近な窓を突き破り、二階へ逃げ込む。

 防御しきれない主砲のレールガンは潰した。

 これでビルごと砲撃される心配はなくなった。

 隠密行動ゆえの単独行動だったが、こうなってしまっては仕方がない。まだ生きている敵は、じきに都市の戦力が排除するだろう。

 撤退こそ最良の選択肢だった。


 人体探知の異能を行使――変質した脳がもたらす超知覚能力が、五感のそれに近い形へ変換される。

 少なくとも付近に人間の敵はいない。

 このマンションへの侵入時、狙撃してきた人員は無力化してあるが、念のための確認だった。

 内側から玄関のドアを開ける。ひやりと冷たい冬の空気。

 廊下を包む静寂せいじゃくこそ、この施設全体の異常の象徴であった。

 スーツの内側、生身の動きに先んじて、エクソスーツの人工筋肉が疾駆。


 適当な部屋のベランダから、外へ飛び降りる。

 ごうごうと燃え広がる火災の赤。月光すら通さぬ分厚い雲。ちらちらと降り積もる雪粒の群れ。

 空中で視界に収めた外界の景色に、違和感を感じた。

 暗闇の中、雪の積もった路面にぽっかり空いた空白。まるで重量物が透明になっているかのような凹み。


――これは。


 着地。

 瞬間的な判断だった。

 銃撃に備え、皮膜を展開したのが大きな隙となった。

 生まれた死角を突くかのごとき突進。

 歩兵用のライフル弾ならば易々と弾く防護皮膜を、紙切れのように切り裂く一撃。


 咄嗟とっさに身を引いた〈天狗〉の顔の真横を、黒鉄色の刃が通り過ぎる。

 放たれたのは、音速超過の刺突。

 びりびりと空気を振るわせる衝撃波。

 側頭部の『山羊の目』でその形状を確認、外皮表面の結晶細胞が、疑似生体としてセンサーの情報を五感にリンクさせる。

 やや内向きに湾曲した諸刃のブレードは、一見すれば鎌のように見受けられた。

 根元の間接が収縮、接触状態でこちらの首を切り落としに来る――敵の脚部を視認。

 ブレードを肘で跳ね上げながら、膝関節へ蹴りを叩き込む。


 手応えは不気味なほどなかった。

 骨の砕ける感触はおろか、肉を打った実感すらない。

 関節部分に詰まっているのは、ゴムのようにぶよぶよとした間接繊維。

 敵の姿勢が崩れると同時に、膝蹴りを追加。よろめく敵に構わず、〈天狗〉は飛びすさる。

 直後、彼の躰があった空間を死神に大鎌が薙いだ。

 距離を取って、敵をじっくりと視認する。


 それは手足ばかりが長い、四本腕の類人猿とでも言うべき異形であった。

 哺乳類とも節足動物とも付かない、前屈みになった歪な人型。その全身を覆うのは、優美な曲線を描く装甲。

 先ほど〈天狗〉を襲ったブレードは、肩の部分から生えた武装肢のようだった。

 横腹のあたりから、もう一対の腕が生えており、こちらは人の手に近い構造をしている。

 補助マニピュレータに日常的用途の腕を配していることから、戦闘用の肉体なのだと察せられた。


 光学迷彩の吸着フィルムで覆っていたようだが、先ほどの音速を超えた動きでフィルムが剥離し、雪に混じって地面へ落ちていく。

 この時点で、敵の正体は亜人であり得ない。

 究極の汎用デバイスたる結晶細胞は、その制御にさえ成功すれば何でもできる。用途に合わせた装備の使い分けは、人間の戦い方だった。

 そしてこれほどの性能と小型化に成功した無人機など、そうあるものではない。

 ならば答えは一つ。北日本居住区で自由に動きやすい、普通人に擬態できる存在。


――軍用サイボーグ。それもとびきりな悪趣味な代物だ。


 分子レベルで切断された皮膜の断面から、詳細な破損状態のレポート。エクソスーツ側の制御系から、攻撃の正体を推測。

 表面の結晶細胞へ制御コマンドを入力する。

 疑似生体としての機能を停止、より白兵戦に特化した鎧の形態へ変化。


 二対四個の仮面の眼球が敵を捉えた。

 後詰め、増援の様子はない。

 おそらくこいつが、先ほどグレネードを投げ込んできた敵だ。

 あえて撤退せず、こちらの逃げ道で待ち伏せとは。

 に落ちないが、同時に好都合であった。

 使い捨て同然の人間の襲撃者はいざ知らず、これほどの高価な義体なら、多少は情報が期待できそうだった。


 〈天狗〉は覚悟を決めた。

 敵サイボーグが、雪上を這うように走り始めた。


 応じる動きは、躰に染みついた白兵戦のそれ。

 対人技術としてのそれは、決して万能ではないが、相手が間接を持つなら条件は揃っている。

 超人の身体機能で繰り出すならば、同類を殺すに足るのだ。

 殺意の塊が、暗夜の闇を飛び跳ねた。


 直線ならば亜音速の速度に加え、常識外れのG耐性で、変幻自在の軌道を取ってくる。

 半ば逃げ回るような形で、〈天狗〉は交錯を避け雪上を駆けた。

 結晶細胞を使った慣性制御か、生身の脳の脆さを克服できる何かがあるのか。

 触れれば、こちらの外皮ごと肉体を切断できるブレードといい、やりにくい相手だった。


 逆を言えば、やりにくいだけだ。

 右手首の傍《》そばのエクソスーツ表皮へコマンド。コートのような状態で折りたたんでいた結晶細胞が、短剣のような刀身を形成する。

 まだ柔らかい雪を踏みしめ、速度を殺しながらの一閃。

 振り抜かれた敵の武装肢を、二本とも切り落とした。


『超常種への対策ができた義体なんて初めて見た』


 おのれの異能で察知できなかった敵への賞賛――嘲笑とも取れる言葉を投げかけ、返す刃で補助マニピュレータを両断。

 自爆でもされては困る。

 手足を失ってなお巨大な体へ飛びかかり、四本の手足で首に絡みついた。


『まるでロボットだ』

 

 すなわち組み討ち、中世の戦場で発達した、鎧武者を殺傷するための技術体系の末裔だ。

 このとき、敵が初めて口を開いた。滑らかな生体からの発声。


「貴様になにが……ぐぎっ」


 その喉笛に、装甲が変じた刃を抉り込む。

 ゴリゴリと鈍い音を立て、分厚い突起物で内蔵組織を引き千切った後、

 首から刃を抜く。

 ずぼっ、と開いた大穴。

 この程度ではサイボーグも止まるまい。


 だが、それでいい。

 〈天狗〉の目的は、サイボーグの破壊ではないのだから。

 エクソスーツの腰部――多機能ユニットであり、スーツの中枢と言うべき部位から武装を取り出す。

 一見、ナイフのような形状だが、樹脂状の素材でできている。


 右手で握ったそれを、敵の傷口へ差し込む。

 樹脂状の素材に封じ込められた、人工神経の触手を敵へ寄生させるためだ。

 その素材は、極めて人体に近い生体部品で作られている。

 そして〈天狗〉の異能――〈結線〉ならば、人に近い体組織から肉体そのものをハッキングできた。

 二秒後、断末魔の痙攣けいれんのような動きで、手足を失った類人猿が震えた。


『――わかるさ』


 時間にして五秒にも満たない記憶の覗き見だ。

 その胸やけしそうな密度に、〈天狗〉――その装着者、塚原ヒフミは口の端をつり上げた。









『福岡市で起きた爆発から二日が経ちました。政府はこれを核爆弾を積んだミサイルによるものと正式に――』

『爆心地付近での生存者は絶望的です。使用されたのは中国軍の核弾頭と見られ――』



――家族は骨も残さず蒸発したと言われた。



『重慶からの映像をお送りします。このカンガルーのような生き物は何ですか、木村さん?』

『おそらく人間でしょう。まあこれも、今となっては天罰と申しましょうか』



――すべてが狂っていると思った。



『九州地方が放射能で汚染されたと言うことですか?』

『……放射性物質の広がりについて、専門家の意見を伺いました』



――自分たちが何とかしなければならない。



 強い使命感だけが、熾火(おきび)のように胸中で燃え続けていた。

 せめて故郷だけでも守りたかった。

 地獄のような現在いまの中の例外でいて欲しかった。


 この追憶が真か、自分でもわからない。

 本当は当事者で居たくないと念じていただけではなかったか。

 現在のありようが、過去の記憶すべてをねじ曲げる。

 自分は確かに正義感に燃える人間だったと、他ならぬ今の感情が告げる。



『我が国が直面している困難は、人類史上、類を見ないものです。だからこそ、国民の皆さんは希望を捨てないでください。あなた方、一人一人の強い意志が、この国を救うのです』



――ありきたりの演説。



『この極限状況において、人権があらゆる国籍の人間に平等に与えられる、という前提の遂行は極めて困難です。』



――どんどん、大切な何かが抜け落ちていく放送。



「ここに集められた人種は社会不適合者であり、国のリソースによって養われる存在だ。我々は、この国難の最中にあって、諸君らを重用する。何故なら、如何なる心身の欠陥も、統一された規格へ再加工できるからだ。諸君らは今、人間であるという一点で、人類史上稀な価値を付与されている。社会保障の適用者である以上、この措置は何人も逃れ得ないものだ」



 正義感に満ちた宣告。

 何もかも犠牲にしたのだから、この身は正しいはずだった。

 決して消えることのない苦痛と悔恨が拡大していくとしても、いつか報われるはずだった。

 積み重なった死骸の高さの分だけ、その内側にいる生身の人間は守られているのだと信じられた。

 彼らが守る理想の国家は、いつまでもその純潔性を保つのだと使命に酔えた。


 能力や思考に差異がありすぎる人間を、一つの理想で束ね、優秀な形に改良するシステム。

 この素晴らしい仕組みが、海外へ輸出され、成果を上げているのも当然のこと。

 しかし、栄光は失われた。



――東京一号。



 二〇三五年、人類史上初めてのサイキック・ハザード。

 忌まわしい新人類に汚染された、人の血肉と都市の融合体。

 この未曾有みぞうの災害によって、日本の行政機能は一〇〇〇万人以上の人命諸共、消滅した。


 元より、世界規模の戦禍で衰えきった経済活動は完全に死に絶え、長い間、無秩序が蔓延る本当の地獄が始まった。

 人と人が殺し合い、弱者はなぶり殺しにされ、飢餓が蔓延した。

 侵入した神話主義者が猛威を振るっても、組織的抵抗すらおぼつかなかったのだ。

 内患も外敵も排除できぬまま、恐ろしい勢いで人口が減っていった。


 都市という都市はその命脈を絶たれ、ダムは破壊され、下流の街は残らず水浸しになった。

 原子力発電所は残らずテロの標的になり、その付近に住んでいたと言うだけでリンチにあう人々が続出した。

 一種の口減らしとして、それが黙認されていたのである。

 あらゆる正しさが創出され、同胞を殺す理由として使い回されていき――旧世界のすべてが血塗れのイデオロギーに堕していく。


 愛国心。

 宗教的情熱。

 科学的事実。

 家族愛。

 社会正義。

 国際貢献。

 人権思想。

 共生社会。


 そのいずれも、誰かが誰かを縛り首にする理由にしかならない、血塗れの営みだけが、人間世界のすべてになり果てた。

 如何なる正義も、如何なる希望も、死体を増やす口実になるだけの狂気だ。


――我らと彼ら。


 淘汰されるべき異物、愚かで、みにくい、滅ぼされるべき悪の言い換え。

 とどのつまり、排他によって保たれる紐帯だけがあった。

 〈蟻獅子〉もまた、その混沌を構成する一部品でしかなかった。

 強硬手段による弾圧という形でしか、秩序を保つ術がなかった。

 だがそれは、事態を好転させるものではない。


『もし身の回りで不審な外国人を見かけたら、すぐに×××までお電話をお願いします。治安維持局は皆さんの味方です』



――法の執行者として、大勢の人間を処理した。



『えん罪は発生し得ません。旧態然とした既存省庁から独立し、日本国民の生命と安全を守るため作られた組織だからです』



――本当のところ、もうすでに対象の来歴などどうでもよくなっていた。



『不穏分子は隣人のフリをしています。市民の皆さんの協力によって、平和な暮らしが守られます』


 彼らが奉仕すべき国民の基準に満たないものは、何者であれ人間以下の存在だ。

 そうして選別された人間の大半は、〈蟻獅子〉の収穫対象だった。

 生きた脳は貴重な資源だ。

 そこに宿る自我を、結晶細胞でできた演算機関へ移植すれば立派な同志が完成する。

 与えられた命題のまま、共同体にとって不要な人間を有益な存在へ加工する。

 だが心強い同志が増えても、状況が改善されることはなかった。



 その終わりのない悪夢を断ち切ったのは、〈異形体〉であり亜人種だった。

 彼らはあらゆる欠乏を国内から一掃した。

 破壊されたインフラは再生され、物資は行き渡り、秩序は再生された。

 失われたはずの知識や組織のノウハウすら、人の手に取り戻された。

 そこには平和があった。

 外敵など地上のどこにも存在しないかのようだった。

 そして何より、この成果に人間の関与はほとんどなかった。



 そして減りすぎた人口を補うかのように、第二世代亜人種が現れた。

 人間以上に美しく、免疫系と内臓機能が改良され、負傷してもすぐに治癒する亜人種たち。

 彼らが流入し、祖国は不可逆の変貌を遂げた。

 第二世代亜人種の登場がもたらしたのは、婚姻の革命であり、恋愛という概念の変質だ。

 もうどこにも、人間同士が愛し合う必然など存在しなかった。

 いつまでも古き良き時代を引きずり続け、その維持のために死体を積み上げた〈蟻獅子〉には受け入れられない光景。

 それは、人々が幸せそうだったこと。


 同じ種族が愛し合う、そんな当たり前の前提が覆された景色が、どうしようもなく救われていたのが許せなかった。

 あらゆる弱者は救済され、愚者はそれを補うほどの善意に生かされる。

 この秩序を害する外敵や内患は、強大な武力によって駆除され続けていた。、

 飴と鞭と呼ぶこともおこがましいほど、恩恵だけがあった。

 この地上で唯一の楽園に要求される対価は安い。




――多くの人間と亜人がつがいになる、たったそれだけの原則が守られればいいのだから。




 それに比べて、外の世界は救いがなさ過ぎた。

 異種共生という名の支配の外側では、変わらず人間が死に続けている。

 他ならぬ人間自身の手で、略奪、陵辱、虐殺が繰り返された。

 アスファルトに叩き付けられる赤子の頭。

 鉈で切り取られた少年少女の手足。

 胎児を引きずり出された妊婦の死に顔。


 二一世紀は破滅の時代だ。

 地球外知性体には無力な核兵器が、かつてなく濫用された。

 かつて虐げられた少数民族の末裔は、神話主義者からもたらされた兵器で『報復』に移ったのだ。

 圧制者の子孫が、灰も残さずに蒸発した。生き残りは限りなく死に近い状態で放置されたが、幸運なものはそのまま絶命出来た。

 そうではなかった生存者には、この世のものとは思えぬ責め苦が待っていた。


 主義者の亜人の手で無理矢理に延命され、瀕死の状態で見せ物にされるもの。

 皮膚が剥がれ、剥き出しになった神経が伝える苦痛を味わい続ける余生。

 腫瘍塗しゅようまみれの躰が腐り落ちるたび、病んだ肉を再生される責め苦。

 安物のスプラッタ映画のような娯楽として、数え切れない数の生命が弄ばれた。


 人智を越えた暴力が飛び交い、残虐な死だけが増え続ける暗黒時代。

 その暗闇の中、最悪の方法を行使してでも秩序を守ろうとしたのは、異形を隣人として迎えるためではなかった。



『……神系転写技術の適用と……文化統制によって…………国内の異文化摩擦は完全に解決され……我々は不当な差別を二度と繰り返すことなく、人類一丸となって亜人種と向き合うことが出来るのです』

『異なる種族を、永遠に断絶した敵として憎む時代は終わったのです』



 新政府のプロパガンダは、いっそ滑稽なほどに人間の誇りを見ていなかった。

 それに誰も反発の声を上げようとしないことに、笑いが止まらなかった。

 絶望はしない。


 たとえ一時代の狂気と断じられようと、彼ら自身の時計の針は止まったままだ。

 人間には耐えられないほど長い時間、秩序の維持を遂行するため調整された心身に、モチベーションの低下はあり得ない。

 だが、世の中の流れは残酷なまでに変わり身が早かった。

 代替わりで常識が刷新されるたび、義体化兵士の価値観とのズレが開いていった。


 最早、彼らの守りたかった祖国の『当たり前』など、そこに生きる人間自身によってうち捨てられた残骸でしかない。

 何者にもなれない怪物が、人間社会から排斥されるまで時間は要らなかった。

 とっくの昔にすべてが手遅れだった。

 〈蟻獅子〉は、今さら死ぬこともできない生ける屍だ。


 その闘争に終わりはない。

 まるで、飢えに苦しむ獅子ノ頭を持つ蟻ミルメコレオのように。

 獅子の頭が望む名誉は得られず、人ならぬ躰だけが残った畸形(きけい)の怪物。

 満たされぬ苦しみが続くなら、浮世の有象無象を喰らうことに何のためらいがあろうか。



――亜人の血が混ざった人間など、存在してはならない。



――異種に飼い慣らされた幸福など、許されてはならない。



 戦いのために思想を作り上げ、思想のために戦士を作り出すと決めた。

 それからはとても充実した毎日だった。

 選別すらないまま、心置きなく民間人を拉致する。

 誘拐した素材を解体し、改造する過程でデータを転写するたび、心強い同志が増えた。

 そうやっていくらでも義体化兵士――自身の再生産が出来ることに気付いたとき、彼らはようやく確信したのだ。

 国家でも人間でもなく、尊い理想にこそ奉仕すべきだったのだと。









 覗き見を終えた後、〈天狗〉はかなりの距離を移動した。今は市中に設けたセーフハウスの一つで待機している。

 戦利品のサイボーグを床に置き、エクソスーツは脱着済み。

 何せ、火災が発生し、無人戦車が暴れるマンションである。あのまま留まっていては拘束されるのがオチだった。

 超人災害対策官の権限でアクセスし確認した限りでは、すでに現場は封鎖されていた。

 上空からやってきた対地攻撃用無人機や、警備ドローンでいっぱいだという。

 UHMA超人災害対策部としては、嬉しくない大当たりだった。ろくでもない武装集団が、よりによって自分たちの目と鼻の先に潜んでいたのだ。

 その末端、敵サイボーグの記憶を反芻はんすうし、ヒフミは正直な感想をもらした。


「……哀れですよ」


 すべてが破綻している、どうしようもない狂気の産物。眼前のそれを、どう形容したものか。

 いささか語彙ごいに乏しい〈天狗〉――塚原ヒフミとしては、適切な表現がわからなかった。一つ言えるのは、笑いどころに困るブラックジョークに近いということだ。

 呪われた過去の魑魅魍魎ちみもうりょうと言えど、むげに殺しはしない。それが彼の方針だった。


 人工声帯を破壊され、生命維持以外の機能を凍結された義体は何も答えない。


 その肉体は、限りなく無人兵器に近い身体構造――異種起源テクノロジーの産物だった。全身の人工筋肉それ自体が、演算素子として機能する義体――結晶細胞を素材にした意識の器なのだ。

 超常種の人体汚染への抵抗性が高く、ヒフミの人体探知にも引っかからない。

 それが、義体化兵士の成れの果てだ。

 こうしてお目にかかるのは初めてだったが、以前、資料で読んだことのある超人犯罪者の一団であった。

 ACCF過激派のテロに、少なからず関与しているとされる武装集団だ。

 現実にどれほど裏切られようと、彼らの心は絶対に折れない。妥協も慈悲もなく、不都合な外界そのものを作り替えようとし続ける。

 そのための武力、そのための不死生――電脳化によって可能となった、究極の精神主義の権化だ。


 クリスマス前に面倒なタスクを終わらせたかっただけなのに、何故、ここまで陰惨な事情が目の前に広がるのだろう。

 浅く息を吐いた。溜息未満、呼吸以上の不満がにじむ仕草。

 そもそも今回の無茶な単独行動は、UHMAユーマの上司――管理官からの依頼であった。

 ヒフミの異能を警戒してか、直接顔を合わせたことのない相手だ。


 管理官から頼まれた仕事は二つ。

 一つは、不自然な状態の目立つマンションへの単独偵察。

 組織の助けを借りないのは、UHMAの人員を極力使わないことで、不自然な情報漏洩の経路を絞るためだ。

 発端は、秋の事件――導由峻を巡る胡散臭い一件だった。

 あのとき、神話主義者の襲撃に裏があったのは明白だ。導由峻の安全のため、ヒフミはこれを了承した。

 もう一つは、高い確率で〈天狗〉へ何らかのアクションを起こすであろう『敵』実働部隊の捕獲。

 第一世代亜人種ないし超常種を想定したものだったが、結果はこの通り。


 人間を素材にして、全身義体の生体部品に加工するサイボーグ集団。

 そんなものが、単独で運用出来るわけがない。

 つまり空ヶ島という多層都市に根を張った後援者がいる。

 その特定と分断を進めなければ、現時点での一網打尽は難しい。

 末端はいくらでも補充できるサイボーグ兵が相手なのだ。

 命令系統と生産設備を、支援者と一緒に潰す必要があった。

 無灯火のセーフハウスは、都市に潜む魑魅魍魎ちみもうりょうの住まう闇と同根に思えた。

 その殺風景な室内で、しばしの瞑目。


 すると持ち込んだ携帯端末が、外部からの通信を知らせてきた。

 UHMAユーマでも限られた人間しか知っていない端末だ。内部の基盤に結晶細胞を使用し、強力なEMP、放射線への耐性を備えた軍用端末である。

 装置を操作しよう立ち上がる――異変が起きた。手も触れないうちから、通話用のスピーカーが起動する。

 正常な状態なら、まずあり得ない挙動だった。

 ぞっとするよりも先に、こんなことができる人物を探る。


 新藤茜ではない。

 彼女はよくちょっかいを駆けてくるし、規格外の超常種――レベル3を冠した怪物だが、電子戦能力という点ではさほど脅威ではない。

 いつも使っている市販の端末ならいざ知らず、軍用に暗号化された通信回線を乗っ取れるはずはなかった。

 だから答え合わせは簡単だった。





『塚原さん。これが、あなたの言う当たり前の守り方なのですか?』





 聞き慣れた、山羊角の少女の声。

 つくづく心臓に悪い娘だ、と率直な感想を抱く。暗闇と相まってオカルトホラー並みの迫力があった。

 どうやら、言い逃れはできそうになかった。


「一山いくらのホラー映画みたいなサプライズ、ありがとう。ところで何の話です?」


 それでも、この状況が、天文学的確率の偶然であることを祈る。

 隠し事というのは、やましいことか、醜態か――いずれにせよ他人に見せたくないものと相場が決まっている。

 違法スレスレ、ないし非合法に近い工作活動は、何も今回が初めてではない。そういう『人に誇れない生き方』をしてきたから、ヒフミは由峻の好意から距離を取ってきたのだ。

 由峻のわがままに付き合って、デート紛いの行為をしていたのも、せめてもの隠れ蓑カモフラージュになればいいと思ったからだ。

 ヒフミは苦笑を浮かべる。

 一番知られたくない人物に、見られたくない場面を見られたらしい。



『――あなたがたった今、終えたばかりの秘密のお仕事についてです。今日の昼にでも、お時間をもらえますか?』



 無言のまま息を吐く。

 導由峻しるべ・ゆしゅんは異種起源テクノロジーの大本、シルシュの遺産を継承した亜人であり、〈異形体〉に干渉可能な唯一の超人だ。

 万能たる〈異形体〉は、その強大さゆえに外界に対して無関心だった。

 ヒフミの知る研究者に言わせれば、時間感覚が違いすぎて双方向性のコミュニケーションが難しいのだという。



――ではその力を、人間に近しい感覚の持ち主が、任意に振るえるとすれば?



 あらゆる物理現象を支配下に置く〈異形体〉を経由すれば、ほとんどの情報を容易に抜き取れるはずだ。

 塚原ヒフミはひどく冷徹な視線を宙に投げかける。

 今も〈異形体〉を通じ自分を見ているであろう、由峻と目線を合わせるために。

 カーテンの隙間から、外の景色へ視線を移す。

 見上げれば一面の雲。

 その雲海を貫く水晶の柱、世界最大の〈異形体〉は、下界のヒフミなど一顧だにせずそびえ立っているように思えた。

 大自然の一部と見まごう力と、人の文明を蹂躙する意思を備えた、絶対者に等しいもの。

 だがヒフミが感じるのは、恐怖でも絶望でもなく、静かな孤独だった。


 この地上に、異種起源テクノロジーの及ばぬ領域など存在しない。

 地球外知性体エイリアンの血肉と、人の知恵が合わさった異形の者達。

 亜人種も無人兵器も全身義体も、その成り立ちはまったく同じ存在だった。

 良かれ悪かれ、食物連鎖にも似た関わりが生じているのだ。生身の人間は、彼らとの関わりがなくては存続できない。


 その輪の外にいるのは、超常種ホモ・ペルフェクトゥスのみ。

 〈異形体〉との関わりを持たず、社会を必要としない生理機能を持つ超常種は、その有り様からして孤独だ。

 自ら望んで、外部に必要とされなければ、容易く自然災害同然の怪物へなり果てる。

 足下の怪物を――人から生まれた〈蟻獅子〉を見下ろす。

 こうならない保証がどこにあるのだろう。


 誰よりも何よりも、人外のおのれを信じていない男。


 それが塚原ヒフミだった。

 だから彼は、人間ごっこができればそれで満足だった。それ以上の、今よりマシな未来を夢見ることなど、十代のとき捨ててしまった。

 意図せずして数万人の命を奪った少女を、初めての恋人を、その手でくびり殺して。

 自分が見ている救いようのない景色など、消えてしまえばいいと思った。


 どれほどままならないとしても、ヒフミは人の営みが好きだ。

 だから超人がその力で世界を殴りつける、狂気のような振る舞いを反吐がでるほど憎んでいる。

 醒めた不信と隣り合わせの理想が、彼のすべてだった。


 祈りなく誇りなく、他者の振るう暴力を踏みにじる理不尽。

 ヒフミの人生は、彼の人格と乖離した異形異能に縛られている。だからこそ、由峻の傍若無人が理解出来ない。

 彼がアクサナとの日常で作り上げた割り切り、日常と非日常を切り離した生き方に反するからだ。

 ゆえに突き放すと決めた。


「残念だけど、僕への口出しなら聞けませんよ……こんな場所に、君まで踏み込んでくるな」


 独りよがりのエゴだった。自分の傍では、彼女は不幸になると思ったから、押しつけでもそうしたかった。

 だがそれは、少女が甘受してくれる類のロマンチズムではない。


『わたしがどういう人物か、あなたなりに把握しているのではありませんか。導由峻という亜人を、争いから遠ざけたかったというのなら、あなたの振る舞いは逆効果です』


 いっそ清々しいほど、むごい宣告だった。

 当事者から言われると、こうも腹が立つものかと新鮮な感動を覚える。

 半ばやけくそ気味に、丁寧語を取り払って口を開く。


「一体、君は何がしたいんだ?」


 たぶんヒフミは、問いかけを間違った。望みの結果を得たいのなら、ひとときでも会話の主導権を彼女に渡すべきではなかった。

 しかし、その様相は彼の最悪の予想とは食い違っていて――どこか喜劇めいている。

 塚原ヒフミは、自分の幸福と世界の平穏を天秤にかけ、前者を投げ捨てた。

 けれど、誰しもがその二者択一を行うわけではない。

 かつてヒフミが好きになった女の子は、彼が思うよりずっと強烈パワフルな生き物だからだ。




『――あなたの背負っている重荷と、わたしのささやかな望み。両方とも叶えるためのお茶会です。お互いに損はしないと断言できますが、如何でしょう?』




 たった今、さいは投げられた。

 導由峻しるべ・ゆしゅんにとって、一世一代の大勝負の幕開けだった。


 恋は千金より重い。


 場合によって地球の命運をも左右する。

 古来より乙女心とはそういうものだ。



 その質量を、塚原ヒフミはまだ知らない。



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