17話:ミルメコレオ 前編





――まどろみは救いに似ていた。




 いずこに神がいるのかと問われれば、万民がその権能を指さすことだろう。

 慢心まんしん退嬰たいえいもなく、虚空をたゆたう絶対者。

 あまりに強大で理不尽なそれが、気まぐれに腕を振りかざした――斜面を下る濁流だくりゅうのように、幾千もの星が瞬く銀河を掻き分けて。

 重力崩壊を起こした星の成れの果て、ブラックホールをものともせず、おのれの一部へと取り込む超物理現象のからだ

 物質に付きまとうこの宇宙での速度限界、光速など、彼にとっては何の意味もない。


 彼の精神、あるいは自我と呼ぶべきものは、ひどく安らかだった。それ自体は質量も熱量も持たない、不可侵の肉体ゆえの安寧あんねいである。

 だが、腕の軌道上にあった星々はそうはいかなかった。

 計測すること自体が馬鹿らしい斥力せきりょくの塊は、触れたものすべてを打ち砕き、虚無へ還元する。

 まず、比較的若い恒星系が犠牲になった。


 いわゆる木星型惑星、つまり巨大ガス惑星は跡形もなく消し飛び、その重力によって保たれていた星々の均衡きんこうが崩壊する。

 逆に、運悪く中途半端に粉砕された地球型惑星は、数千万の岩石のつぶてとなって方々へ飛び散った。

 さらに悪いことに、その質量を引き留めたはずの高重力は既に消え果てていた。


 通常ならあり得ない、隕石の雨が近隣へ降り注いだ。

 その隕石の雨をもろに浴び、クレーターだらけになった惑星が公転軌道を逸れていく。

 彼の腕が放つ斥力の影響で、天体の運行すら狂っているのだ。

 かくして、収拾不可能な天災となった破滅の嵐が、内部惑星をずたずたに食い荒らした。

 条件如何によっては生命が生じたかもしれない、わずかな可能性さえ潰えていく。

 その後も、同じような惨劇を無数に作り出し、彼の腕は目標へと近づいていた。


 やがて彼の指が到達したのは、星々の中でも一際見事な輝きを放つ恒星だった。

 無論、飛び抜けて巨大な熱核融合だったわけではない。彼が存在する座標から見て、まばゆい輝きだったから、興味を惹かれただけのこと。


 彼の腕の先端、指であり目であり耳であり、舌でもある部位が核融合を撫で回す。

 燃えるような輝きとて、間近で感じればつまらない熱核融合だ。

 恒星の放つ光を、どこかで特別視してしまうおのれの幼さに、思わず彼は笑った。

 その拍子に恒星をすり潰し、指の先端に口を開く。

 久方ぶりの捕食行為に心が躍っていた。

 熱核融合を続けてきた熱量塊が、断末魔の煌めきと共に虚無へ飲まれた。

 その身に蓄えた質量の大半、寿命を使い切らぬまま巨大な焔が熱を失う。

 その瞬間、彼を構成する細胞の一つ一つが安らぎを覚えた。太陽の似姿を喰らうときほど、心地よい刹那はない。




――彼はあらゆる信仰の到達者とうたつしゃであり、模倣者もほうしゃであり、簒奪者さんだつしゃであった。




 その生態は、常に収奪と共にあった。

 原型となった種族がそうであるように、外征と侵略を繰り返し、同胞へ満ち足りた幸福を振りまいた。


 数多の疾病があった。

 数えきれぬ飢餓があった。

 尽きぬ闘争があった。


 誰もが、満たされぬ肉の器の求めるまま、無秩序を増大させる。

 ゆえに、種族の病に対する抗体のごとく、彼は生まれた。

 だがしかし、彼はそのすべてを嘆き、また愛してもいた。

 そう、どれほど遠くへ来てしまっても、愛おしさは消えてくれない。


 彼は知性体の極点である。


 時間を陵辱りょうじょくし、空間を飛び越え、因果の順序すらも組み替えて――神のまなこが開かれる。

 星の光以外、塵一つ存在しない虚空でなお、彼と彼の細胞となった無限無数の魂は安らかだった。

 ここには、善悪の区別など意味がなかった。

 天国にして浄土、地獄にして黄泉、あるいは常若の国と呼ばれるもの。

 その慈悲深い眼差しは、決して人間には理解出来ない場所を見ていた。









 冬が来て、人が死ぬ。



 ちらちらと夜空を舞う雪は、べっとりと重く湿っていた。生身なら凍えるような氷点下。

 二一世紀に比べて平均気温は上がったものの、大気中の塵――エアロゾルの爆発的増加に伴い、この星の気候は不安定なままだ。

 安定した気候の維持すら、地球外からの侵略者の手を借りねばならない脆弱な営み。

 それが『彼』の守る日常であり、世界の姿である。


 天を貫き南洋へ通ずるアーチの麓、北日本居住区の都市『空ヶ島』の郊外。


 湿った雪が堆積した道路を、這うように低い姿勢で駆け抜ける影が一つ。

 ほとんど上体を揺らさぬために、ともすれば目の錯覚と誤認してしまいそうな奇怪な走法である。

 その姿形は、異形であった。

 ぬらぬらと有機的にはためくコートを着込み、一切の皮膚の露出をなくした異様な装い。やや長すぎる裾は、ともすれば歩行の邪魔になりかねず、どこか翼のようにも見える。

 人工筋肉で覆われた肢体は、それがマッスルスーツないし外骨格の一種であることを証明していた。

 『着る外骨格エクソスーツ』の一種だ。

 何より目を惹くのは、のっぺりと頭部全体を覆う白亜の仮面。

 両目と側頭部に二対四個の眼球が埋め込まれており、どこか人外の骸骨がいこつを思わせる――まるで山に住まう妖異幻怪の類。

 もし彼をマスメディアのカメラが捉えていたなら、こうテロップをつけたことだろう。



――空ヶ島の天狗、と。



 その〈天狗〉がふいと足を止め、頭上を見上げた。暗く淀んだ空に、角張った六階建てマンションが頭上にそびえ立っている。

 全部で三棟の建物が、駐車場を囲んでコの字型に並んでいた。郊外の物件と言うこともあり、自家用車ばかりだ。

 記録上、一年前に完成したばかりの真新しい建築物。時刻は既に午前〇時過ぎ、人気がないのも無理はない時間帯であった。

 少なくとも五感で知覚する限り、異常はなかった。しかしどうやら、〈天狗〉は異常を嗅ぎ取ったらしい。

 やがて彼は、ゆっくりと歩き始めた。


 コの字型の集合住宅に囲まれた、広い駐車場。そのど真ん中を横切る間、〈天狗〉は一度も顔を横に向けなかった。

 側頭部の眼球、横に長い『山羊の瞳』が側方を警戒しているからだ。

 駐車場の隅では、敷地整備用の人型ロボットが静かに除雪をしていた。電動除雪機が入らない、狭い隙間に積もった雪を掻きだしているのだ。

 雪にスコップを差し込む音以外、何一つとして音のない空間。

 正面にマンションの玄関口が見えてきた本来ならば、セキュリティを停止させてから乗り込むべきだった。


 ゆえに、〈天狗〉を襲った事態は必然である。

 怪人が通り過ぎた右手のマンション、その屋上から放たれた銃弾に発砲音はなかった。

 距離こそ近かったものの、銃口に取り付けられた消音器サイレンサーが機能していたせいだ。

 だが、結論から言えば、必殺の弾丸が〈天狗〉を貫くことはなかった。発射の瞬間、『何故か』射手の腕が強ばり、大きく銃口がぶれてしまったのである。


 思わぬ失態に驚きながらも、目出し帽の男――狙撃手は次の行動を開始。

 暗夜を見通す暗視ゴーグルをつけたまま、防寒シートをはね除け、狙撃銃の代わりに、銃身の短い自動小銃――カービン銃を手にとって立ち上がる。

 彼我の距離から言って、二回目はない。


 迅速じんそくに移動し、侵入者を制圧しなければならなかった。

 脇でポイントマンを務めていた仲間へ目を向ける。

 まったく動こうとしていない。

 どういうつもりだ、と狙撃手は苛立った。

 一度、位置を特定された狙撃手に未来はない。早く移動しなければ、と口を開こうとして、ようやく異常に気がついた。

 声が出ない。

 舌がもつれる。

 それどころか太股から下が動いてくれない。


 目出し帽のせいで、目元しか見えない仲間の顔も、恐怖で凍り付いていることだろう。

 すでに敵の攻撃を受けていたのだ。

 男達がそれを理解したときには、すべてが手遅れであった。

 とうとう腕の自由も利かなくなり、銃を取り落とし、身じろぎ一つ出来なくなる。



 その視界をおのれの異能で乗っ取り、タイミングを見計らっていた〈天狗〉が背後を振り返る。

 瞬間、その身が宙を飛んだ。六階建てマンションの屋上まで、ひとっ飛びで突っ込んだのである。

 人工筋肉の出力を考えても、到底あり得る現象ではない。

 男達の前に降り立った怪人の姿が、あまりに不可解な現象の答え合わせだった。

 鈍く輝く白銀の皮膜。

 コートのように見えていた素材は、紛れもなく亜人と同じ異形の体組織である。

 ときに膨大な熱を、電力を、斥力を生むエイリアンの体細胞――結晶細胞そのもの。


「亜人……」


 掠れた声でうめくポイントマンの男。

 〈天狗〉がその腹に蹴りを打ち込むと、言葉の代わりにげぇげぇと嘔吐し始めた。

 しばらく吐かせた後、生来の異能を行使した。

 二人の男の躰の運動中枢を乗っ取り、呼吸を止める。

 男達は陸上で溺れたも同然になり、〈天狗〉に指一本触れられぬまま失神。

 このとき三棟の建造物全体で、同様に意識を失う人間が続出していた。


 その数、九人。

 皆、戦闘員である。

 〈天狗〉の仕掛けた攻撃の範囲は、集合住宅全域に及んでいる。

 自らの異能により肉体を乗っ取り、呼吸を止め酸欠で意識を奪う。

 たったそれだけの行程で、人間の兵士を無力化できるのが彼の強みだった。


 とはいえ、それで仕事が済むほど状況は甘くなかった。

 気絶させた男の足下からカービン銃を拾う。

 五・五六ミリ弾を使用する、ありふれた銃器であった。

 手慣れた様子で銃を片手で構え、マンションの屋内へ通ずるドアへ手をかけた。

 思った通り、罠は仕掛けられていない。





 しばらく階段を下りた後、〈天狗〉はほとんど脇目もふらずに四階の一室を目指していた。

 元々、内部の見取り図を得ていたのか、足取りに迷いはない。

 内部に入って明らかになったのは、異様なまでに人気がないマンションの内情であった。否、生活臭の薄さと言うべきであろうか。

 敷地内に入って早々、銃撃を受けた時点で自明の理であったが、普通ではない。

 ちらちらと照明が付いているだけで、人の気配が全くないのである。

 各階層の階段とエレベータを繋ぐホールを一人、カービン銃を携えて横切る。


 目的地は、何の変哲もない、四階の中央付近に位置する部屋だった。ファミリー用の広々とした一室である。

 その玄関口の前には立たず、代わりにコートを構成する結晶細胞へコマンドを送信した。

 外套に擬態していた異種の体組織が変形。瞬時にその体積を増したコートの裾は、今や巨人の爪と言って相違ない形状であった。

 その『腕』を横なぎに振るう――戸口の横から、ドアの基部ごと壁をえぐり取る。〈天狗〉の反対方向に弾き飛ばされたドアが、鈍い爆発音と飛翔体をまき散らした。

 古典的トラップだ。人間の殺傷を目的とした爆発物は、爆発そのものよりも、その勢いで周囲に飛び散る破片での殺傷を主目的としている。

 あらかじめボールベアリングを仕込んでおくのもそのやり方の一つ。

 飛来したボールベアリング弾は、あえなくコート状の『腕』に叩き落とされ、〈天狗〉を傷つけるには至らない。





 急ごしらえの罠だった。

 おそらく最近になって放棄し、大急ぎで取り付けたのだ。

 そのまま、果断にも室内へ踏み込む。異常はますます明白になっていた。

 いくら都市部の集合住宅とはいえ、武装集団が陣取り、個室のドアが吹き飛ばされても誰も顔を出さないなどありえない。

 玄関からフローリングの床へ土足で上がる。電気の消された室内を、のっぺりした仮面の、正面一対の目が見通す。

 暗闇に対応した暗視の瞳。


 それはさしずめ、ある種の作業部屋であった。

 元々は居住に適した空間だったであろうリビング。

 その内部は丸ごと作り替えられ、肉を切り裂き骨を削るための道具が、台座の上に所狭しと並んでいる。

 大雑把な切断に使うものから、麻酔液の注入に用いる無針注射器、レーザーメスの類まで、密閉パッケージに詰め込まれていた。


 奇妙なほど清潔感に満ちた部屋であった。

 塵一つ落ちていない。

 最近までまめに掃除されていたのだろう。


 リビング奥には、カーテンで覆われた窓と個室に通じるドアが一つ。

 ダイニングキッチンの中央に鎮座する大型冷蔵庫が、いやがおうにも目を引いた。

 高さ二メートル、幅三メートルにもなる冷蔵庫。部屋自体は放棄されているのに、電源が落ちていないのも気にかかった。


 さては罠か、それとも。

 即決であった。〈天狗〉は迷う素振りもなく、ひと思いに冷蔵庫の扉を開けた。外骨格の皮膚センサーに低温の気体が感知される。

 氷点下の気温からして、冷凍保存用のスペースである。

 だが、もれ出した冷気以上に躰を凍り付かせる中身が、みっしりと詰まっていた。


 それはある意味、味気ない光景であった。

 まず人間の腕が見えた。

 手足を切除された胴体が、毛を剃られて詰め込まれていた。

 ピンク色の内臓や、二本ずつセットになった足が間接で折りたたまれている。

 半透明の密閉パッケージに充填されているのは、細胞破壊を防ぐための保存液。

 随分と丁寧に仕分けされていた。将来的に使用することも見越してか、加工日時や種類を書いたラベルが貼られている。



 このマンションの本来の住人が、どういう末路を辿ったのか想像するのは簡単だった。



 ずい、と顔を横に向ける。側頭部の『山羊の目』と生来の異能により、ほとんど死角のない〈天狗〉にも警戒心はある。

 派手に音を立てたというのに、未だ駆けつける人間がいない。

 先ほど無力化した民兵もどきしかいないのかもしれぬが、奇妙であった。

 冷凍庫の扉を閉め、躰ごとリビングに面したドアへ向き直る。

 もうこの部屋には用がないが、家具――というより手術道具か――の配置から、奥の部屋も使っていた可能性がある。


 ドアを開く。

 拍子抜けするほど、普通の部屋だった。

 会議にでも使っていたのか、いくつかの椅子と簡易テーブル、マジックボードが置きっぱなしだ。

 ふと、壁に目をやった。

 違和感。

 すぐ傍の壁を探り、電気のスイッチを入れる。

 柔らかな人工の光が差し込み、室内を照らし出す。一度、仮面に埋め込まれた眼球が瞬きして、瞳孔を収縮した。

 明るい光の下で見えたのは、縦横四〇センチ四方の浮き彫り細工レリーフだった。

 置き忘れたと言うより、あえて残されたのではないかと思わせる、奇妙な存在感。

 一見、獅子を象った紋章のようだが、その首から下は昆虫のそれだ。

 六本の節足、殻に覆われた細長い円筒形――蟻そのものの躰に、獅子の頭がくっついている。


 空想上の幻獣、キメラの類だろう。

 ただの装飾品にして悪趣味すぎた。

 ありうるとすれば組織の象徴、ということか。

 しかし国内の民族主義を掲げる過激派極右団体や、ACCFの関係組織のものではない。少なくとも〈天狗〉の記憶にはない紋章であった。



 外骨格に埋め込んだ記憶装置に、その細部まで保存。わざと残されたブラフにせよ、記録する価値はあった。

 そのとき〈天狗〉の五感が、接近する移動物体を捉えた。生身の肉体では感ぜられない、ほんのわずかな床の振動。

 開けっ放しのドアから、リビングを覗いても敵の姿は見えない。

 迷わず、コート状の結晶細胞の皮膜を展開。折りたたまれていた繊維状の細胞が、躰全体を包むマントのような形状へ伸びた。


 接近する飛来物――とっさにカービン銃をリビングへ投げ捨てる。炸裂。

 室内に熱波が吹き荒れた。瞬時に大気がプラズマ化し、伝播した熱に耐えきれずに壁紙や家具、床が燃え始める。金属とプラスチックで出来た銃器も例外ではなく、弾倉内部の銃弾が暴発、爆ぜながら構成部品が溶けた。

 用いられたのは、プラズマグレネードと呼ばれる焼夷弾の一種。

 鉄の融点を悠々と超えた灼熱地獄である。

 相手がただの人間だったなら即死は免れない。

 だが、〈天狗〉の『着る外骨格』はまさしく、このような状況から身を守るためにあった。

 熱を遮断した皮膜のベールが開く。ごうごうと燃えさかる室内から、玄関口に目線を移す。敵影はない。おそらく焼夷弾を投げ込んだ後、全速力で離脱したのだろう。

 部屋の出入り口から、廊下の両端までは遮蔽物が何もなかった。獲物が出てくるのを、待ち伏せしているだけでいい。

 敵は利口だ。そして火力もある。だが、こちらの目的は敵の殲滅ではない。


 外骨格内部の気温調節機能のおかげで、外部の熱は感じない。排熱のため酷使される結晶細胞が、限界を迎えるまでは。

 火災報知器がけたたましく鳴り響く中、高温で劣化した床を蹴った。


 窓の外、地上四階の高さへ身を投げ出すために。

 窓を突き破る――炎に照らされた夜闇。

 眼下の地上でうごめく巨大な影、その重厚な機影に戦慄する。

 コの字型のマンションに囲まれた駐車場に、巨大な異物が出現していた。

 重厚な装甲と火砲で武装した、殺意の塊。


 二九式有脚戦車〈雷虎〉。


 ユーラシア大陸の最前線において最強と名高い国家、南中華共和国の陸戦兵器である。

 雪の積もった駐車場に陣取った巨体は、それだけで破壊的である。何台もの自動車が潰れ、除雪中のロボットが弾き飛ばされていた。

 〈雷虎〉の背負う、カブトムシの角を思わせる砲塔が旋回。


 レールガン。

 電磁誘導により、大気がプラズマ化するほどの速度で砲弾を撃ち出す火砲だ。

 砲口の向いた先は、〈天狗〉が窓を突き破って脱出した部屋。

 瞬間、雪の積もった駐車場が、閃光に包まれた。


 地面の近くまで躰全体を殴られたような衝撃が襲う。

 続いて、聴覚がおかしくなりそうな空気の破裂音。

 砲弾の衝撃波のせいだ、とすぐに気づけた。以前にも経験があった。

 辛うじて保った平衡感覚で、地面へ降り立つ。

 着地の瞬間、結晶細胞の生み出す斥力場で無理矢理に減速する――生まれつきの肉体機能でないために、制御が甘い。


 しゃがみ込みたいような状態だったが、敵は待ってくれない。

 上体を起こし、無理矢理に立ち上がる。

 破滅的な砲声が鳴り響く中、マンション四階の一角には大穴が開いていた。文字通りの砲撃で、両隣の部屋諸共に吹き飛ばされたのである。

 証拠隠滅というわけか、と〈天狗〉が理解した刹那、金属が潰れる音が響いた。

 

 駐車場の自動車を踏み潰しながら、有脚戦車が方向転換。装甲とアクチュエーターの塊の動きながら、獣のように俊敏だった。

 接地している六本の機動脚は軟質、ぶよぶよとした肉の質感を持っており、一切、装甲をまとっていなかった。

 セルモーターの結合体が、文字通り目にも止まらぬ速さで、交互に足を繰り出す。

 その勢いは怒濤。大型バスほどもある無人兵器が、野生の猛獣のように荒々しく地面を跳ねた。


 自らへ迫る死そのものを見上げても、〈天狗〉に恐怖はなかった。


 あるいは仮面の下で笑っていたのかもしれない。神話主義者との消耗戦の中、少しでも多くの敵を殺し、同胞を守らんとする人間の意思。

 その具現たる無人兵器とて、所詮はただの道具だ。

 敵が人間であれ、超人であれ、彼にとってなすべきことなど何一つ変わらない。

 だがそれでも、人間にだけは期待してしまうロマンチズムがあった。

 〈雷虎〉が地面を粉砕する瞬間、四つ目の魔人は横っ飛びに回避。

 尋常ならざる速度で皮膜を展開、迎撃の機銃掃射を弾き飛ばし、外骨格の素材を変形させた。

 〈天狗〉の腰部、外套がいとうに隠れたふくらみから声が発せられる。



『不愉快だ、一気呵成に片付けてやる』



 奇しくもそれは、人間が作った超人殺しの機械と、人から生まれた超人の対峙であった。

 西暦二一三四年、一二月。

 日本列島に〈異形体〉が落下してから一二〇年の月日が経ってなお、争いは続いている。



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