15話:紅蓮の魔人




 薄暗い闇に包まれた屋内は、大きな獣のはらわたのように薄汚れていた。

 丸呑みされた獲物よろしく、ひぃひぃとあえぐ生者のそれは苦痛と絶望の色。


 そこは一棟の廃墟だった。

 ひび割れた窓、汚れた外壁。

 あの致命的な崩壊の時代〈ダウンフォール〉の後、おそらく二一世紀後半に建てられた工場だろう。

 広々とした敷地には、ほこりを被ったラインや、役立たずになった機械装置が規則的に並んでいる。

 熱で溶けたとおぼしき、不格好な機械の成れの果て。

 新東京の復興需要を目当てに作られたものの、治安の悪化にとどめを刺された類の廃墟だ。


 北関東では珍しくもないが、問題はあった。

 廃棄され久しい建造物の空気は悪いのだ。

 気分転換に深呼吸などと言う贅沢は許されないので、いっそ新鮮な空気を作ろうかと思い立った。

 呼吸に適した大気組成のレシピは、脳内のライブラリに保存済みだ。

 おのれの異能の使い道に思いをはせ、新藤茜しんどう・あかねは楽しげに微笑んだ。


 その笑顔に、目の前の椅子がガタガタと震える。

 安価なパイプ椅子に動力はついていない。

 そして笑顔に恐怖を感じるのは、大抵の場合、人間である。

 膝がすりむけた安物のジーンズに不釣り合いな、都市迷彩に対応した防弾ベスト。

 前者はともかく、防弾ベストの入手は容易なことではない。

 つまりは、男は普通ではない。

 結束バンドで家具に縛り付けられた、テログループの支援者。

 尤も、今では見る影もないが。

 先ほど、茜に無力化されるまで、いっぱしの名士を気取っていたとは思えない有様だ。


 それを間近で観察する茜は、戦闘員としては小柄だった。

 UHMAのロゴが眩しい、制帽の下には栗色の髪、ダークブルーの制服の上からでもわかる、突き出た胸。

 一五三センチの背丈に見合わない、豊満なふくらみだ。

 西洋人形のように精密な造形の顔と相まって、容姿に関しては並以上。

 着込んだ制服はコートに似ているが、それ自体に温度調整機能があり、夏でも冬でも問題ない。

 環境調整服と呼ばれる衣服の中でも、UHMAのものはデザインが優れていると茜は思う。


 そんな思考と共に、椅子に座った男の首筋へ手を伸ばす。

 指先でつまんだ、直径三センチほどのカプセルを見て、男が悲鳴を上げた。血走った瞳が涙をたたえ、鼻の頭に脂っぽい汗が垂れる。

 冬場の汗と脂が染みこんだ肌が、恐怖のあまり毛穴を開く。


「やめて、やめっ、ぎぃぎゃあああああ!」


 カプセルの両端が割れ、微細な糸がうねうねとうごめきながら男の頸椎へ殺到する。

 伸びた触手は皮膚を貫通、男は神経へ異物が接続される激痛に悶えた。

 拷問による自白の妥当性は、多くの場合、疑わしいものである。

 UHMAにおいて拷問とは、侵襲式デバイスによる情報の抜き取りを指す。

 こういうとき、対象の体内へ侵入するワームユニットは有能だ。

 脳神経へのバイパスを形成すると、自動的に、情報のデジタル化と吸い出しを始めてくれる。

 自白を強要するための苦痛を必要とせず、非常にスマートな手段とされるが、問題も多い。

 たとえば、脳がブラックボックス化している超常種の場合、神経組織をハックしようにも肉体の遡航再生が始まるし、そもそも重サイボーグ同然の第一世代亜人などに至っては、ホモ・サピエンスを基準にした浸透が上手くいかない。

 結果、もっぱら人間相手に使われるのが実情だった。

 非人道的という言葉は、いつだって人間のための祈りなのである。




 事を終えると、男のズボンをぐっしょりと汚す、小便と大便の悪臭が目立った。

 体内の通信機から本部へ連絡。護送車では到着が遅すぎるので、一人乗りの無人航空機オートプレーンを手配した。

 〈異形体〉による文明復興以後、自律端末機械をベースに開発された輸送ドローンの一種だ。

 文字通り自動操縦で制御されるため、意識を失った人間を詰め込むには都合がいい。


 ふと、聴覚に相当する増設センサーが接近する敵を感知。

 一人か。

 大気中の振動を感知した限り、周囲に敵影はこれだけ。

 工場周辺の地形を探査し、狙撃の可能性を除外。

 分厚いコンクリートのビルや、旧時代の名残であるバリケードのせいで直進する弾丸の通りは悪く、敵の装備からいって、精密誘導兵器による爆撃の可能性は低い。

 茜の肉体は、そのほとんどが生身の人間とかけ離れた代物だ。

 それが彼女自身の超常能力であり、人体改造の水準は、現代のサイボーグ技術の枠をはるかに超えている。


 正面の鉄扉は閉じられたままだ。

 敵の位置は近い。

 茜はためらうことなく、蹴りで扉を開門。

 腰と連動した流れるような右回し蹴り。円を描き繰り出される一撃だった。

 凄まじい轟音。

 そのまま廃工場から一歩踏み出した途端、向かって右の路地から激しい銃撃。全弾、プラズマの盾の前に蒸発。

 待ち伏せは脅威だが、火力も練度も足りないようではいい的だ。

 敵を視認する。

 まだ髭も生えていない十代も半ばであろう少年だった。

 薄い褐色の肌。

 その手に保持された自動小銃――銃器の多くがそうであるように、人間を殺すには十分すぎる。

 どこかの〈異形体〉が、解析ついでにばらまいた品だ。性能も価格も当時の最高峰とはいえ、所詮、人間の武器である。

 希少資源を湯水のように垂れ流し、その体細胞の一つ一つが、とびきり優秀な演算素子の来訪者にとっては駄菓子のようなもの。

 それが回り回って、日本国内の治安悪化に拍車をかけるのも、安いスナック菓子のような事象というわけだ。


 結論から言えば、彼を保護するメリットはなかった。

 小型のレーザー発信器を、掌の肉を突き破って形成。

 無造作に手首を返し、高出力レーザーを一閃した。

 腹から脳天までを両断され、炭化した断面を晒して敵が倒れ込んだ。

 熱された衣服が瞬時に燃え上がり、ちりちりと肢体の肌を焼き始める。

 黒こげの部分が、ひび割れて雑草だらけのアスファルトに彩りを添えていた。

 おそらく自発的なテロリストではない。

 怯えきった顔を見るに、脅されてきた人身売買の被害者という線もある。


 ACCF――反文明浄化戦線のやりそうな手口だった。


 人類と異種、〈異形体〉によって崩壊した文明世界。

 国際的テロ支援ネットワークである彼らは、この二二世紀の単純明快な構図に根ざし、成長してきた組織だ。

 人類の間で膨れあがった異種への恐怖、憎悪をまとめ上げ、わかりやすい暴力をぶちまける。

 あくまで支援組織であり、表だったテロに直接関わらないため、その実態は不可解きわまりない。

 資金源に関してはさらに不明瞭だ。噂だけは豊富で、ポピュラーなものだけでよりどりみどり。

 欧州のファシスト、北米の諜報機関、上海政府のタカ派、大陸の神話主義者、はたまた陰謀好きの賢角人。

 そのいずれも、如何にもありそうな話である。

 ひょっとしたら、そのすべてが真実なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。


 ぐいっと背伸び。


 襲撃者が死体になった今、人気は皆無。

 視界いっぱいに広がるのは、廃墟と雑草だらけのひび割れた道路。

 このゴーストタウンこそ、かつて宇都宮と呼ばれた都市の成れの果て。

 少し上を向けば、北の空から伸びるいくつもの筋を目に出来る。

 〈異形体〉の空中通路だ。

 朽ちた街並みを足下において、豊富な物資が行き交う天の道。


 二一世紀中に頻発したテロ、紛争、経済破綻によって、ほとんどの交通網は麻痺し、山間部の交通網は遮断されてきた。

 その空白を埋めるように〈異形体〉は人間社会を支え、さらなる衰退が起こった。

 空中を走る銀色の橋――〈異形体〉が伸ばした分岐枝は、植物の根のように本州各地へ繋がり、大量の物資と電力を供給している。

 乗っ取られた『北日本居住区』との境界線が近い手前、日本側も積極的に介入しない上、流通ルートからも外れていた。

 まず、陸路での輸送が死にかけているのだ。

 まともな住民は他の地域へ流出し、治安維持の必要性が薄くなったのも痛い。

 〈ダウンフォール〉という暗黒時代を経て、人口分布が歪になりすぎたことの弊害だった。


 だから北関東にはゴーストタウンが多い。

 北関東からの人口流出は、三本足の〈異形体〉到来に伴う北日本居住区の成立――青森を除く東北地方の『貸し出し』――によって激化した。

 現在でこそ、新東京に代表されるような繁栄があるものの、二一世紀前半にあった危機感は絶大だ。

 ユーラシア大陸に巣くう大小の〈異形体〉然り。

 明確な人類への攻撃性と、侵略的意図を持った地球外知性体の登場は世界を変えたのである。

 変えてしまった、というべきか。

 事実上、二〇世紀に築かれた世界秩序は完全に崩壊し、国家とその武力は、ことごとく食い荒らされた。

 二一世紀の原子力災害、中共崩壊、東アジア紛争、北九州への核攻撃、オキナワを焦土せしめた核の濫用、首都直下地震、内戦の勃発――この国の近辺だけでも目を覆うような有様だった。

 そして凄惨な出来事の連続すら、数十年にわたる破滅の幕開けに過ぎなかった。


 かくしてユーラシア大陸はこの世のものとは思えぬ変貌を遂げ、太平洋沿岸は水晶の如きアーチに支配された。

 人間は、自分の手では絶対に元通りに出来なくなった世界を嘆き、異種へ売り渡してしまったのである。

 その中にあってUHMAという組織は、必要悪の下請け機関だ。


 進藤茜は、その秩序の部品だった。

 苦痛と憎悪の荒野から、脆く弱い古き種族を守るべき仕組み。

 獣が首輪をつけるように、兵士が規律を守るように。

 己の存在意義を賭して、人類の庇護者たらんとせよ、と。

 それが、西暦二一三四年の地球において、新人類ホモ・ペルフェクトゥスを支配する本能だ。



 ホモ・サピエンスという種族全体の奴隷こそ、新人類の本質である。

 新藤茜がそれを自覚したのは、家族と友人をまとめて焼き殺したあとだった。

 そこに後悔はなかった。







 その日の朝食時、ヒフミは幸福であった。

 料理が美味かったから、ではない。

 常日頃、自分で飯を用意しておく凝り性で、料理の味は似通ってしまう。

 理由は単純だ――何かと危なっかしい同居人が、まともな料理を差し出して来たからである。

 大いなる進歩であった。

 アクサナが作ったオムレツは、へたくそだった。黄色よりも茶色の面積が多く、彩り豊かとは間違ってもいえない。

 十中八九、まともな暮らしが送れないといわれていた少女だ。それが今、当たり前のように家事に挑戦している。

 その日は、定期検診の日だった。どんな結果が出るかわからない、不安に怯えているのだと察せられた。

 アクサナ=アレクサンドロヴナ=ペトロヴァの境遇は類を見ない。

 頼れるものが多くない少女は、人並みの生意気で、人並み以上に孤独を恐れている。

 出された料理は、親愛の証というだけではない。

 心の支えと、現時逃避を兼ねた代物だ。

 それを子供らしいと取るか、家族のいない哀れさと取るか――塚原ヒフミは、その複雑な苦しみすら羨ましく思う。 

 見た目のよくないオムレツに箸をつけ、咀嚼する。


「うん、上出来です。上を目指すなら、卵に牛乳を少し混ぜた方がいいですね。バターはもう少し弱火で熱すると――」


 シェフのお通りだよ、と冷たい視線を浴びる朝だった。

 おおむね幸福な時間といえるだろう。

 半ば成り行きで引き取った娘だ。

 ヒフミは卑劣だから、少女の求める絶対的な庇護者にも、義務的な他人にもなりきれない。

 余計、素直に「料理の出来を見る」だけのふりをした。

 子供らしい日々を持てなかった彼は、自分のズレを知っている。

 これだけは、自分の手で行うべきだった。


 現在の仕事――重要人物「導由峻の警護」も、彼一人がつきっきりで管理する類ものではない。

 青年の属するセクション、超人災害対策部は巨大な権限と責任を持つ部署である。

 殉職率の高さと引き替えに、必要なものを必要だけつぎ込める。

 専門家の助けも借りて、自分なしでも回る警護体制を整え、緊急時の連絡や対処の仕方まで整えたのだ。

 あとでフォローしておく必要はあるだろうが、それはそれ。



 定期検診に使っている施設は、UHMA行きつけの立派な病院だった。

 一昨年、建て替えたばかりの建物は真新しく、医療スタッフにも活気がある。

 午前中は、検査が始まるまでずっと付き添っていた。

 生意気盛りのアクサナは終始、口では文句を言いながら、青年の指を強く握りしめていた。

 一二月も半ばを過ぎ、もうすぐクリスマスだ。

 北日本居住区には、〈ダウンフォール〉前の文化を模倣し尊ぶ余裕がある。

 出来ればこの娘には、人並みの暮らしを送って欲しいと強く思う。

 楽しいイベントの前に、面倒ごとをあらかた片付けてしまいたかった。

 たぶん青年にとって、地に足ついた日々はこちら側なのだ。

 外部へ赴いての任務が来ない分、しばらくは平和だろうと予期して。

 勿論、そんなことはなかった。



 気分転換のため一旦、病院の外へ出たヒフミを待っていたのは、一通の電子メールだった。

 端末の画面に移る、そっけない日本語のテキスト。


『公園の傍の木立まで来て貰えるかな。物騒なことはしたくない』


 その文体と、通知してきた人間の名前に怖気が走る。

 誇張でも何でもなく、ヒフミを動かすため、病院へ爆撃をしかけるぐらいはやりかねない人物。

 あえて、急ぎすぎずに歩き始めた。目立たない程度の、少し人より速いぐらいの歩幅。

 精一杯の自制心だった。


 病院の中庭に設けられた歩道には、リハビリや気分転換に勤しむ人々が見受けられた。

 多種多様な容姿の人々が、各々の日常を生きていた。

 アジア系は言うに及ばず、白人や黒人もそこそこいたし、亜人もそれに負けないぐらい混じっている。

 角があるもの、獣のような四肢のもの、翼があるもの。

 特徴によっては目立つが、そこに奇異の視線はない。

 ありふれているからだ。

 脳天気に笑う人もいれば、顔をしかめて、苦痛に耐えている人間もいる。

 共通しているのは、剥き出しの殺意など予測していない普通の人々であること。

 ここを地獄にしたくはなかった。

 その原因が、自分の同僚だという事実に不快感を覚える。


 焦らないよう目的地へ近づき、たどり着いたときには三分ほど時間が経っていた。

 指定された場所は、広葉樹が中心のよく整理された林である。

 木々が密集しすぎないよう、定期的に手入れされている証拠だ。

 素っ気ない、グレーのジャケットを着て、周囲を見回す。

 あの文面から察するに、茜はこちらと直接会うつもりだ。

 人体探知能力を行使――ヒフミのすぐ傍にいた。

 異物の大まかな位置が、五感に対応した気配として入力される。

 覚えがありすぎる濃密な死の質量。

 ふんわりと香る化粧水からは甘い匂いがしたが、焼けた人肉や、燃えた化学繊維の異臭が染みついている。

 一五三センチの小柄な女が、地表から一〇メートルほどの高さに浮いている。

 目視では確認できなかった――人間の形をしているだけの、膨大なエネルギーの塊。

 でたらめな怪物は、光学迷彩を使っている。


「そう、こっちこっち」


 青年の目線に気付き、悪びれた様子もなく姿を現す茜。

 そのまま、高度を下げて地面へ足をつけ、にへらと笑う。

 下半身に穿いているのはズボン。

 薄いブルーの布地越しに、筋肉の詰まったむっちりした太ももが見て取れる。

 皮膚の質感まで本物の人体そっくりに違いない。

 彼女は、動きやすそうなUHMAの制服姿だった。

 小柄すぎるものの、ダークブルーの制服を盛り上げる胸のふくらみが、その女性らしさを強く主張している。

 ヒフミが口を開くよりも早く、茜から本題を切り出した。


「早速で悪いんだけど――導由峻の護衛、理由をつけて辞退してくれないかな」







 新藤茜は、創造型タイプ・クリエイターと分類される超常種――それ単体では脅威たりえないサイキックだ。

 回避不能の人体操作や、念動力じみた超常現象を出力できるわけではない。

 だが茜ほどの技量に達したそれは、手のつけられない怪物となる。

 超常種は、肉体の姿形を元通りにしようとする働き――遡航再生のためインプラントの恩恵にあずかれない。

 しかし創造型の場合、自分自身の肉体のありようを再定義し、無限に能力を拡張することができた。

 自己定義の書き換え。

 それが創造型サイキックの恐るべき異能だ。

 内蔵するフレームや人工臓器を、すべて自身の手で設計し、元の肉体と置換していった彼女に不可能はない。

 ましてや、レベル3の超常種ともなれば、活動に必要な水分、カロリー、ビタミン、ミネラルのすべてを生成し補ってしまえる。

 拡張した肉体に必要な電力や、排熱の仕組みも例外ではない。

 生理機能の自己完結。それは彼女らを、人間から逸脱した怪物へ変える呪いだ。

 この特性が存在する根源的理由――超常能力の出力機能も増大され、人格はそれを基準に作り替えられていく。

 ゆえにレベル3に到達した超常種は、多くの場合、人間であることすら放棄してしまう。

 それも、社会不適合者や超人犯罪者のような生易しい形ではない。

 重ねて言おう。茜にとって、超常種は新たな人類の姿などではない。



――万能の神たり得る異能を授けられ、一人きりで閉じた生態系せかいそのものだ。



 瞠目どうもくするヒフミを見下ろし、栗毛を揺らして笑いかける。

 青年の顔色が変わった。

 彼女の周囲に発生した、発光する膜のようなものを目にしたからだ。

 白熱する光の本流から目を背け、腕で顔を庇うヒフミ。

 伊達眼鏡の奥で、瞳を覆う防護レイヤーが遮光を開始しかけたが、すぐに通常モードへ復帰。

 茜が意図的に光を遮断したのである。

 木立に隠れて、外部からはうかがいしれない程度の光量だった。


 熱放射と電磁波の漏洩を最小限に抑えているものの、その禍々しい光の正体は一目瞭然。

 熱量障壁。

 超高温のプラズマ流を張り巡らせたそれは、運動エネルギーや化学エネルギーを利用した攻撃に対し、無敵の盾となりうる。

 対処法はある。

 防壁内部を循環する莫大なエネルギーの流れに打ち勝ち、貫通できるほどのエネルギーを一点突破させればいい。

 そう、原理的には攻略可能だ。

 だがそれを、スイッチナイフほどの気安さで携帯できるのが問題だった。

 超常種の持つ最大の武器は、場所と時間を選ばない展開能力である。

 肉体的には人間並みのヒフミが持ち歩ける銃器など、何の役にも立たない。


「この距離で〈結線〉を使えば、暴発で塚原くんも病院もただではすまない」


 常軌を逸した脅迫だった。

 一般人を巻き込みかねない状況に、ヒフミは不快そうに眉をひそめる。


「正気ですか」

「まともに躰の乗っ取りへ対策を立てるとね、もっとひどい被害が出る。あなたを信頼した結果ともいうかな。今のままなら、病院の機械には影響ないよ。〈ダウンフォール〉後の施設は、核シェルター並みに頑丈じゃないと話にならないもの」


 市民への被害を最優先で考えたヒフミと、目的だけを優先した茜の損得勘定は別物だ。

 だが巻き添えで被害を出せば、茜自身もただではすまない。

 UHMAは手段を選ばない組織だが、構成員の暴走を何より嫌う。

 ヒフミの思考を先回りして、彼女は無邪気に笑った。


「少なくとも目的を果たせば、あたしはお咎めなしで落ち着くだろうね。多少のペナルティは呑む覚悟だけどさ」

「どんな厄ネタを掴んだんですか。あなたが、一月前にわかりきっていたことで動くわけがない」

「話が早くて助かるよ。でもハズレ。あたしが情報を掴んだというより、情勢の方が動いちゃったわけ」


 そうやって茜は、無邪気に口を開く。


「〈異形体〉の力を自由に使える娘と、人間を操れる超常種が結びついたら、どんな馬鹿だって不味いと思うよ。こうしている間も、彼女は賢角人のコミュニティを伝って、影響力を行使している。異種起源テクノロジーの軍事利用を促進できて、〈異形体〉の意思決定にすら参加できる亜人だもの。劇物に劇物混ぜ合わせたようなものよ、動じない方がどうかしてる」


 賢角人はその角を通じて、独自の情報通信ネットワークを確立している。

 一種の仮想現実とすらいえる領域で、電磁波ではない媒介――諸説あるが、そのほとんどがオカルト同然――のため遮断も困難である。

 通信そのものの制限が困難である以上、現実の彼女を拘束して「口先だけの存在」に貶めるのが一番、楽な方法だった。


「塚原くんは誰の弟子かな? 亜人の有力者、イオナ=イノウエが背後にいる。そう考える連中が尻込みして、導由峻しるべ・ゆしゅんに手出しできない。情勢が落ち着くまで、あの子には悪いけど軟禁状態にでもしておけばいいんだよ」


 由峻の存在は、本人の能力以上に危険だ。

 人類連合を動かしている集団を、否応なく変質させかねない。

 そうなればいずれ、太平洋を挟んで経済交流、技術交流を続ける北米も態度を変える。

 通常兵器の質と量、戦略兵器に対する備え――そのいずれでも、北米は人類連合に劣っているからだ。

 あまたの大国の崩壊を足場堅めに利用し尽くし、太平洋沿岸全域を飲み込んだ侵略者。


 人類連合とはそういう組織だ。

 その運営方針が太平洋地域での利権拡大に向けられず、あくまで内政に傾けられていたから、北米との関係は成り立っていた。

 それが一度、外部へ転じたなら――独立国として、人類最後の大国として、警戒しない方がどうかしている。

 つまりは、穏やかな統治を是とする人類連合にとって望ましくない状況だ。


 支配でも搾取でもなく、人類という危険物の管理だけを目的とした拡大。

 二〇三五年の東京壊滅をはじめ、世界中の都市を壊滅状態へ追いやったサイキック・ハザード。

 その爪痕は一〇〇年近く経った今でも、人間社会へ暗い影を落とし続けていた。


「塚原くんと導由峻をセットにして扱いたい急進派と、そんなものはほっぽり出して、これまで通りを続けたい保守派。御上うえも一枚岩じゃないってわけね。あたしとしては、連合内部でこういう対立が続くのは好ましくない……わかってくれないかな?」


 今朝、ACCFの工作員から抜き取った情報は伏せておく。

 裏付けを取っていない、というのも理由だが、何よりイオナ=イノウエや導由峻のような賢角人の耳に入る可能性があるからだ。

 独自の情報網を持ち、知識・経験の貸し借りを行う異形の亜人たちは、人類連合やUHMAに対しても強い影響力を持っている。

 茜のような独立独歩の超常種の場合、いくら警戒しても足りることはない。


 それまで口数少なかったヒフミが、意を決したように口を開く。

 両腕はだらりと下げたままで、緊張感の欠片もない姿勢だった。

 だがその脱力こそ危険な兆候である。

 ある種の身体操作技術において、無駄に力を込めすぎない呼吸、筋肉の使い方は基本であり、ヒフミの現状はいつでも戦闘に取りかかれる姿勢と同義だ。

 つまり、交渉決裂も辞さない構え。


「相当、口べたですよね。意外と可愛らしいところもあるじゃないですか」


 思わず茜はあっけにとられた。

 挑発じみた台詞だが、そこに侮蔑の意はなく、本気で感心しているような節がある。

 気でも狂ったのかと思いかけたものの、続く言葉に思い直した。


「たしかに僕を脅すなら、ここは最高の立地です。ですが新藤対策官、その前提を崩すなら話は別だ」


 勝ちのハードルを切り下げてしまえば、茜とヒフミの間に優位性はなくなる。

 ヒフミの言葉は楽しげな響きを帯びている。不快感を表すときの彼の癖。


「この至近距離だ。あなたの脳を自壊に追い込むのは難しくない」


 思わず、茜は笑った。

 おのれの間抜けさを嘲っていた。

 高密度のエネルギーを出力し、精密操作している関係上、茜の肉体は高度な操作システムの塊だ。

 たとえ一瞬でも、そのコントロールを乱すことが出来れば、恐ろしい暴走が起きるだろう。

 その立て直しに苦慮している間に、ヒフミは次の一撃を加えることが出来るのだ。

 戦術的優位を覆す超人を封じ込められる切り札。

 こちらがどれだけ強力でも、そこにいるだけで行動を制限できる。

 直接的な戦力としてさほどでもないが、塚原ヒフミの恐るべき点はそこにあった。


 現実に白兵戦に持ち込まれても、茜の優位は動かない。

 全身に加えられた人体改造の成果――肉体強度、筋力、反射速度のすべてにおいて勝っている。

 だが、そのカードは実際の殺し合いに移らなければ意味がない。

 塚原ヒフミが行っているのは、恫喝の無効化だ。

 脳が吹き飛んでも肉体再生できる例外的存在。

 ヒフミは自身の特性を考慮に入れて、こちらとの対立を覚悟している。

 ここでヒフミを負傷させたところで、今の茜には何の意味もない。

 否、むしろ情勢を悪化させるだろう。


 この不器用な後輩を、明らかな危険人物と切り離せなければ意味がない。


 だが、そもそもヒフミへ「由峻と縁を切れ」と迫ること自体、悪手だ。

 自発的に身を引かせなければ、意味がないと知らせるようなものだった。

 茜はその巨大な暴力に人格を飲み込まれた生き物だ。

 ギリギリの一線で粘る交渉など、考慮したことがない。

 じりじりとした焦燥があった。

 はたと気付いたときには、小型の飛行物体が視界の隅に映っていた。

 直径三〇センチほどの円盤が、音もなく浮いている。


「――時間切れか」


 異常を感知して、観測ドローンが集まってきたのだ。

 絶えず都市上空を旋回する端末機械たちは、人類連合の保安部や環境整備局の所有物だ。

 〈異形体〉の体細胞は、それ自体が高度な観測機器だが、見知った情報すべてを開示するわけではない。

 古代の神託オラクルよろしく、必要なとき、人類連合の理事会やエージェントを通じて指示を出す。

 つまりドローンが収集する情報はあくまで、人間や亜人が利用するためのものだ。


 茜の恫喝は既に無効化されたも同然だった。

 事後なら正当化できる行為も、事前に見逃して貰えるとは限らない。


「〈結線〉で誰かを操って、保安部に通報させたんだね? 不得手なことはするもんじゃないよ」

「平和的解決です。矛を収めてください。こうなったらお互い、本意じゃないでしょう」


 熱量防壁を解除すると、あたりに濃いイオン臭が立ちこめる。

 直前までプラズマ化していた大気が、瞬時に冷却されていた。

 化け物じみた力を前に、ヒフミの表情は動じない。

 内心はどうあれ、それを顔に出さない胆力は大したものだった。

 自分一人のときは狼狽えるくせに、他人の命が関わるとすぐこうなる。

 茜から見ても、危なっかしい後輩だった。


「……いいよ。致命的なそのときが来るまで、この問題は棚上げ。でもね、塚原くん。あなたが守ろうとしている女の子は、可哀相な犠牲者なんかじゃない。危険だよ、神話主義者や民族主義のテロリストよりもね」


 その忠告は嫌みでも何でもなく、彼女の本心だった。

 ロマンチストの気がある青年は、狡猾な亜人たちによってその情念を利用されている。

 生き物として尺度が違う、異種を人間のように守りたがるヒフミが哀れだった。


 茜の知る限り、そこに救いはない。


 人懐っこく育てられた獅子は、家族にじゃれついただけなのに、彼らを深く傷つけてしまう。

 その気がなくとも、大きな爪や牙、全身の筋肉の量が違いすぎるのだ。

 人間と猛獣の間に横たわる、生き物としての尺度の差異がもたらす悲劇である。

 たとえ人の形をしていようと、人間と異種の間にある絶対的な差異も同じだった。

 人に害をなした猛獣は、いずれ、殺処分される。

 この構図は変わらない。

 たまたま狩人と猛獣が同じ種族になっただけで、超人対策部の行う異種間調停の本質はそれと大差ない。

 ヒフミと茜はそういう意味で、経験を共有していた。

 ある日、あるとき、人に害をなすからと、親しい仲の同胞を手にかけた化け物だ。


 いつか、同じことを繰り返すかもしれない。


 それでも茜は、自分のありように誇りを持っている。

 その感情すら、得体の知れない肉体に用意されたものだとしても構わない。

 強烈な自我を満たす、唯一の矜持だった。

 武力や疑念を捨てたところで、楽園がやってくることはない。

 貧困や飢餓に苛まれたとき、人間は容易く蛮行を働く。

 なればこそ、より多くの人々を満たす仕組み、人類連合の敷く秩序は守る価値があった。


 案の定、ヒフミは茜の言葉に反論した。

 苛烈な制圧を是とする茜に比べれば、ヒフミのやり口は生ぬるい。

 当然、人間社会を脅かしかねない異種への価値観も違うのだろう。


「ギリギリの一線までは、どんな命だろうと尊重しますよ。踏み外すそのときまでは、この手で守ります。僕は顔も知らないより多くの誰かじゃなくて、自分の生きる世界のために戦っているつもりです」


 いっそ清々しいほど胡散臭い笑みさえなければ、さわやかな台詞だった。

 茜はそういう彼が嫌いではない。

 あまりにも人間くさい彼の本音に笑みがこぼれる。

 本当の極限状況では、誰よりも献身的に戦うくせに、奇妙なほど人間に近しい価値観を捨てきれない男。

 塚原ヒフミという青年は、茜にとって未知であった。


「噛み合わないね。そういう甘いところ、嫌いじゃないけどさ」


 自分は所詮、化生の類。身のうちからわき上がる確信に突き動かされ、父も母も友達も焼き殺した人でなしだ。

 そこには後悔も反省もなく、為すべき事を為した充実感しかない。

 だから、後悔を引きずり続ける塚原ヒフミは面白かった。

 超常種という存在が、その人の身に余る力を携え、どこまで『人間らしく』生きられるのか。

 茜自身は見ようと思っても見られない夢物語だから、かえって、眼前のロマンチストを嫌いになれない。


「ところでそういうの、女の子にとってはね」


 しかしながら、はっきり言っておかねばならないこともあった。




「――いい人止まりになるタイプだと思うんだ」




「やめてください、泣きますよ」


 死ぬほど嫌そうな顔で、塚原ヒフミは眉をしかめた。


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