16.あの子の計画
「もしもし、どうしたの?
「ああ、そう。こっちは時間通り着きそうだけど、どこか駅の近くのカフェで待ってようか?
「でも、かなり人が多いらしいし現地で会うのは時間かかると思うけど。
「りょうかい。着いたらまた電話して。はい、じゃあね。
ターミナル駅と田舎の無人駅を足して2で割ったような駅の前は人でごった返していた。
あたりを見回しても、高層ビルがあるわけでもない。
せいぜいコンビニや寂れた中華料理屋があるだけだ。
喧騒は場違いな息苦しさを感じさせながら、湿った風が僕のシャツを揺らした。
「
夕方を迎えなおさら蒸し暑くなった駅の改札口で、少しだけ汗ばんだ横顔が苦笑いにも似た表情に変わった。
「あっちの電車って事故多いね。この間も止まってたし」
「もうちょっとだけ時間かかるらしいからあそこの店で待ってようか」
こうして立ち止まってるだけでも人の流れは途切れることなく、時折体がぶつかっては舌打ちを浴びる。
波に流されながら、ときには抗いながら、全国チェーンのカフェにたどり着いたころには
「この格好で店のなかに入るって緊張する……」
「そんな気にすることでもないよ。ほかにもいるみたいだし」
艶やかな浴衣姿でありながら、生クリームが山のように盛られた甘ったるそうなラテを嬉々として味わっているカップルを見て、僕は何かに対抗するようにオーソドックスなココアを頼んだ。
京華さんはというと、つい最近新しく発売されたなんたらリンゴのなんとかフラペチーノを注文したらしい。
流行に疎い僕のさらに百歩先を行くひとだ。
窓際のテーブル席に腰を下ろし、使い古した安物の腕時計を見た。
午後六時を少し回り、遠くの空は灰色に染まっている。
「京華さんって意外とそういうの飲むんだね」
プラスチック越しにアイスココアの微かな冷たさを感じ、少しずつ体の熱が下がっていく。
『飲む』と形容すべきか、『食べる』が相応しいのか分からなくなるほどの質量をもったそれをすすりながら、白地に赤い椿のような花柄が入った浴衣姿の彼女が驚いた顔で僕を見た。
「ワタシだって甘いものくらい食べるよ。この店の新作は毎回発売したその日に買うようにしてるし。
「嫌いとは言わないけど、あまり甘すぎるものは敬遠しちゃうかな」
ふうん、と、僕の答えごと飲み込んだように見えた。
「流行りものが好きなんだねえ」
「別に流行りものが好きなわけじゃなくて、ワタシの好きなものが時代のトレンドになるの。……うん、今月の新作もおいしい」
ついこのあいだ夏休みが始まったと思ったら、いつのまにか九月まで秒読み段階に入っていた。
きっと今日の花火が今夏の最初で最後のビッグイベントになるだろう。
夏休みに合宿があっただの、予備校の教師がやけに厳しかっただの、他愛もない会話をしていたのも束の間、僕のスマートフォンが小刻みに震える。
美咲さんからだ。
「もしもし、ああ、着いた?……じゃあ、改札の向こうで待ってるから」
そう伝えて、真上にあった壁掛け時計に目をやる。
午後六時四十分。打ち上げの時間には間に合いそうだ。
「ごめんね、ふたりに迷惑かけちゃって」
紺色の布地にひっそりと桜が咲いていた。
「すっごーい、制服姿の美咲ちゃんも大人っぽいけど、浴衣を着てる美咲ちゃんってなんかこうエ、……色っぽいね」
美咲さんの謝りを聞こうともせず、京華さんは思春期の中学生のような目をしている。
隣にいた僕は、いまいやらしいこと考えてたでしょ、なんて言えるわけがなかった。
確かにいつも学校で見るような姿とは違って、いかにも妄想の産物ですと言わんばかりの美しさだ。
濃紺に桜模様の浴衣はいくらするのか分からない代物に見えるし、肩まで伸びた絹のような黒髪は黄昏時と相まって怪しく艶めいている。
直視していると、自然と頬が赤く染まっていく。
もちろんこの場合、染まったのは僕の頬だ。
「あれ、美咲ちゃん、いつもの眼鏡は?」
「プライベートのときはコンタクトにしてるの。オンとオフの区別をはっきりさせたいから」
そういえば、出来すぎな彼女のプライベートを目にしたのはこれが初めてだ。
できれば、休みの時も眼鏡をかけてほしかったな。
「でもでも、浴衣美人に眼鏡ってオプションもニッチ市場に需要ありだと思うけどね」
そう思うでしょ?と意味を込めて京華さんが僕を見る。
考えがバレたのか、言葉に詰まってしまったがぶんぶんと頭を振る。
「じゃあほら!はやく会場に行こう!もうゆっくり見れるスペースも無くなっちゃうだろうし!」
無理やり会話の方向を捻じ曲げようとした矢先、ちょっと待って、と美咲さんが口をはさんだ。
「私たちの目的地は反対側にあるの。ついてきて」
そう言って身を翻すと、人の波とは正反対の方向に歩き始めた。
「そっちって……」
僕と京華さんの声が揃う。街路の遠い先には、鬱蒼と茂る森があった。
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