第3話 水着回その一

 俺は始業式の日に「頑張らないとな」と決心したものの、何もできなかった。ただ時間だけが過ぎ、もう夏休みを迎えてしまっていた。


 その間、もえちゃんは桜井さくらいさんとすごく仲良くなっているし、晃平こうへいからは萌ちゃんから聞いた情報を教えてくれる。


 とはいっても、萌ちゃんは桜井さんの話を晃平にあまりしていないらしく、二週間に一度くらいのペースで、○○に告白されたんだってよ、と聞くだけだった。


 桜井さんが告白されたと聞くと、心がズキッと痛むし、断ったと聞けばさっきの痛みが嘘のように消えてなくなる。


 桜井さんが告白を断る理由は、男性が怖いという理由からだ。


 だから告白の相手が男である限り、ほぼ百パーセントの確率で告白は成功しない。


 それでも、次の告白相手は桜井さんが唯一心を許した人で、告白を受け入れてしまうのでは……という恐怖に近い不安が俺を襲ってくる。


 そんなに不安になるなら、いっそ自分が告白すればいいのでは? と思ったことも何度もあるし、それを晃平に相談したときも、気持ちを打ち明けるべきだ、それが無理なら萌を介してまた少し話すべきだと言われた。


 でも、心の奥底で拒絶されるのが怖い、告白するのが怖い、桜井さんに振られた数多くの人の内の一人に過ぎないという肩書きが自分についてしまうのが嫌だった。




 ――俺は桜井さんの特別になりたい。




 晃平や萌ちゃんの他力本願で、何かと理由をつけて行動をしなかった俺だけど、後悔はしている。


 俺は、桜井さんと仲良くなれるならどんなことでもしたい。けれど、周りの目という恐怖が俺の決心を揺らがせ、呪縛されたように動けなくってしまうのだ。





 アブラゼミの鳴き声が街を覆い、特段に日差しが露出した肌に刺さる日。

 俺と晃平は、二人の家から近い公園で待ち合わせをしていた。


 予定から三十分も遅れている晃平を、俺は公園の入り口に自転車を止めて待っていた。


「おまた~温人はると


「おそいよ。こんなに暑い真夏日に三十分も待たせるとか殺す気か?」


「そんなに怒るなって。後でジュースでもおごってやるから」


「怒ってないよ。ちょっとイラッとしただけ」


「暑くて頭壊れたか? それを世間一般では怒ってるって言うんだぜ」


「はいはい」


「じゃあ行こうぜ!」


「待たせといて……まぁいっか」


 俺たちは今、家から比較的近い、県で一番大きな野外プールに向かっている。


 クラスの友達四人と俺と晃平で行く予定だったけれど、晃平がどうしても! とお願いしてきた日にちは残り四人全員予定が合わない日にちで、今日は晃平と俺の二人きり。


「なぁ温人はると。高校生ってもっと華があるんだと思ってたんだが……」


「というと?」


「こう、なんていうかよ。男子みんなで遊んで青春とか、女子も一緒になって遊んで青春とかさ、そういう華が高校生活にはあると思ったんだよ」


「女子と遊ぶ……はできてないけど、男子で遊ぶなら今絶賛やってるじゃん!」


「ちげーよ。もっと大人数でだな……」


「わがまま言ってぶち壊したのはどこのどいつだろうね」


「だれだろうなぁ~」


 晃平こうへいは自分が責められていると分かると、俺に向けていた目線を外し、鳴っていない口笛を吹き始めた。


「そんなあからさまなごまかしはきかないよ」


「ばれたか……俺の今のポイントは動揺して吹けない口笛だぜ!」


「それが分かりやすさをかもし出してた……」


「そんなことよりよ、これって駐輪場行きの列か?」


 俺たちがプールに着くと、そこには自転車を押している長蛇の列があった。


「並ばないように早く行くつもりだったんだけどな~」


 俺はそう言ってチラッと晃平こうへいの方を見る。


「待て待て、ごめんって。まさかこんなに並ぶとは思わなかったんだ」


「だからあれほど遅れるなって言ったのに……」


 晃平は俺が怒っていると思ってるのだろう。だったら、面白いからこのまま様子見てみて――きっと何かを奢ってくれるはずだ。ぐへへ。




 俺たちは三十分ぐらい待たされた後、駐輪場に入れた。


 今日は夏休みで休日だ。どれだけ広いプールでもそれなりに混んでしまう。


 俺たちは、クーラーがついているのにもかかわらず、人の熱気で暑い激混みの更衣室を突破し、楽園へと足を踏み入れた。


「おぉ! やっぱでかいな!」


「近くに水があるから涼しいね」


 見渡す限り水、うぉーたー、水。


 更衣室を出ると目の前に巨大な噴水が出迎えてくれ、あちこちにたたずむいろいろな種類のウォータースライダーに、流れるプール、波のプールがある。


 入り口から少し遠いところにある飲食エリアは、リニューアルしたらしくここから見えるだけで食べ物の屋台が二十以上ある。


「おい温人はると? 先場所取りすんぞ」


「分かった! 行こう!」


 俺たちは、休憩のためのレジャーシートを持って走って行く。


 パラソルは後で借りられるから、いかに良い場所にレジャーシートを敷けるかが鍵になる。ちなみに、狙い目はプールから近く、飲食エリアからも近いところ。


 飲食エリアに椅子はあるけれど、ずっと混んでいて基本的には座れないので、食べ物を長距離運ばなくていいように飲食エリアから近くないといけないのだ。


 ラーメンとかの汁物を長距離運ぶのは辛すぎる。


 かといって、飲食エリアの席取りをしなきゃいけないのはもっと辛い。


 だから、俺たちは最初の場所取りに命を賭けるぐらいの気持ちでいく。


「よかった! まだ空いてる!」


「危なかったな。結構混んでるのに、意外と知られてないんだな」


 混み始めているので、今日はだめかと思ったけれど、初めてここに来る人が多いのかもしれない。俺たちがレジャーシートを敷ける場所は十分にあった。


「あー走ったせいか少し疲れたぜ」


「ちょっと休憩してから遊ぶか」


「そうだな。暑いからかき氷買ってくるけど来るか?」


「もちろん行くよ!」


「あっちーから冷たいもの食べないとやってけないぜ」


 そう言って俺たちは、かき氷屋に向かった。


「なぁ温人はると。何食いたい?」


「ん? その様子は奢ってくれるのか?」


「ふっふっふ! 今日は絶対遅れるなって言って遅刻したからな」


「ほほぉ?」


「まぁ後は、これからなんか悪いことしたとき用の保険だ」


「ならお言葉に甘えて……俺はブルーハワイ!」


「はいよ。おっちゃん! レモンとブルーハワイ一つずつ!」


「兄ちゃん遅刻して奢らされてるのか! ちっこい頃の俺と一緒だな! ガハハ!」


「人に絶対遅れるなって言ったときに限って自分が遅れますからね」


「ハハ! 兄ちゃん分かってら」


 簡単な世間話をかき氷屋のおっちゃんとしている晃平は、突然声を潜めて何かを言っていた。


「――――――」


「ガハハ! いいじゃねえか! うまくやれよ? 失敗すると兄ちゃんもっとおごらされっぞ?」


「そんときはそのとき考えます」


「おいそっちの兄ちゃん!」


「はっはい!」


「がんばれよ!」


「え? 何がですか?」


「その兄ちゃんが言うにはそのうち分かるってよ!」


「はぁ……」


 俺はかき氷を受け取った後、モヤモヤした気分で自分たちの場所に戻った。


「晃平、さっき何話してたの? すごい気になる」


「まぁいつか分かるさ」


「気になるわ~」


「もう食い終わったから遊ぼうぜ!」


「その前にパラソルレンタルしよう!」


「それもそうか、あまり遅いと並ぶしな」


 俺たちはパラソルを借りて立てた後、ウォータースライダーに直行し、五種類あるウォータースライダーをすべて制覇すると、時計はもう十二時を回っていた。


「もうお昼か、はえーな」


「走り回ったせいで結構お腹空いた」


「いい感じに回りきれたし、お昼にすっか」


 シートに戻ると、晃平こうへいは「ちょっと待って」と言って、携帯をいじり始めてしまった。


 足が少し疲れたので座って、外をぼんやりと見ていた。


 次は巨大な浮き輪を借りて、流れるプールをプカプカ浮きながら一周しようかなとか、やっぱりウォータースライダをもう一周しようかなとか、波のプールに行こうかなとか考えていた。


「わりい、待たせたな。行こうぜ」


 しばらくして、晃平は満足したらしい。


 お昼の飲食エリアに俺たちは向かった。


「やっぱ昼は混むね」


「朝のかき氷買ったときも結構混んでたからな」


「晃平は何食べるの?」


「俺はやっぱこういうときの定番! 焼きそばだな。温人はるとは?」


「カレーかラーメンで迷ってる」


「あぁ……ラーメンもうまそうだな。どっちも食うか……?」


「こういうとこの食べ物高いから二つも買ったら晃平こうへいの場合破産するんじゃ……」


「チッチッチ! こういうときのために俺は今日たくさんもらったんだぜ!」


「晃平の家はご飯代くれるんだっけ。うらやましい」


「温人ももらえばいいのに。自由に飯が食えるぞ~」


「そんなことしたら俺の場合お小遣い制じゃなくなる」


「それはかわいそうだな」


 俺たちは先に晃平の焼きそば屋に着くと、見覚えのあるポニーテールの女の子と見慣れないハーフアップの女の子が前の方に並んでいた。


「よぉもえ!」


 晃平は前の方にいる女の子に話しかけた、萌ちゃん、と。


「やっほ~偶然だね、晃平こうへい温人はるとくんもやっほ~!」


「おお、萌ちゃん! 偶然だね」


 萌ちゃんは普段通り、髪の毛を後ろで止めてポニーテールにしていて、ピンク色のレースがついたかわいらしい水着を着ている。


「どう晃平、似合う~?」


 そう言って萌ちゃんは、晃平の前で一周すると、ふふっと微笑んだ。


 晃平は「どうだかな、ははっ」とか言ってるけど照れているのがバレバレだ。


 そのとき、俺はずっと後ろ向いて顔を隠していた女の子を見てびっくりしてしまった。


 桜井さんがいたのだ。


 桜井さんは、いつものボブカットではなく、耳から上の髪を結ぶハーフアップにしていていつもと違う感じがすごくかわいい。


そして、首の後ろで結ぶホルターネックタイプのビキニに、ショートパンツを履いている。


 桜井さんの肌の白さが、水色の生地に白い雲がかかったような、爽やかな青空を彷彿とさせる水着があまりにも似合っていて、フリーズしてしまっていた。


「おーい、温人くんやい」


 俺は晃平の呼びかけに気づいて我に返った。


 ずっと桜井さんを見つめてしまっていた恥ずかしさに思わずうつむいてしまう。


温人はるとくん、結涼ゆうりちゃんの水着どうかな?」


「え?」


 俺は、突然意見を求められ、止まってしまう。


 桜井さんは、俺の方をじっと見て答えを待っているかのようだった。


温人はると、早く! ちゃんと正直に言えよ」


 俺は晃平に急かされ、慌てて言う。


「ささ桜井さんのイメージにあったいい水着だと思います。白と水色で爽やかな感じといい髪型といい、普段見れない桜井さんがみれてよかったです。かわいいです!」


 俺は自分が何を言っていたのか分からなかった。


 ただ一つ分かるのが、桜井さんは顔を赤らめてもえちゃんの陰に隠れているし、萌ちゃんと晃平は口を開けて呆然としている。


 焼きそばの列にいた周りの人は俺の方をチラチラを見てくる。


「あれ? もしかして俺、変なこと言っちゃった? 桜井さんごめんね」


 俺はすかさず謝った。桜井さんの返事はなく、そのまま無言のまま俺たちは焼きそばを買い、カレーを買ってシートへ戻った。


「なぁ晃平、俺変なこと言ったのか? なんか言ってくれよ。やらかしてしまったのか?」


「あぁ……温人はるとにしちゃよかったぞ! 俺と萌はびっくりしただけだ」


「自分で何言ったのか覚えてないんだ……桜井さんもあれ以来目を合わせてくれなかったし……俺嫌われたのか?」


「そんなことで嫌うわけないだろ、桜井さんは。というか元々男が嫌いだったな」


 そう言って、晃平は俺の背中を笑いながらバシバシ叩いてくる。


「というか、男が嫌いなら何でプールに来たんだろうね」


「あ? そんなこともわかんねえのか温人はるとは。萌と遊びに来たんだから、女同士で遊ぶぐらいするだろうよ。男なんて目に入れないようにしてるんじゃないの?」


「でも、桜井さんかわいいから、あと萌ちゃんもね。ナンパとかされることは分かるんじゃない?」


「そうか、もっと男嫌いになるかもな」


「それまずいよ!」


「じゃあ温人が守ってやるしかねえな。今度こそヒーローだな!」


 そう言って晃平は萌ちゃんに連絡を取った。


「すぐに行くってさ。ついでに場所を分けてくれってよ」


「よかったね。シートの場所広く取っておいて」


「だな」




 五分後くらいに、萌ちゃんと桜井さんが焼きそばとジュースを片手に来た。


「来たよ~」


「お邪魔します……」


 そう言って、萌ちゃんは真ん中に、桜井さんは端っこに座った。


「あっあの……桜井さん焼けちゃうから真ん中のほうどうぞ……」


「すみません……」


 初めて俺は桜井さんと会話をした。


 緊張で心臓はバックバクだし、へんな汗は止まらないし、桜井さんの前だから挙動不審に少しなるけど、今のところはおかしな所はないはず……。


 男の人と初めて話しているのが俺かもしれない、そんな期待とうれしさがこみ上げているさなか、まさか罠にはまってあんなことになるなんて――俺は思いもしなかった。

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勇気を出した日 小笠原 以久男 @luck_1224

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