第51話・時には下世話な話を
「はよーざーっす、吾音先輩、三郎太先輩」
一人だけ名前を呼ばれなかった次郎の向ける、「おめー誰だよ」とでも言わんばかりの藪睨みな視線には目礼だけで返答し、浩平は次郎の反対側に位置をとった。三郎太が二人の後ろを歩いていたため、それは当然吾音の隣ということになる。
「あら、おはよ。宮島くん」
「…朝から元気だな、貴様は」
「うぃっす。三郎太先輩は眠そうッスね。朝弱いんスか?」
「まあ弱いは弱いんだけど、最近三郎太はねー…」
「姉さん、そこまでにしておいてくれないか」
歩きながら文庫本を開いていた三郎太だったが、話が自分に及ぶと珍しく慌てた様子で姉の口を塞ぎにかかる。
代わりに次郎が口を挟もうとしていたが、浩平が気付いてくれなかったので伸ばしかけた手を引っ込めて何やらもにゅもにゅと口ごもるだけだった。
ここ最近、三人の登校途中に宮島浩平が絡んでくることが増えた。というか、ほぼ毎日のように、であるから待ち構えているのは間違いのないところで、しかも挨拶こそ三人にはするが並んだあとはもっぱら吾音にあれやこれやと話しかけることが多く、となるといかなにぶちんの吾音でもおかしいとは思うものだろう。なぜ、今までだったらそれとなく妨害をしてきた次郎と三郎太が、割とスルーめなのか、と。
ただ、吾音自身も浩平のことは特に悪く思ってもいないし、自分に懐いてくる可愛い後輩、以上の見方はしていなかったから、浩平のお尻の辺りにブンブンと振り回される不可視の尻尾状のものを見てとって、「ま、いっか」と苦笑するに留めるのだった。
「………はあ」
「あんたに面と向かってため息つかれるとマジムカつくんだけど」
その日のお昼休み。
いつもなら吾音辺りは適当にクラスメイトと過ごす時間を、突然押しかけてきて自分を強引にさらっていった伊緒里に奪われていた。
ちなみに場所は、何故か拉致犯人の主張により学監管理部の部室となっていた。次郎も三郎太は、部室ではなくそれぞれの場所で昼食をとっている。
「いえ、あなたがムカつこうが知ったことじゃないんだけど、なんていうかね……いろいろ空回りしてるわね、って思って」
「誰がよ」
「あなた以外の全員が、よ」
伊緒里らしくもなく箸で相手を指すという、行儀の悪い真似を咎めるでもなく、吾音はぶーたれて、からし蓮根などという、高校生の弁当に入れるには少々渋いおかずを口に放りこむ。
「……どうしたの?急に涙目になって」
「…んでもねーわよ」
思ったよりからしがキツかった。これが自分の作った弁当でなければ、目の前の幼馴染みに理不尽な文句の一つでもぶつけたかもしれない。
その他のおかずは、わざわざ昨日の夕食に出された銀鱈の西京漬けを半分とっておいたものと、ここは手を抜いて冷凍食品のグリーンピースを添えた卵焼き。吾音にしては手の込んでいない中身だと言えるが、そう毎度毎度次郎に持たせたもののレベルを維持しているわけではない。二人とも今日は弁当は要らない、という話で自分一人分だけの手間だったから、尚のことだ。
「……それ、自分で作ったの?」
そんな弁当を黙々と口にしていた吾音だったが、伊緒里の声に面を上げて、口調と違わず感心した表情の対面者に、何やら不審でも覚えたような顔を向ける。
「そうだけど。それが、なに?」
「うん、大したものだなあ、と思って。あなたってガサツな割にそういうところはマメよね」
「……そんな大層なもんじゃないわよ。昨晩の残りと適当にお惣菜と冷食使って品数増やしただけだし」
「自分で作る、って時点で私には真似出来ないもの。ちょっとうらやましいな、そういうのって」
「ふーん。あんたでもそういうこと思うのね」
「悪い?」
「悪かないけど。……ふふん、次郎にでも作ってやろーって思えばちっとはモチベーションも上がってその気になるんじゃない?」
言ってやった、みたいな調子でニヤリとする吾音だったが、言われた方は虚を突かれたように「…それもいいかもね」などと言い出したのだから、からかい甲斐もなくなってしまい、また無言で箸を動かす作業に戻る。
「あのさ」
「なによ」
ただ、伊緒里はすぐに思いついたように…いや、意を決したように、自分でも意識せず息を呑むと、こう言った。
「そういうのって、誰かにしてあげたいとか思わない?」
「そういうの?って、お弁当つくること?うちの弟連中にはたまにして…」
「じゃなくて、誰か…男の子にとか」
「何が言いたいのさ」
角突き合わせてる時のような、物事を曖昧にしない物言いの多い伊緒里にしては珍しく切れの悪い口振りに、吾音は片目のまなじりを持ち上げて睨むような視線になる。
「……ええと、誰か好きな男の子でも出来たんじゃない?ってこと」
「似合わないんじゃないの、そーいうのは。惚れた男のことを思ってウキウキと朝から頑張っちゃうー、なんて真似はあんたに任せとくわよ」
「別に似合わないってこともないと思うけど」
「…やけに食い下がるわねー。もう一度聞くけど、何が言いたいのよあんたは」
「だからね……」
話している間に吾音の箸の回転は上がり、どう切り出したらいいのか伊緒里が宙に視線を彷徨わせる段になると、吾音は空になった弁当箱を苛立ちを表すように、テーブルの上に乱雑に置く。
そんな仕草を目を落として見た伊緒里だったが、それで踏ん切りがついたのか、もう一度深呼吸じみて息を呑み、言う。
「一年の、宮島浩平くん。最近何かとあなたに言い寄ってきてるじゃない。気になったりしない?」
そこで出た名前を意外に思ったのか、吾音は一瞬キョトンとして、それから見せた反応は、伊緒里にとって期待と想像していたものからは大きくかけ離れたものだった。
「……なーんかヘンだなー、と思ってたらさ。そういう魂胆か。次郎と三郎太も噛んでるワケ?」
「意味が分からないわよ。これは私が興味あって聞いてるだけ。次郎くんは関係ないわ」
「ふーん。自分のこともちゃんと出来ないクセして、一人前に他人のコトに首突っこむ余裕はあるんだ。ふーん」
「……その言い方なによ」
「なによ、じゃねーわよ。まー面白いコだなー、とは思うけどそれだけに決まってんでしょーが。で、あんたの方こそどーなってんのよ。いい加減去年のことなんか水に流して、そろそろ落ち着くとこに落ち着いたらどうなのよ。ええ?」
「それこそあなたに言われる筋合いのことじゃないでしょう!?大体ね、私が次郎くんとあんなことになったのはあなたのせいで、そうでなければとっくに……」
「…うん。とっくに、どうなってるっての?」
「………なんでもない」
怒鳴りつけた勢いで立ち上がって両手をテーブルにつき、吾音を上から威圧するような格好になっていた伊緒里。そのことと、自分が何を言おうとしていたのかに気がつき、後悔によるものかそれとも気恥ずかしくなったためか、目を逸らして一言「ごめん」とだけ告げる。吾音の方も、「ん」とだけ応えて、それで場は収まった。
一年前のことを思えば、すっかり穏やかになったものだ、と思ったのは吾音の方だったか、伊緒里の方だったか。
「…でも、気になることは気になる。だってさ、男の子の噂が全っっっ然無かったあなたが、弟二人以外の男の子と一緒にいるとこなんて珍しいなんてものじゃないし。知らない仲じゃないんだから、そこのところそっと教えてくれない?」
「だーら、さっきも言った通り、かわいー後輩ってだけよ。他の連中が気にするなら分からないでもねーけど、なんだってあんたがこんな話に食いつくんだってばさ」
「いいじゃないの。私、ちょーっと見て見たいもの」
「……なにをよ」
「男の子といー感じになって、乙女っぷりを見せてくれる吾音が」
「………っ、あんたねえ…」
「あ、動揺した。やっぱ気になって」
「しつっこい!あーもー、あんたに付き合ってお昼にしてたらろくなことになりゃしないったら!」
「ねえ、いいじゃないのよ。ほら、私と吾音の仲だと思って」
「あんたとの仲だとしたらこんな会話成立する余地はねーってのっ!!」
憤然として弁当箱を片付け、部室を出て行こうとする吾音。
それをニコニコと…いや、にやにやしながら見送ろうとしてた伊緒里だったが、出口に差し掛かったところで回れ右をして戻ってきた吾音に背中を押されて、ほとんど追い出されるような形で部室を後にさせられた。伊緒里が残っていたのでは鍵が閉められない、と憮然としていた吾音の口元に浮かんでいた笑みの意味を、伊緒里は知ったのだろうか。
吾音は、確かに動揺していた。
けれどそれは、面と向かって伊緒里に「吾音」と名前で呼ばれたのがいつ以来のことだったか、思い出してのことだった。
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