第50話・がんばる男の子、はんぱない女の子

 新学期。九月。姉弟と、三人を取り巻く人びとの一部にとっては、何かと苦いものを想起させる時期でもあった。




 「…学年によってその在り方は異なりますが、それぞれに充実した夏休みを過ごしたことと思います」


 …で始まる、自治会長阿方伊緒里のあいさつを、講堂の壇上を見上げながら吾音は思った。


 (あんたが一番充実してたんじゃないかしらねー)


 もちろん、何やかんや言いながら次郎と親しく過ごす時間を重ねたことを指してのことだ。

 それは三郎太にしても同じことなのだが、こと次郎と伊緒里の関係となると、去年の九月のことを思うと吾音は多少の感慨も沸くというものだ。心なしか、というより吾音の主観全開で見れば、肌つやもよく精神的な充実が外面にも現れているようにも思える。


 「そして二学期は様々な行事もおこなわれます。藍葵祭、体育競技会、自治会長選挙…」


 吾音や次郎に説教する時はやたらと言葉を重ね加えて間をたっぷりとり、長時間に及ぶこともままあるというのに、伊緒里は長演説は得意ではない。

 この調子ならあと三十秒もすれば終わりかな、と思ったタイミングで出た「自治会長選挙」の単語に吾音は思いを致す。


 (今年は出るのかな、あのコ)


 学監管理部としても吾音個人としても興味を抱かざるを得ない自治会長選における関係者の動向は、いまだ本人の口からは語られていない。投票自体は今月末で、立候補届での締め切りにはまだ間があるとはいえ、伊緒里がどうするつもりなのか、吾音は冗談交じりにでもまだ確かめてはいないのだった。




 「わり、今日は先約あって行けねーわ」


 ホームルームが終わり、さて新学期に向けて管理部の活動を…と思い、次郎の教室に迎えに来た吾音に、弟一号は片手拝みで所用のあることを告げた。


 「…ま、別にいーけど。また伊緒里?」

 「ちげーって。クラスの連中とさ。久々だから遊びに行こーって話」


 教室の奥の方を見ると、次郎と吾音の様子を伺っている男子生徒が若干名。次郎の様子からしても偽りではなさそうだった。


 「ふーん。女子じゃないなんてあんたにしては珍しいこともあるもんね」

 「おかげさんで女の子と親しくしてると天気の悪くなるやつがいるからな」


 惚気か、と呆れる吾音だったが、そう言った時の次郎の反応が予想出来てしまったので自重する。

 代わりに弟のスネを軽く蹴り上げて鬱憤晴らしをしておいて、今日のところは解放してやった。後で、伊緒里に嫉妬したみたいだと思って後悔する羽目になったのだが。


 『未来理の家にお呼ばれに行くので行けない』


 そしてこちらは弟二号からの連絡。こちらは正真正銘女の子絡みだが、いつも通りに見える素気無い文面にも三郎太なりに楽しみにしているのではないかー、と思わずホホエマシクなる気色が見てとれて、心優しき姉としては弟の健闘と奮戦を思わず期待してしま…。


 「つか、いつの間にあの子未来理ちゃんの家に出入りするよーになったのさ」


 …うと同時に当然の疑問に思い至り、そーいえばそんな話聞かされてないんだけど、と一転して顔が曇らないでもなく。

 結局のところ、吾音としては諸々動き始めるはずな新学期初日の活動にかける意気込みを挫かれてしまったのが面白くなくて、年齢相応にむくれてみたものの、それをぶつけても構わない相手を探したら伊緒里一人しか思い浮かばなかったことに半ば愕然としてしまったところに。


 「あれ、吾音先輩じゃないすか。お一人で?珍しいすね」


 運がいいのか悪いのか、気安く声をかけてくる異性の後輩と遭遇してしまった、というわけだった。


 「……宮島くんか。一人で悪かったわね。わたしは三郎太のオマケじゃねーわよ。ていうかこんなとこで何してんの」

 「こんなとこで、はこっちのセリフっすね。ここ玄関っすよ。ンなトコでボーッとしてればそりゃそのうち誰かに声くらいかけられますって」

 「……なるほど」


 別に納得するよーなことでもなんでもないのだが、そう言う他なくて納得顔になる。

 だが確かに浩平の指摘はもっともだ。このままここで待っていれば、遊びに行く相手の一人や二人と出くわして、一人で家に帰る、なんて真似をしなくともよくなるだろう。


 「ま、それならそれでいっか。じゃあ宮島くん?わたしはこれで…」

 「あ、ちょい待ってください先輩」

 「ふぇ?」


 気づきを与えてくれた顔見知りの後輩に感謝して別れようとしたところで呼び止められ、吾音は間の抜けた声と共に、返しかけた踵を止める。浩平に含むようなところは特段無いのだが、このまま会話が発展するよーな関係でもない、そう思って振り切ろうとも思ったのだが、殊の外真剣な顔になっていた後輩に知らぬ顔をするのも忍びず、なに?と首を傾げて立ち止まる。


 「……えーと、ですね」

 「うん」

 「……そのー、先輩がよければー…あーオレとしてはその程度じゃねーんですけど、けどこないだの話は割と本気だったっつーか…」


 うん、わかったからはよ言って、とは口にしなかったが、多少の苛立ちは漏れ出ていたのかもしれない。お愛想の笑みが微動だにしない吾音の顔を見て後輩は、意を決するように、吾音がビクッとするくらい大きな深呼吸をしてから言った。


 「…………帰るんなら途中まで一緒…しねーっすか?」


 散々考え込んで結局言うのはそんなことか。拍子抜けして、思わず阿呆みたいにぽかんとする吾音。だが、弟二人に陰で女朴念仁呼ばわりされている吾音である。ウブい少年が、憧憬を抱いている年上の女性へ誘いの声をかけることにどれだけ思い切りというか踏ん切りというか、勢いのようなものが要るのかを、理解できるはずが無いのである。

 必然的に、気の抜けたよーな声で、テキトーな返事をすることになる。


 「………別にいーけど。あ、そういえば前にそんなこと言ってたわね。どーせ家に帰るとこだからその途中までだけどね」

 「全然おっけーっス!あざーっす!!」


 そして当然ながら、なんでこんなに喜色に満ちた顔で全身使って喜びを表現するのかしら、とこれまた鈍感っぷりを自覚してないのが、鈍感たる所以でもあるのだった。

 一方、いそいそと自分の下駄箱に向かう浩平と、その場で自分の下駄箱に爪先立ちで手を伸ばす吾音を見るとはなしに見守っていた好奇心に満ち満ちたギャラリーたち。きっと、また明日には噂が疾るのだろう。「あの」鵜ノ澤吾音にコナかける命知らずがいた、とかいった具合に。

 その一方、そんな熱視線じみた(当人にははた迷惑極まりないが)眼差しを向けていた観衆の中に、今の様子をどこぞへと報告するメールだかなんだかを送っていた人間がいたことも、当人たちには預かり知らぬところのこと、なのであった。




 「先輩、部活て何やってんす?」

 「部活?わたし入ってないけど」

 「いえ、そおいうのじゃなくて学監管理部の方す」

 「あー…ま、大して面白い話なんかないんだけどね」


 帰り道、交わされる会話となるとそれはそれで当たり障りのないものになる。

 吾音も特に気を使うような相手ではないとはいえ、弟の関係の後輩であるし、浩平の方といえば与えられたチャンスを最大限に活かす…のではなく、いくら三郎太たちの黙認を得たとはいえ、本人に嫌われたのでは話にならない、と考えて、必然的にゆるい話ばかりしてしまうことになる。


 「自治会の依頼で学内のあれこれ調べて報告して。ま、そんなとこよ。別に面白くなんかないでしょ?」


 まさか、二課にカチコミかけたことがある、などと言うわけにもいかない。

 ただ実際、吾音たちが自主的に行う活動(面倒ごとに首を突っ込む、とも言う)を除けばその通りなのである。

 噂では色々と有る事無い事有る事有る事囁かれているが、建前としてぶち上げた以上、言っただけのことはしなければならない。そこにつぎ込む時間は極力少なくしておきたいのが三人の本音だとはいえ、いろいろと忖度しないといけない相手もいるのである。


 「三郎太先輩がいろいろ調べ事してる図なんて想像もつかねーッスけどね」

 「まーキミから見ればそーかもしれないけど、あれでいろいろかわいーとこあんのよね」


 一度手酷くボテくりこかされたことを引き合いに出して、吾音はからかうように言う。それで気を悪くするかと思えば、やや照れ気味に「あン時の話は勘弁してください」とはにかんだような反応を見せるものだから、吾音は意外にも思い、且つなかなか可愛いとこあるじゃん、と感心したりもする。

 三郎太が、自分も相当なケガをした物騒な出来事の後となってもこの後輩を邪険に扱わない理由が分かったような気がした。

 その後も、探り合いのような雰囲気の空気は残っていたが、それでも三郎太のことを介してそれなりに会話は弾み、吾音も終いにはいつもの愛想抜きで普通にけらけら笑って浩平を驚かせていたりした。

 そして、自宅近くの大通りに出て辺りで浩平が立ち止まり言った。


 「……んじゃ、オレこっちなんで」

 「ん。まあなかなか面白かったわよ。今度はウチの二人も一緒に帰ってもいい?三郎太のかわいートコ見せてあげるわ」

 「あー…まあそれはそれで楽しそうッスけどね……」

 「?」


 九月初めのお昼頃、となればまだまだ暑い盛りだ。

 けれど浩平のどこか思い詰めた顔に垂れている汗は、そういったものとは関係なく溢れているようにも思えて、吾音は浩平との距離を二歩ほど詰め、下から顔をのぞき込んでいた。


 「だいじょぶ?なんか元気ないけど」

 「ふぇっ?!…あ、あー、大丈夫ッス、大丈夫。いえ、吾音先輩に心配されるとかえれードキドキするッス…」

 「なにそれ。変なの」

 「……うー…」


 ま、本人が問題無いっていうならいっか、と吾音は両手に持っていた鞄を右手に持ち替え、自宅に戻るために離れたのだが。


 「せっ、せんぴゃいっ?!」


 噛んでいた。めっちゃ噛んでいた。

 次の行動の出端を挫かれた格好の吾音は、がくっと膝を折って「なんなの一体」と訝しんだ目線を浩平に向ける。

 その視線が捉えた、ちょっとかわいい後輩の少年は、初陣の足軽みたいに緊張しまくっていて迫力だけは充分だったから、軽く仰け反って、それでも次に来る言葉を待った。どういうわけか、吾音まで緊張していた。


 「お……その、こっ、今度一緒に遊びにいきませんかっ?!」

 「………」


 それ緊張する必要あるほどのことかなあ。

 気になる女の子を初めて誘う少年の言葉に対して思うには少々無慈悲な感想だった。

 けれど、まあ。


 「……えーと、何を緊張してるのかは分かんないけど、別にいーわよ」

 「マジすか!!」

 「遊びに行こう、って言われてバーカバーカとか言うほど人でなしじゃないし。それにまあ、友だちとどっか行くくらいのこと、普通なんじゃ?」

 「……マジすか」


 なんだか喜びのトーンが落ちていたのが気になったが、吾音にしてみれば特に含むところのない相手に遊びに誘われただけのことだ。別に構えるようなことはない。


 「マジだけど。あ、じゃあ連絡先交換しとく?それとも三郎太に聞いておこっか?」

 「いえ!…あー、じゃあお願い…シマス」

 「ん」


 と、それぞれのスマホにそれぞれの連絡先を登録。それだけのことだ。別に珍しいことをしているわけではない。

 だから、登録の済んだ自分のスマホを妙に感慨深いことでもありそうな様子でじーっと眺めている浩平を見て、この子ほんとーにどしたんだろ、と思ってしまうのも無理のないことなのだ……少なくともこの時は。


 吾音が自分の迂闊さに気がついたのは、家に帰ってやることも無いので祖父とまたもや縁台将棋に興じ、夕食の後に次郎と一緒になって、神納家から帰ってきた三郎太を散々いじり倒して満足した後、風呂に入って明日からの授業の支度をすませ、そして布団に入ってからの、ことである。

 昼間の出来事を思い出し、ふと気がついた。


 「……コレってデート、ってことになるんじゃないの?」


 迂闊にも程がある、というものである。

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