第46話・だいすきなひとへ
「未来理ちゃんに賭けるわね。当然でしょ」
「あ、ずっけーな姉貴!この状況じゃ誰だって三太夫には賭けないだろーが!」
「じゃあ私が三郎太くんに賭けてあげるわ。幼馴染みのよしみで。次郎くんは当然私と一緒よね?」
「う……くそ、しゃーねーな。ということだから三郎太、あんま無様な負け方すんじゃねーぞ」
「負ける前提で話を進めるな、アホ」
「うふふふ、未来理はまけませんからねっ」
それぞれに勝手なことを言いつつ、管理部室中央のテーブルに最後まで勝ち残っている二人の姿を、吾音と次郎と伊緒里は固唾を呑んで見守る。
ちなみに既に敗退した各々三人の額には、「諸行無常」「ずっけー」「いい加減にしなさい」と書かれたカードが貼り付いていた。
何をしていたのかというと、NGワードゲーム、というものだった。本人からは見えないように、その当人が言いそうな言葉が書かれたカードを掲げ、会話をする中で本人がその言葉を口にしたら負け、というゲームである。カードを書くのは本人ではなく他のプレーヤーだから、どれほどお互いの「言いそうな言葉」を知っているか、いかにそれを喋らせるかがミソになる、場合によっては人間関係に深刻な影響を及ぼしそうな内容なのだ。
なお、負けた三人のカードに書かれていた内容は、というと「ずっけー」「いい加減にしなさい」が次郎と伊緒里。これはお互いがお互いの言葉を書いたもので、また上手いこと相互理解しているものだと一同呆れたものだった。
吾音の「諸行無常」は未来理が書いたものだ。なんでも、「あいんおねーさんは、こーいうときはいつもならぜったいに言わなそうなことしか言いませんから、きっと」とのこと。言い当てられた吾音は、敗北の後しばし頭を抱えて悶絶していたとかなんとか。
「さて、未来理よ。この戦いもいい加減長く続いているが…そろそろ終わらせる気は無いか?」
「未来理がかてばおわりますよ?」
「だがこちらもそう簡単に勝ちを譲るつもりは無いのでな。そこで提案だ」
「はい」
ゲームをする時、三郎太は相手が誰であろうと手加減はしない。大人げないほどに。
だから正面の未来理には、勝ちに来たときの三郎太の獰猛な笑みが見えただろうが、未来理は平然とそれを受け流して、なんでしょうか?とばかりにかわいく小首を傾げてみせるのみ。
うわあ、いい度胸してるわね未来理ちゃん、とこの間三郎太にひと睨みされて涙目になった伊緒里が感心する。
「これで最後にしよう。俺の眼鏡を賭けた勝負はな」
妥当だった。クラスで未来理にそんな無理を押しつけた男子も、その男子につまらない真似をしていた三年生も、もういない。なら、未来理が三郎太の眼鏡を欲しがる理由も、そのためにこんな勝負をする理由も無いのだから。
「いーですよ。じゃあしんけんしょうぶになりますね」
未来理の方も、何か含むところでもあるのか無いのか、気ざっぱりと三郎太のそんな言い分を受け入れた。
そしてその視線は三郎太の額にある、吾音が書いたカードに向けられる。これ以上ないくらい、真剣な顔つきだった。
そんな未来理の額にぺたりと貼り付けられたカードは、三郎太の書いたもの。「がんばります」と、ある。なるほど、一件以来の未来理の口癖だ。これは勝負にならないなあ、と次郎は三郎太の額に同じように貼りついているカードを見た。吾音の書いたものだった。
「…ところでな、未来理。最近兄とはどうなのだ?」
残り二人に絞られてから、とみに真剣味の増した勝負の場。三郎太は第三球技場跡地で未来理の兄、典次を一喝して以後気になっていたことを尋ねた。
三郎太にすれば撫でたも同然、という程度だったとはいえ、前科のある三郎太がまた中等部の生徒と諍いになったのだ。学内で問題にならないわけがない。
けれど今度も、というより今度は、吾音を始めとした幾人もの奔走により、またもお咎め無しということで話は済んだのだ。多人数で一人を取り囲むという真似が褒められたものではないことに違いはなく、また五人組の方にもいろいろと後ろ暗いところがあったとはいえ、吾音に「ま、今度は本当に自分たちでなんとかしないといけなかったしね。大見得切った以上仕方ないか」と言わせた程の事態があったことは、関係者に多大な疲労をもたらしていたことでうかがわれる、というものなのだろう。
「はい。おにいちゃん、いまはちゃんとおうちにかえってきますよ。ごはんもいっしょに食べました」
「そうか。それは良かった。頑張ったな」
「未来理はちっともがんばってないです」
身を乗り出しかけて空ぶった次郎が、隣の伊緒里に「なにやってるの」と小突かれていた。
「未来理はまだまだです。もっとがんばらないといけないです。おにいちゃんは未来理にむかしみたいにやさしくなったですけど、まだまだです」
チラ、と三郎太が吾音の方を見る。吾音は首を振った。
レフェリーの裁定は三郎太には随分厳しいようだった。
「それで、さぶろーたせんぱい」
「うむ、なんだ」
今度は未来理のターンだ。
「未来理はですね。未来理のためにがんばってくれた、さぶろーたせんぱいにお礼がいいたいです」
「礼を言われる程のことはしてないと思うがな」
「そんなことありません。でも、未来理はお礼をいういじょうのことはできないですから…えっと」
ごくり、と息を呑む音がしたようだった。
未来理は緊張の面持ちを強め、その一方で顔は真っ赤になり、訥々とあの日から自分の周りに起こった変化の数々を語り始める。
「おともだちができました。なぎさちゃん、です。おひるごはんをおともだちといっしょに食べるのは、とてもたのしいです」
「………うむ」
「おにいちゃんがおうちにかえってきて、おとーさんとおかーさんはおにいちゃんと、ちょっと仲よくなりました」
「………よかったな」
「クラスのみんなは、まだ未来理とおはなししてくれませんでしたけど、このあいだなぎさちゃんがいないとき、おもいきってはなしてみました。びっくりしてましたけど、いっしょうけんめいおはなししたら、いっしょにわらってくれました」
「………頑張ったな」
「はい。だから、未来理はですね。未来理は……未来理にいろんなことができるようにしてくれた、さぶろーたせんぱいのことがだいすきです」
「………いや、俺は大したことはしていない。大したことが出来る男でもない。皆、お前が頑張ったからだ」
「いいえ。未来理はひとりじゃまだがんばれません。未来理はこれからです。だから、さぶろーたせんぱい」
「なんだ」
「未来理のだいすきなさぶろーたせんぱいにおねがいです。未来理といっしょにいてくれますか?」
「ああ。約束したからな」
「ありがとーございます」
ペコリとお辞儀をした未来理を見て、「これ結構とんでもないこと言ってるんじゃないかしら」「うるせー、いまいいとこなんだから少し静かにしてよーぜ」などと小声でかまびすしくなる一部のギャラリーだった。
「……まあ、なんだ。俺も…未来理のことを見ていると、割と飽きない。いや、忘れかけていたことを思い出させてくれた。一緒にいてもらうのなら、俺も同じようなものだ」
テーブルの端にかじり付いてハラハラしてる姉を、横目で一瞥。
目が合ったら逸らされた。何故だろう。
「…そですか。未来理といっしょにいてくれる、んですね。さぶろーたせんぱい?」
「なんだ」
「未来理は、さぶろーたせんぱいのことがだいすきです。さぶろーたせんぱいは……未来理のことが、すきですか?」
すきですか?
これはどういう意味なのだろう。
姉と違って朴念仁などではない、と自分では思ってきたが、それでもこの少女に向けられる感情の意味が、理解しかねる。
大柄な体躯、初対面の相手の顔が引きつるような強面、およそ愛想のいいとはいえない性格。
姉には慰められることもあったが、三郎太は自分を構成するこれらを嫌ってきたわけではない。
けれど、それが人から距離をとられる原因だとも知っていたから、自分から他人を近づけようとはせず、他人の方も特に寄ってくるくともなかった。
それで、別に構わなかった。これからもそうであろうと、思っていた。
けれど、今自分の前で、必死な顔と真摯な願いを讃えた瞳で自分を見上げている少女はなんなのだ。
意味が、分からん。
そして、分からなかったから、三郎太は心の内にあった物事を、そのまま口にした。
「……ああ、そうだな。俺も大好きだぞ、未来理のことは」
「……………」
空気が、凍った。というか時が止まった。ように、思えた。
何か拙いことを言ってしまったのか。もしかして。
誰か反応して欲しい、と祈るように三郎太が押し黙る中、最初に口火を切ったのは。
「……………いやったぁぁぁぁぁぁっ!!さぶろーたせんぱいにかぁちましたーっ!!」
きゃあきゃあ叫びながら、立ち上がって跳ね回る未来理だったりしたのだった。
「?……な、なんだ?どういうことだ?」
勝ったとかなんとか、どういう意味か分からず茫然自失の三郎太に吾音が近付き、言う。
「はい、あんたの負け。ほら、これ」
「これ?………な、なんだこれは…」
吾音は三郎太の前頭にへばりつくようにしていた紙片を引っ剥がし、それを突き付けるように見せた。
『大好きだ』
こう、書かれている。吾音の字で。つまり。
「三郎太。あんたNGワードゲームしてること途中から忘れてたでしょ。でもこれを言わせたんだから、未来理ちゃんの勝ちよね。一字一句違わず言っちゃうんだから文句のつけようがないわよ。ね、次郎、伊緒里?」
そう言われて残る二人の顔を見ると、自分のことでもないのに何故か揃って顔を赤くして三郎太から目を逸らしていた。そのくせ、あてられでもしたのか互いを意識しているようにモジモジしている様は…正直身内の仕儀としては見ていられなかった。
「……おい。もしかして」
「さあ?それは未来理ちゃんに聞かないとね。未来理ちゃーん、三郎太がお話あるって」
「あはははははっ!……はー、はい。なんですか、せんぱい?」
ひとしきりはしゃいで気が済んだのか、やっぱり赤い顔のままでいた未来理は、机を迂回して三郎太の隣にやってくる。
椅子に腰を下ろしたままの三郎太とでは、いくらなんでも目の高さが逆転し、かえって未来理を僅かに見上げる格好になった三郎太は、怒気とも戸惑いとも言い得ぬ何かを湛えた声でこう聞く。
「…おい、未来理。お前これを俺に言わせるためにさっきから好きだのなんだのと言っていたのか?」
まさかゲームの駆け引きに巻き込まれて、自分はあんな小っ恥ずかしい台詞を口にしてしまったのか。家族の前で。
流石に気恥ずかしさから三郎太は紅潮する。あるいは生まれて初めてのことだったのだろうか、吾音も次郎も、そして伊緒里まで、珍しいものを見たみたいにニヤニヤしていた。
三人とも後で締めてやる、と固く決意した三郎太は、未来理の返事を怖々と待つ。
何か言ってくれ。「実はウソでしたー」とかでもこの際構わない。
…そんな気分の三郎太の頭に未来理は両腕をまわし、そして小さい胸に抱え込んだ。
「……そんなことないです。未来理は、ほんとーに…さぶろーたせんぱいのことが、大好きなんです。うそじゃないです。未来理がせんぱいのこと好きでも、せんぱいは未来理のことが好きじゃないかも、っておもいました。でも、せんぱいも大好き、って言ってくれました。だから、未来理はがんばれます。これから、いっぱい、いっぱい、がんばります」
はらりと落ちた、一枚の紙片が、目に止まる。
未来理の額にくっついていたそれは、三郎太の書いたものだ。
まだ幼い匂いに包まれながら三郎太は、思う。
そうか。がんばります、とは、俺がお前にそうあって欲しく、願ったことなのだな、と。
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