第36話・仔猫の友はさて、いずこ?
「実は調べるまでもなかったりするんだな」
そうしたり顔で宣った次郎だったが。
「だったら最初っからそう言えってのこのアホっ!」
「ぐはっ?!」
ゼロコンマ8秒で脱着され、テーブル越しに飛んできた右の内履きによって、顔面をいわされていた。
「……早い」
同じくツッコミを入れようとした三郎太が、呆然の態でそう呟くほどの早業だった。
「…まったく。翌々日になってそんなこと言い出すとかあんたらしくもない。そんなに伊緒里が怖かったワケ?」
「…あ、阿方はかんけーねーよ…くっそー、姉貴足クサいんじゃねーの?」
「乙女に向かって足が臭いとかあんたもっかい死んでみるっ?!」
「ストップ、姉さん。話が進まん。次郎もあまり煽るな」
その後の二人の行動…吾音は二発目にいくだろうし、次郎は「乙女?誰が?」などとヘラヘラと言うだろうし…を予測した三郎太の制止で双方、次郎までもが珍しく、鼻息荒く「ふんっ!」とそっぽを向いてその場は収まった。
「とにかくだ。次郎には神納を気にかけてはいるが諸々を気にかけて声をかけることも出来ないクラスメイトの存在は認知できている。そうだな?」
「ああ。まー突っ込んで調べてまではいねーから、名前は知らねーけど」
「なんでそれを先に言わなかったのよ、あんたは」
「うるせー。得意げにこれからどうするのかをご開陳くださったお姉様に花持たせただけだろ?」
「時間の無駄だっつーのよ。大体そこまで分かっていながら素性も調べておかないなんて、あんた色ボケが過ぎて頭回ってないんじゃないの?」
「ああほら、姉さんもあまりムキになるな。この際次郎の事情などどうでもいいだろう」
「……そーだけど」
未来理への感情移入の度合いが日毎に増していると思しき吾音は、その境遇を思って焦りを隠すこともなく、渋々と弟への追求の矛を収める。
高等部は教員の研修があって今日の午後の授業が無かったため、中等部が終業するまでの間こうして部室で検討をしていたのだが、各員の進展具合をを確認するうちに、冒頭のごとく次郎が言い出したのである。
吾音としてはいろいろと仕込みをしてその結果待ち、という段階であるのに、次郎の方が一足飛びに結果を出して、しかもそれが吾音の後だったということで、いろいろと納得出来ないものもあるのだろう。
「なんか次郎に出し抜かれたみたいで面白くないんだもん」
少々ふて腐れたように口を尖らせてそう言う吾音。
姉のそんな姿は弟二人にとっては些か複雑な保護欲をかき立てられるところであったから、二人は顔を見合わせ小さく肩をすくめると、自分たちが引いておくか、となんとも鷹揚な気分になるのだ。
「……そりゃー、悪かった」
「だな。次郎ももう少し姉さんを立てることを覚えろ」
吾音の、ある意味理不尽な振る舞いに納得したわけではないが、それでも自分たちから引いてはおく。家庭内円満の秘訣、とでも言うべきいつもの手打ちの様相で、吾音も「しっかたないわねー」とでも言ってお終いになる場面なのだろうが。
「あー、うん。わたしもちょっと大人げなかった。ごめんね、次郎」
珍しく、バツの悪そうな顔で、しかも頭なぞ軽く下げながらこんなことを言うものだから、かえって慌てる次郎と三郎太なのである。
「お、おお…いや別に姉貴が謝るよーなこっちゃねーと…」
「そ、そうだな…むしろいつもの姉さんなら調子にのって『ほら、あんたたちはわたしがいないとダメなんだから』くらいは言うと思う…の……だが…」
「さーぶーろーたー?」
時々一言多い三郎太が、早くも復活した吾音に藪睨みの目で見つめられて脂汗を、流していた。
「で、あんたの方はどうだったワケ?」
「んあ?ああ、俺の方ってーと、未来理ちゃんの教室の様子か」
ひとしきり姉弟げんかともじゃれ合いとも言い難い時間を過ごしてから、吾音は柿の種を呑み込みつつ尋ねる。
柿ピーがお茶請けとは高校生にしては渋めのおやつなのだが、特売で買い込んだ2リットルのお茶のペットボトルがまだ冷蔵庫からはみ出しているのだから、しばらくは米菓が管理部室のテーブルを占領することだろう。
菓子鉢に盛られた柿ピーの中からピーナッツを選別してた次郎は、「行儀の悪い真似をするな」と三郎太にたしなめられて手にしたピーナッツを鉢に戻し、それを見て顔をしかめた吾音に向き直って言う。
「えーとな、俺と未来理ちゃんが教室に入ると大体みょーにザワつくんだけどさ、まあ大体俺の方が注目浴びるわけだ。んで、その中に俺じゃなくて未来理ちゃんの方を見てる子が一人いたんだわ。そっち見た俺と目が合うと慌てて目を逸らすけど、あれは未来理ちゃんの心配してんじゃねーかな」
「ふうん。そーいうところはあんた目端が利くもんね。で、その子の顔は分かるんでしょうね」
「写真見りゃ分かるよ。三郎太?」
「ああ」
ウェットティッシュで指を拭きながら三郎太がノートPCをスリープから解除する。
接続するのはいつもの通り学校側のVPNで、中等部の名簿を検索する。
その作業中に、吾音と次郎は三郎太の背中に回って後ろから画面を見つめていた。
「出たぞ」
「どれ」
「相変わらず早いわねー」
一年三組。未来理が所属しているクラスの写真付き名簿が表示されている。当然、上の方に「神納 未来理」も存在している。
写真はサムネイルになっていなかったから、女子の名前を選んで詳細を一人一人確認していくと、八人目で次郎が「お、この子だ」と三郎太の操作の手を止める。
「塩原渚ちゃんか。割とおっとりした子みたいね」
「写真でそこまで分かるものなのか?姉さん」
「さあ?そんな印象受けるなー、って思っただけだし、実際のところなんか話しないと分かんないわよ」
「姉貴、テキトー過ぎ」
思い込みだけで判断するよりマシでしょーが、と次郎が吾音に後頭部を叩かれていた。
「…ま、これで行動の指針はある程度定まったわけだが。どうする?」
そんな二人の漫才を背中で聞きながらの三郎太の言は、この場合誰が塩原渚に接触するか、という意味だ。
吾音は「そうねー」としばし考え、長姉を見上げる二人の弟の顔を交互に眺め、こう言う。
「わたしが行ってくるわ。次郎と三郎太はここで未来理ちゃんの相手しててくれる?」
「…ま、妥当なとこだろうな」
「姉貴なら中等部に紛れ込んでもバレないだろーしな」
「制服が違うでしょーが、ドアホ」
高等部はブレザーがベースのもので、夏服はブラウスにリボンだが、中等部はセーラー服なのである。いくらなんでも自宅に戻って中等部の制服に着替えている暇は無い。
「というかウチの学校は中等部に高等部の生徒が出入りしても別に見咎められんしな。次郎も余計なことを言うな」
「なんだよ、緊迫した空気を和ませよーとしただけじゃねーか」
「どこに緊迫する要素があんのよ。ほら、そろそろ未来理ちゃんが来るでしょ。わたしは早速行ってくるから、お姫さまのお相手をお願いね。王子さまにその従者」
この際どちらが王子でどちらが従者か。
言われずとも理解した二人は、複雑な顔を見合わせてしばし佇み、軽い足取りで部室を出て行く吾音に気がつくと少し慌てた様子で「気をつけろよ」とその背中に声をかける。
「何に気をつけるってのよ。じゃね、未来理ちゃん泣かしたらタダじゃ置かないわよ」
この場合頼もしいと感心すべきなのか、危なっかしいと心配すべきなのか。
我が姉のことながら、どう反応すべきか迷う二人なのだった。
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